文字
観字紀行
(2012/02/24)
前回に引き続き、四條畷(しじょうなわて)市を歩きます。
市の中心地に広がる商店街。夕暮れ時には、晩ごはんの食材を買いに来る人や、近くの高校や大学からの帰りに立ち寄る学生たちでにぎわいます。
商店街を歩けば「じょう」に当たる。やはり旧字体、新字体両方の「しじょうなわて」に出会います。
商店街を西へ向かって行き止まりまで歩くと、それまでの町並みからは雰囲気が一変します。前回少し触れましたが、四條畷の合戦で命を落とした楠木正行(くすのき・まさつら)の墓です。
彼の父親である楠木正成(まさしげ)は、足利尊氏らとともに鎌倉幕府討幕を成し遂げた人物として有名です。その後、後醍醐天皇による「建武の新政」に不満を持った尊氏が離反して始まった南北朝対立の時代、正成は後醍醐天皇側の武将として南朝軍の一翼を担いました。1336年、湊川(現在の神戸市)で北朝軍との戦いに敗れ、最期を迎えたと言われています。