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「いおきべ」さん出てきて ― 変換辞書のはなし

比留間 直和

 ふだん記者が使っているパソコンの仮名漢字変換ソフトの辞書は、朝日新聞では私たち校閲センターの用語担当者が、自社の表記ルールに合わせて調整しています。通常は年に2回程度、変換辞書のファイルを更新しています。

 (仮名漢字変換ソフトは、製品やバージョンによってさまざまです。以下は基本的に、朝日新聞の記者が使っているパソコンでの話ですので、ご承知おきください)

 

■ことばをたす

 

 変換辞書の調整の柱の一つは、新聞によく出るようになった単語がスムーズに出てくるようにすることです。つい先日追加した語の一つが、「いおきべ→五百旗頭」。言うまでもなく、五百旗頭真・防衛大学校長の名字です。五百旗頭氏の名はこれまでも記事に時々登場していましたが、「東日本大震災構想復興会議」の議長に就任して以降、連日のように紙面でその名を目にします。

 この前「朝日川柳」にも、

   五百旗頭がふり仮名無しで読める初夏(川崎市 今井伯佳)

と詠まれていました(2011年5月21日付朝刊)。

拡大記者会見する五百旗頭真・復興構想会議議長=4月14日
 しかし社内で使っている仮名漢字変換ソフト(現在は2008年に発売された製品がベース)では、「いおきべ→五百旗頭」が一発で出るようにはしていませんでした。メーンで使う変換辞書のほかにメーカーから提供されている「人名辞書」を呼び出す操作をすれば、「五百旗頭」のような珍しい名字も出てくるのですが、スペースキーで呼び出されるメーンの変換辞書だと、「ごひゃく→五百」「はた→旗」「あたま→頭」のように分割して入力する必要がありました。パソコン操作が得意な記者ばかりではありませんので、これだと手間がかかるだけでなく、うっかり漢字を間違えてしまう可能性もあります。

 これだけ紙面に出てくる以上、ふつうの変換操作、つまりスペースキーをたたくだけですぐ出てくるようにしたほうがよい。そう判断し、「いおきべ→五百旗頭」をメーンの辞書に追加したのでした。

 本紙の過去の記事では見つかりませんでしたが、一般のウェブページを検索してみると、3字目と4字目を逆にした「五百頭旗」という誤記が見つかります。変換しにくい言葉やなじみの無い言葉を「ブツ切り」で入力すると、こうしたミスが起こりがちです。

 日本でなじみの薄い漢字が使われることがある中国や朝鮮半島の人名も、1字ずつ入力すると誤植の恐れが高まるので、少なくとも紙面によく出る要人などの名は、フルネームで一発変換できるように登録しています。

 記者が使う仮名漢字変換の使い勝手を改善することは、校閲側にとっては「自衛」の意味もあるのです。

 

 最近よく登場する印象的な名字といえば、原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長の「班目」も当てはまります。こちらは、社内で使っているソフトでは「斑目」「班目」ともに以前から簡単に出せるようになっており、今回手を加える必要はありませんでした。

 ときどき読者から「『まだら』と読むなら『斑』が正しいのでは?」との問い合わせがありますが、漢和辞典を見ると「班」の項目にも「斑に通ず。まだら」といった趣旨の記載があり、誤字の類いではないようです。

        ◇

 よく見かけるのにふつうの変換操作では出てこなかった言葉が、ほかにもありました。

 「就活(しゅうかつ)」です。

 「就職活動」の省略形としてすっかり定着した観がありますが、朝日新聞の記事に登場したのはわりと新しく、1999年が最初。リクルート社のネット掲示板に寄せられた川柳に使われていました=下の画像

 筆者自身が就職活動をしたとき(1992年)は、「就活」などという略語は聞いたことも使ったことも無かったように思います。当時は、はじけたとはいえバブルの余韻がまだ残り、就職活動は多くの学生にとってあくまで「季節モノ」でした。近頃のように就職活動が長期化してしまうと、「部活」なみに日常化して、略語が広がるのも無理はありません。主要な国語辞典も、大辞林が第3版(2006年)、広辞苑が第6版(2008年)と、ともに最新版で「就活」を載せました。

 変換ソフトのメーカーから提供されている新語・流行語の辞書ファイルには「就活」も入っていたのですが、スペースキーによる変換で出てくるようにはしていませんでした。これも「五百旗頭」と同様、どの記者にも簡単に出せるようにしたほうがよいと考え、ふつうの操作で変換できるようにしました。

         ◇

 ただ、変換辞書の語数は、「多ければ多いほどよい」とは限りません。

 さまざまな言葉をブツ切りせずに変換できるのは便利ですが、その一方で、ごくまれにしか登場しない人名や新奇な単語が変換候補にたくさん並んでいると、ふつうの言葉を探すのに手間取ったり、選び損ねたりする恐れがあります。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」。一般的な新聞記事を入力するのにちょうどよいのはどれくらいか、という観点で追加語を選ぶようにしています。

