メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

文字

文字@デジタル

いまどきの代用漢字? ― 変換辞書のはなし10

比留間 直和

 前回は、「李承燁 → 李承ヨプ」など、JIS外字を外国の漢字音に基づくカナに置き換えた表記例を取り上げ、変換辞書でどう出てくるかなどを見てみました。

 JIS外字を外国語読みのカナに置き換えた交ぜ書きの例は、韓国・朝鮮の固有名詞だけではありません。例えば中国の食材にも、最近よく見かけるようになった“JIS外字交ぜ書き”があります。

 

■トウチをどう書くか

 

 「豆豉」をご存じでしょうか。大豆を蒸して発酵させた、中国の食材です。いわば納豆の仲間ですが、炒め物などの味付けによく使われます。

拡大
 現代中国語では「douchi」(トウチー)。日本で用いられるカナ表記には揺れがあり、「トウチ」「トウチー」「トーチ」「トーチー」などが見られます。大辞林(第3版)には「トーチー」という見出しが立てられていますが、市販されている商品には「トウチ」という読みを表記したものが多いようです。

 「豉」の字は、つくりの「支」が音を表しており、日本漢字音は漢音がシ、呉音がジ。「音符の支は、枝分かれするの意味。発酵して豆と豆とが結びついて枝分かれしたようになった、みそ・納豆の類いの意味を表す」(新漢語林 第2版)といいます。

 そんなわけで「豆豉」という熟語を日本語読みすると「とうし」または「ずし」なのですが、中国語由来の「トウチ」などの読み方でないと、「なにそれ?」と言われてしまいそうです。

 この豆豉の「豉」が、情報機器で広く使われているJIS第1・第2水準(JIS X0208)に入っていないいわゆる「JIS外字」であるため、ネット上では全てカタカナで「トウチ」などと書かれるほか、しばしば「豆チ」と交ぜ書きされています。

 ところが、ネット上ではもうひとつ別の表記が流通しています。それが「豆」です。(以下、区別のためこののほうは赤い字で示します)

 「豉」と「」。似てはいますが、「」は「太鼓のコ」「つづみ」であり、「豉」とは全く別の字です。現代中国語では「gu」(クー)という発音で、「チー」とか「チ」とかは読めません。辞書的な規範に従えば、「誤字」と言って差し支えない表記でしょう。

 しかし、この「豆」が最近勢力を拡大しているようなのです。

拡大
 先日、筆者が近所のファミリーレストランでメニューを開いたところ、「豆豉蒸し」の「豉」が「」になっていました。写真の通り、振り仮名ははっきり「とうち」と振られています。この料理を注文するのはためらってしまいましたが、「豆豉」のつもりでこう書いてあるとみて間違いないでしょう。

 「豆」の表記は、ネット上でもかなり使われています。実際に検索サイトで確かめてみてください。

 テレビコマーシャルで見かける健康食品にも、「豆」を商品名の一部にうたったものがあります。見覚えのある方も多いでしょう。あるいは、そうした商品の広告を見て「トウチは漢字では『豆』と書くのか」と思っていたりしなかったでしょうか。

 

■変換ソフトの対応状況

 

 では、この言葉は仮名漢字変換ソフトではどのように出てくるのでしょうか。手元で試してみました。

【ATOK2011】

 標準辞書ではいずれも出てきませんが、オプションの「大辞林辞書」を使うと「とーちー」の読みから「豆豉」が出てきました。

  

【Google日本語入力】

 「とうち」と「どうち」の読みで変換すると、交ぜ書きの「豆チ」が出てきました。この読みでは、漢字表記は「豆豉」と「豆」のいずれも出てきません。

 そこで、日本語読みの「とうし」と「ずし」を試したところ、両方とも「豆豉」が出てきました。

 前回紹介したように、この変換ソフトは「いすんよぷ」「ふぁんじゃんよぷ」では交ぜ書きの「李承ヨプ」「黄長ヨプ」しか出さず、日本語読みの「りしょうよう」「こうちょうよう」でないと漢字の「李承燁」「黄長燁」が出てこないという“特徴”を持っています。「豆豉」も、これとちょうど同じパターンです。

 

【Microsoft Office IME 2010】

 さて、問題はここからです。「とうち」で変換していくと、最新語辞書によって「豆」が出てきました。「豆豉」のほうは出てきません。

 なにしろマイクロソフトの最新版の変換ソフトで出てくるわけですから、多くのユーザーが特に意識しないまま「豆」の表記を使ってしまっていると思われます。

 

【Baidu IME】

 こちらも、「とうちー」の読みから「豆」が出てきました。やはり「豆豉」は見当たりません。

 

■読みによってはツヅミに

 

 以上は Windowsパソコンで試した結果ですが、iPad や iPhone に搭載される「iOS5」の仮名漢字変換でも興味深い変換が見られました。

 「とうち」「とーち」「とーちー」、そして日本語読みの一つ「ずし」では、「豆豉」が変換候補に出てくるのですが、「とうちー」という読みに限っては、出てきたのは「豆」のほうでした。


 実は、一つ前のバージョンである「iOS4.3」では、上に示した変換のうち、「とうちー」から「豆」が出てくるだけで、「豆豉」はどの読みからも出ませんでした。つまり、iOS4.3 から iOS5 へのバージョンアップによって、(筆者が確認しただけでも)4種類の読みから「豆豉」が出るように変換辞書に加えられたのですが、もとから辞書に入っていた「とうちー」→「豆」はそのまま放っておかれたわけです。

 変換辞書を拡充する際に「豉」と「」の違いに気づかず、「『とうちー』は前から変換できているから、足さなくていいや」と思ったのでしょうか。

 

■「JIS外字」であるがゆえに

 

 なぜ「豆」の表記を使っているのか。初めのほうで触れた、「豆」を商品名の一部に使っている健康食品の販売元に理由をたずねてみたところ、「本当は中国で使われている『豆豉』という表記にしたかったが、日本ではパソコンなどで使いにくい字であるため、形が似ている『』にした」「この表記で特定保健用食品(トクホ)の許可も得ており、変更する予定は無い」との説明でした。

 そうだとすると、「豉」がたまたまJIS第1・第2水準に入らなかったことが、本来なら誤字と言われても仕方ない「豆」という表記の使用を後押ししたということになります。

 「豆」の表記が商品名を含む様々な場面で使われ、一般の人々の目に触れる。そして仮名漢字変換辞書にも入り込んでさらに用例を増やし、やがては市民権を得ていく―― 今は、そんなプロセスの途中なのでしょうか。

 戦後、当用漢字以外の字(表外漢字)を含む語を書き表す方策として、「日蝕 → 日食」「聯盟 → 連盟」「臆測 → 憶測」のように、同音で意味の近い当用漢字に置き換える、いわゆる「代用漢字」が考案されました。

 これらの代用漢字と比べると、「豆豉 → 豆」は本来同音でもなければ似た意味の字でもないのですが、情報化社会ならではの「いまどきの代用漢字」と言えるのかもしれません。

 (比留間直和)