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観字紀行

「太」ったり、「大」きくなったり―九州・太宰府へ(1)

桑田 真

 今回の舞台は九州です。奈良時代の大宰府政庁跡がある、福岡県太宰府市を訪ねます。……と、これだけで今回のテーマがわかった人は、当欄の愛読者か日本古代史がお好きな方でしょう。そう、「だざいふ」には「大」宰府と「太」宰府の2通りの表記があるのです。違いは何か。市のホームページなどによると「現在の市の名前など行政上は『太宰府』、古代の役所に関して言うときは『大宰府』」とされています。

拡大大宰府政庁前の交差点
 実際にどうなっているのか確かめようと、太宰府市へ向かいました。羽田空港から福岡空港まで約1時間40分。空港から車を走らせ、国道3号を南下すると40分ほどで太宰府市に入りました。太宰府市は、1982年に市制を施行した人口7万557人(6月現在)の都市です。近年は福岡市のベッドタウンとして発展し、人口は10年前に比べて5千人ほど増えています。年間600万人の観光客が訪れ、歴史のまちらしく奈良市と姉妹都市だそうです。

拡大四王寺山がそびえます
拡大門の跡や礎石が残っています
拡大かつては、ここが九州の中心でした

 市の中心部を東西に走る政庁通りに入ると、ほどなく大宰府政庁跡が見えました。大宰府とは、古代の九州全体を統括し、外国との交渉や海岸線の防衛にあたっていた役所です。いつ設置されたのかは定かではありませんが、日本書紀には609年に「筑紫大宰(つくしたいさい)」という記述があります。百済と日本が、唐と新羅の連合軍に敗れた白村江の戦い(663年)の後、九州の守りを固める重要性が高まり、大宰府の体制が整備されていきました。市の北西部には水城(みずき)という堀と土塁が造られ、役所も内陸部の現在の場所に移されました。律令制のもと、大宰府のトップには大臣級の役人や皇族が就き、「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれるほどの大きな権限が与えられました。平安時代の漢和辞典、和名類聚抄では大宰府は「おおみこともちのつかさ」と読まれています。