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観字紀行

「多摩」か「玉」か 六玉川へ

 前回は、多摩川が「玉川」「多波川」などいろいろな表記で昔の文献に登場してきたことを紹介しました。

拡大東京都調布市・多摩川小学校にある歌碑
 多摩川が記された最初の文献と言われているのが万葉集です。全20巻もある最古の歌集。14巻にこんな歌が収められています。

 多麻河伯尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能児乃 己許太可奈之伎

 どう読むのでしょう? 万葉集が編纂(へんさん)された奈良時代はひらがながなく、漢字の音や訓で日本語を記した「万葉仮名」で書かれました。ひらがなにすると、

 「たまがはに さらすてづくり さらさらに なにそこのこの ここだかなしき」

 となります。現代語訳は「多摩川でさらして仕上げる手織りの布ではないが、いくら思い返しても、どうしてこの娘がこんなにかわいいのだろう」。

 「東歌」でも有名な一首です。声に出すと「さらす」「さらさら」や、「このこの」「ここだ」と繰り返す音が心地よく響きます。川に布をさらす乙女をいとおしく思う男性の歌とされ、「さらさら」には川の流れる音や、「新しい(まっさらな)」を意味する「さら」(何度思ってみても新鮮な恋心という意味になる)をかけているといわれます。布作りは女性の仕事で、若い女性が足を浸して川で布をさらす様子が想像できます。

拡大多摩川の土手のカラムシ。イラクサ科の多年草で春から秋にかけて生える=東京都多摩市
 この歌にあるように、多摩川沿いはかつて布の産地だったと伝えられています。カラムシ(別名・苧麻<ちょま>)という植物の繊維をとったのではないかと推定されていて、織り上がった布を白く柔らかくするために、杵(きね)でつき、川でさらして仕上げたと考えられています。

 律令時代に課されていた税を「租庸調」といいますが、租は米、庸は労役の代わりの特産物、調は繊維製品を中心とした特産物。調として納める布は「調布」と呼ばれました。武蔵国も調布を課されていた記録があり、多摩川沿いで作られた布も献上されていたのかもしれません。調布は他の国でも作られていましたが、後の人々は万葉歌の布さらしのイメージと結びつけて「調布」を武蔵の多摩川の枕詞のように使うようになりました。

拡大調布市布田
拡大調布市染地
拡大世田谷区砧

 多摩川沿いには、この伝承にちなむといわれる地名がいろいろあります。東京都「調布市」や大田区「田園調布」。さらに調布市内には「布田(ふだ)」「染地(そめち)」、世田谷区には「砧(きぬた)」といった布の産地を連想させる地名があります。砧は、光沢やしなやかさを出すため布を木槌(きづち)で叩くときに使った木や石の台のことです。

 ところで多摩川は万葉集では「多麻河伯(たまがは)」と書かれています。漢字の読みだけ借りたとされる万葉仮名ですが、流域で麻の布を多く産する川に「多麻」をあてたのは、漢字の意味も含ませたからではないか、と江戸時代の名所ガイドブック「江戸名所図会(ずえ)」は推測しています。

 様々な漢字表記が残る多摩川ですが、その中でも多いのが「玉川」です。その理由を「たま」という発音に当てはまる易しい漢字だからだろうと単純に考えていたら、別の説がありました。玉のように美しい川だからという説です。

 古くから歌に詠まれた全国に六つある玉川「六玉川(むたまがわ)」の一つだから、という説もあります。「江戸名所図会」は「多磨川」の項目で、「玉川」と書くのは「山城、摂津、紀伊、近江、陸奥の国々にある玉川と合わせて六玉川と称すため」としています。