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「しんしん」ってどこ? ― 変換辞書のはなし8

比留間 直和

 「トウ小平」(鄧小平)に並び立つ、中国関係の“JIS外字交ぜ書き語”といえば、やはり「深セン」(深圳)でしょう。広東省南部、香港と境界を接する経済特区です。

 新聞を含む印刷物ではふつう漢字で「深圳」と書かれますが、「圳」の字が基本的な文字コードであるJIS第1・第2水準(JIS X0208)に含まれないため、インターネットのニュースサイトなどではたいていカタカナ交じりで「深セン」と表記されています。

 「ニュースはもっぱらネットで」という人にとっては、「深圳」より「深セン」のほうがなじみ深いのかもしれません。

 

■深圳の意外な「読み」

 

 前回、複数の仮名漢字変換ソフトで“JIS外字交ぜ書き”関連のことばがどのように変換されるか紹介しましたが、そのうちのひとつ「Google日本語入力」では、「深圳」がちょっと変わった出かたをします。

 「しんせん」で変換すると、「深セン」は候補に出てくる=画像左=のですが、「深圳」は出てきません。「深圳」が必要なときは、「しんせん」でなく「しんしん」で変換すると出てきます=画像右。(使用したGoogle日本語入力は Windows版の1.2.825.0)

          

 「しんしん」? 耳慣れない読み方ですね。しかし、「圳」をセンと読むのは、実は本来の読み方ではないのです。

 「圳」を漢和辞典類でひくと、読みはこんなふうに出ています。(《 》内は対応する中国現代音として掲げられているもの。大漢和はウェード式、他はピンイン)

 大漢和辞典
  [一]シウ/ジユ《ch‘ou2》 [二]シン [三]シユン

 広漢和辞典
  [一]シュウ(シウ)/ジュ [二]シン《zhen4》 [三]シュン

 学研新漢和大字典
   シン(シム)《zhen4》/ケン(クヱン)《quan3》 

 新漢語林 第2版
   シン《zhen4》

 漢字源 改訂第5版
   シン(シム)《zhen4》/ケン(クヱン)《quan3》

 全訳漢辞海 第3版
  [A]セン〈慣〉シュン〈漢〉《zhen4,zhun4》 [B]ケン(クン)《quan3》

 新選漢和辞典 第8版
   シン〈漢〉セン〈慣〉 《zhen4》

 新潮日本語漢字辞典
   セン〈慣〉・シン〈漢〉〈呉〉[m]・シュウ(シウ)〈漢〉・ジュ〈呉〉

 大漢和と広漢和は代表的な漢和辞典という位置づけから、その他は近年出された漢和辞典の例として、それぞれ挙げてみました。いろいろな読みが掲げられていますが、漢字の意味はどれも「田畑の間のみぞ、用水路」といったものです。

 深圳の「圳」の中国標準音は zhen4 ですが、それに対応する日本漢字音としては「シン」を掲げる辞書が主流です。「セン」はつくりの「川」から類推した読みで、俗にいう「百姓読み」です。

 とはいえ、実際には「深圳=しんせん」の読みが広く定着していることから、慣用音として「セン」を掲げる辞書(赤字で表示)もいくつか現れています。しかし、まだ「軒並み」というほどではありません。

 Google日本語入力が「しんせん」ではなく「しんしん」という読みで「深圳」を出すようにしているのは、(どこまで意図しているか分かりませんが)漢和辞典の記述に沿った対応といえます。しかし「道具としての変換ソフト」という観点からみると、一般ユーザーの理解は得にくいのではないでしょうか。

 

■むかしむかしの紙面では

 

 では、改革開放政策で経済特区になる前は、「深圳」は日本でどう読まれていたのでしょう。

 現代中国経済の先頭ランナーというイメージが強いため、「経済特区になる前は誰も知らなかったんじゃないの?」――そんなふうに思われるかもしれませんが、実は100年も前から朝日新聞に登場していました。

 下の画像は1912(明治45)2月15日の東京朝日新聞。中国・広東で薬を売っていた日本人が強盗に襲われたという記事ですが、発生場所の説明に「英国国境深圳を距る約三十里北方」とあり、「深圳」に「しんしう」(=しんしゅう)と振り仮名がつけられています。

 

