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観字紀行

「單」か「単」か 「ひだ」を歩く~中編~

奈良岡 勉

拡大高校は
拡大校門も
拡大ガソリンスタンド
 ひと言でいえば、デザイン上の違い、という認識です。なるほど、伝統的に使われてきた字か略字か、というだけのことで、「飛」も「飛騨」も「ひだ」に違いはありません。

 そして、もうひとつの「ひだ」も、地元にとってはなじみ深い漢字のようです。

 それは「斐太(ひだ)」。

 インターネットで検索すると、あるわ、あるわ。県立高校、石油会社、予備校、バス……。 そのうちのひとつ、県立斐太高校のホームページには次のように書かれていました。

 「『日本書記』では『飛』、それ以前の表記として『万葉集』では『斐太』……(中略)……とあります。本校の校名は『万葉集』の『斐太』に拠(よ)るものです」

 その万葉集に詠まれた歌は

 云云物者不念斐太人乃打墨縄之直一道二

 (かにかくに物は思はず飛人の打つ墨縄〈すみなわ〉のただ一道〈ひとみち〉に)

 当時の大工さんの仕事ぶりが目に浮かんでくるようです。これが有名な「飛の匠(たくみ)」。奈良時代、都の造営のために飛国から送られた名工たちを「飛の匠」と称しました。

拡大まちの博物館
拡大中に入ります

 今度は、飛の歴史を知るべく、高山市上一之町に今年4月オープンしたばかりの飛騨高山まちの博物館を訪ねました。ここはかつての市郷土館を拡充した施設です。

 使われているのは「騨」。市の設置条例によると、「騨」の字が正式だとのことでした。管理運営する市教委文化財課の職員は「騨」を使っている理由を「市民に通りがよくてわかりやすいから」と説明します。でも、看板はつくりの上が「△△」ですね。

 さて「斐太」です。同課で集めてくれた各種の資料によると、旧国名は「飛国(ひだのくに)」。8世紀初頭までは斐陀、斐太などと表記されていました。さらにもう一つ、「斐陀」が出てきましたね。

拡大高山市歴史研究会の会報
 市内ではあまり見かけませんが、高山市歴史研究会の会報名が「斐陀」。

 その第2号に名前の由来が記されています。

 ……和銅6(713)年、政府は国・郡・郷の地名に好字(めでたい文字)をつけることを命令した。その時に「斐陀」(大宝・養老賦役令斐陀国条)と表記されていたものが「飛」に統一されることになり、『日本書紀』に「飛」の名が現れて以後、飛が一般的に使われることになったのである。本会報は古い時期の名称を取り上げて……。(「第1章 はじめに」から)