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観字紀行

「須」ですか?「洲」ですか?名古屋編(1)

薬師 知美

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 関ケ原を経て、物語はいよいよ佳境。最後の大戦(おおいくさ)、「大坂冬の陣」「夏の陣」が目前です……というのは、大河ドラマの話。今年の大河ドラマ「江(ごう)」は、織田信長を伯父にもち、豊臣秀吉の養女となり、徳川家康を義父とした江の一生を描いた話ですが、この3英傑が3人とも、大きな関わりを持った場所「清須」が今回の旅の舞台です。

 愛知県清須市は、名古屋市の北西側に隣接するまちです。清須といえば、歴史ファンにはおなじみの、日本酒好きの方にも「鬼ころし」でおなじみ(?)の清洲城。ん? 清「洲」? そうです、今回は「清須」と「清洲」の話です。

 この清須市は2005年7月、西枇杷島(にしびわじま)町、清洲町、新川町の3町が合併してできました(その後の09年10月には春日〈はるひ〉町を編入しています)。つまり清「洲」町を含む3町が合併して、清「須」市になったのです。いったいどうしてこんなことになったのでしょう? 

 ほかにも、清須市の地図を眺めると、鉄道の駅は「清洲」や「新清洲」だし、清須市清洲という住所があるし、高速道路の「清洲」ジャンクション、「清洲東」インターチェンジのすぐそばに「清須」出入り口……ほんまかいな、このうちいくつかは、もしかして地図の誤植? という気もしてしまいます。こうなったらこの目で確かめるしかない! というわけで、名古屋に向かいました。

拡大名古屋駅では各ホームにきしめん屋さん
 名古屋に着き、さっそく名物で腹ごしらえ。名古屋駅には各ホームに立ち食いきしめん屋さんがあり、その一つで安くておいしい本場のきしめんをいただきました。

 

拡大名鉄新清洲駅
 腹ごしらえをしたら、名古屋鉄道名古屋本線に乗って約10分。降り立ったのは新清洲駅です。

拡大JRも清洲駅。ただし所在地は稲沢市
 駅は旧清洲町内にありますが、清須市役所は合併した3町のうちの旧新川町役場が使われており、旧清洲町役場は清須市役所清洲庁舎という、いきなりややこしい状況です。

拡大「須」と「洲」が交じってます
拡大こちらは「清須」。五条川の向こうに清洲城

 新清洲の駅から北東に位置し、信長が天下統一の野望の第一歩を踏み出した清洲城へ、謎ときの第一歩として行ってみましょう。信長はこの城から桶狭間の戦いに出陣したのです。

 歩いて5分ほどで川に出ました。五条川です。川沿いの道を進むと、あちこちに「江と三英傑 絆のまち清須」ののぼりが立っています。ここでは「清須」ですね。

 途中に清洲公園がありました。中に信長の銅像が立っており、その視線は桶狭間の方角を向いているのだそうです。川のそばには「清洲古城趾」の石碑があります。めざす城はまだ先ですが、昔のお城はこのあたりだったのでしょうか。

拡大桶狭間をみすえる信長像
拡大うしろののぼりは「清洲」と「清須」が並んでます

 さらに歩くと、清洲城のすぐそばにJR東海道線と東海道新幹線が走っています。線路をくぐって見えた城の姿に、私は見覚えがありました。名古屋から西へ向かう新幹線から間近に見える、赤い橋が特徴的な城が清洲城だったのです。帰省のたびに見かけたあのお城でした。

 新幹線からあまりに近く、見た目に新しいことから、てっきり観光用か個人所有のお城だと思っていましたが、由緒ある清洲城だったのですね。

 

拡大新幹線と清洲城