 

■ことばをひく

 

 初期状態の変換辞書だと、例えば「とりかえ」と打って変換すると「取り換え」「取り替え」「取替」などいろいろな表記が候補に出てきます。しかし新聞では、引用など特別な場合を除き「取り換え」と書くことにしているので、「取り替え」や「取替」が候補に出てくる必要はありません。

 同じように、「おこなう」という動詞は、一般の変換辞書だと「行う」「行なう」の両方が出てきますが、新聞では内閣告示「送り仮名の付け方」の本則にのっとって「行う」に統一しています。「送り仮名の付け方」では「行なう」という送り方も「許容」に位置づけられていますが、新聞では使わないので、これも変換候補には要りません。

 後から直しを入れる手間を極力省くため、変換辞書の調整では、こうした不要な候補が出てこないように“加工”しています。

 振り返ってみると、1980年代の終わりから90年代半ばまで、朝日新聞の記者たちはパソコンではなくワープロ専用機を使って記事を入力していました。

 当時の環境では、変換辞書に単語を足すことはできましたが、元から用意されているものを削ることはできませんでした。そのため、「取り替え」など新聞では使わない表記が記事中にしょっちゅう紛れ込み、校閲担当者はそれこそモグラたたきのように直しを出していました。入社したての若手だった筆者も「要らない単語が出ないようになればなあ」と感じていました。

 しかし90年代半ば(朝日新聞では1996年でした)、記者の入力ツールがワープロからパソコンへと移行し、変換辞書から不要な語を削ることが可能になりました。いわゆる「変換ミス」が無くなることはありませんが、新聞表記で全く不要なものは出ないようにしておくことで、ワープロ時代のような「いたちごっこ」はだいぶ少なくなったと思います。

 このように、変換辞書の言葉を「足すこと」だけでなく「削ること」も、無駄な直しを減らすという意味で、校閲側にとっては「自衛」の一環なのです。

 

■ことばをなおす

 

 市販の仮名漢字変換ソフトで、「れいそる」と打って変換すると「セレッソ」が出てくる製品がある――ずいぶん前に、そんなコラムを書いたことがあります(1995年12月14日付朝刊「赤えんぴつ/ソフトも点検?」)。

 「レイソル」は柏レイソル、「セレッソ」はセレッソ大阪のこと。ともに1995年シーズンにJリーグに昇格したサッカーチームです。おそらく、このソフトのメーカーが製品に新語を追加する際に、「読み」と「変換結果」の組み合わせを誤ったのでしょう。

 理由はこんなふうに想像がつきますが、これでは「間違い自動発生装置」になりかねません。手元を見ずに画面をずっと見ながら入力できる人なら、おかしな変換があれば気づくでしょう。しかしキーボードをにらみながら人さし指だけでポチポチ打っている人だと、別のチーム名に化けてしまっても気づかないかもしれません。

 このソフトの間違いを発見したのは、当時、小社で記者用パソコンの導入が決まり、どの変換ソフトがいいか検討しているときのことでした。結局、記者用には別の製品を使うことになり、また問題のソフトはもう売られていませんが、世の中で使われている他の変換ソフトも、こうした誤りと無縁ではありません。

 ある製品では、「おえつ」と打つと正しい「咽」だけでなく間違いの「咽」まで出てきたり、別の製品では、「炭疽菌」と書きたくて「たんそ」と打ったら「炭」でなく「炭」(は黄疸のダン)に変換されたり……。二つともだいぶ前の事例ですが、こうした誤りに何度か出くわした記憶があります。

 現在よく使われている変換ソフトの中にも、「たたり」で変換すると「り」「り」の両方が出てくるものがあります。よく似た字ですが、「出の下に示」と「山の下に宗」で、正しい「たたり」はもちろん前者。後者は「崇拝」の「スウ」です。お使いの変換ソフトではどうなっているか、手元で試してみてください。
 
 
 記者が使う変換ソフトに、明らかな間違いや、間違いとまでは言えなくても誤植を誘発しそうな単語を見つけたときは、使い勝手に配慮しながら削ったり直したりしています。

        ◇

 日本人の文字生活がパソコンなどの情報機器から切り離せなくなったこの時代、日本語の文字表現を左右するのは、主要な仮名漢字変換ソフトと、情報機器に搭載されたフォントである。そう言っても過言ではないでしょう。

 校閲作業や表記ルールに携わる者にとって、仮名漢字変換ソフトという「インフラ」は、まず最初に目を光らせなければならない相手なのです。

 このあとも、仮名漢字変換の話題を随時紹介します。

(比留間直和)