 一方、1923(大正12)年5月12日付では、現在定着しているのと同じ「しんせん」という読みが振られています。

 記事に登場する「陳炯明」「劉震寰」はともに中国の軍人。当時、陳炯明は第3次広東政府を樹立した孫文と敵対し、劉震寰は孫文側についていました。深圳など香港北方の地域が両者の対立の舞台になっていたようです。

 

 時代がくだって日中戦争に入ると、「しんしう」でも「しんせん」でもない振り仮名が紙面に現れます。下は、1938(昭和13)年1月22日付夕刊の写真記事。説明文のなかで「サムチュン」という読みが付けられています。

 

 しかし「サムチュン」はこのときだけだったようで、その後すぐ「シュムチュン」と振るようになりました。

 当時英国領だった香港と中国本土との境界に位置するため、日中戦争期には、英国などが蔣介石の国民政府を支援した「援蔣ルート」をめぐる攻防で、この地名が何度も紙面に登場しました。紙面を見る限り、1939年の2月ごろまでは毎回のように「シュムチュン」と振っていましたが、同年夏以降は読みをつける頻度が減って「漢字だけ」のことが多くなりました。

 そして戦後、改革開放以前はめったに登場しませんでしたが、改革開放がスタートしてからは、「読みを付ける場合は『しんせん』」というスタイルが、新聞・書籍を問わずあっという間に定着しました。

 

        ◇

 

 上に示したように、現代の漢和辞典では「圳」に対してたいてい複数の読みが掲げられていますが、最も権威ある字書とされる清の康熙字典では、「市流切音酬」、つまり「シウ(シュウ)」という読みしか載っていません。明治末の紙面で「しんしう」と振ったのは、康熙字典を参照しての判断かと思われます。

 朝日新聞の縮刷版データベースで探した限りでは、その後「しんしう(しんしゅう)」と振った例は見当たりません。中国語音との対応で考えるとこの読みには無理があるのですが、日中戦争期も一般には「深圳=しんしう(しんしゅう)」という読みがしばしば用いられていたようです。

 網羅的に調べたわけではありませんが、1932(昭和7)年の平凡社「大百科事典」に深圳の読みが「シンシュー」とあるほか、1936(昭和11)年に外務省情報部がまとめた「支那地名集成」も深圳の日本語読みを「シンシュー」としています。

 日本放送協会による「満蒙支那人名地名表」(1937〈昭和12〉年9月発行)でも、「地名難読字音表」のなかに「圳 シュー」とあります。「地名」ですから、深圳を念頭に置いたものでしょう。

 また、朝日以外の新聞では、日中戦争期に「しんしう」「しんしゅう」と振っている例が見られました。

 

 では、朝日新聞が日中戦争期に主に使っていた「シュムチュン」はどういう読みでしょうか。中国南方の方言音が関係していると想像されますが、ふつうは何らかの資料を参照して読み仮名を決めていたはずです。

 弊社の書庫から、「中華民国19年」つまり1930(昭和5)年に中国の国立北平研究院出版部が発行した「中国地名大辞典」(劉鈞仁著)を引っ張り出して見たところ、「深圳」のアルファベット表記として「Shum-chun」とありました=下の画像

  

 また、前出の外務省情報部編「支那地名集成」にも、深圳の欧文表記として「Shumchün」が掲げられています。

 いずれも当時の欧米人が使っていた表記と思われますが、このあたりの資料を参照して「シュムチュン」と振ることにした可能性が考えられます。

 

 なお、現在「深圳」のアルファベット表記は、ピンイン方式の「Shenzhen」が一般的になっていますが、香港などでは“伝統的”表記として「Shamchun」も使われています。

 

■JIS外字であるがゆえに?

 

 このようにかつては「しんしう(しんしゅう)」「シュムチュン」など様々な読みが振られ、また漢和辞典に従えば「しんしん」と読むべきかもしれない「深圳」ですが、今や広辞苑や大辞林にも「しんせん」で掲載されており、もはや勝負は決しています。

 「しんせん」という読みが定着する過程では、もちろん一般の書籍や放送メディアの影響が大きかったでしょう。しかし一方で、中国の改革開放は、情報機器や電子メディアの誕生・普及と時期がほぼ重なっています。特に1990年代以降の急激な経済成長は、インターネットの発展と並行して進みました。

 そう考えると、「深セン」という“JIS外字交ぜ書き”が電子メディアで常用されてきたことも、「圳=セン」という慣用音の定着をかなり後押ししたのではないか。そんなふうに思えてなりません。

(比留間直和)