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観字紀行

「太」ったり、「大」きくなったり―九州・大刀洗編

桑田 真

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 「大」と「太」をめぐって訪ねた福岡の旅。この2文字に関わりのあるまちが、福岡県内にはもう一つあります。太宰府市から南に20キロ弱の三井(みい)郡大刀洗(たちあらい)町です。

 「刀剣」という意味では「太刀」と書くことが一般的ですが、この町の名前は「大」を使います。

拡大JAの営業所。「みい」は三井郡のこと
拡大スーパーの店名も大刀洗

拡大町の商店などを示す地図はすべて「大刀洗」としていました
 太宰府天満宮から、国道3号、県道53号などを走ること約50分。両側に水田が広がる筑後平野の平坦な道を進むと、福岡県のほぼ中央、大刀洗町に入りました。人口1万5412人(7月現在)の米や麦の生産が盛んな町です。

拡大案内板はもちろん「大刀洗」
拡大こちらも「大刀洗」
拡大役場付近には町の施設が集中
拡大ホールや図書館が入る「ドリームセンター」

拡大手違いで「太」が「大」になった大刀洗町
 町名の由来は、南北朝時代にさかのぼります。1359年、現在の久留米市から小郡市にかけて、大原の合戦(筑後川の戦い)という激しい戦いがありました。

 懐良親王・菊池武光らの南朝軍と、少弐頼尚の北朝軍が、大宰府、九州の覇権を争って戦いを繰り広げました。菊池側が優位に立ちましたが、陣営の疲弊も激しく、現在の大刀洗町のあたりで進撃をやめました。

 菊池武光は小川で血のついた刀を洗い、川はたちまち朱に染まったといいます。そこから「太刀洗(大刀洗)」という地名が生まれたそうです。両軍合わせた死傷者は2万5千人以上と伝えられています。町企画財政課によると、1889(明治22)年に町村制が施行される際、「太刀洗村」として届け出ましたが、政府側の手違いで官報に「大刀洗村」と誤って記載されてしまったそうです。訂正の申請は認められず、1955年に3村の合併で「大刀洗町」となり、現在に至ります。

拡大町章はカタカナの「タ」がモチーフ
拡大町は筑後平野の北東部に広がっています