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観字紀行

「タンス・たんす・箪笥」 東京・新宿編

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 東京では最近、古地図を持って歩きながら、現在の街並みに過去の面影を探す歴史散歩が人気です。一見、過去と切り離されたように見える近代都市に、歴史が垣間見える意外性が受けているのでしょう。

 歴史散歩の出来る街の一つが新宿区牛込地区。そこにある「箪笥町(たんすまち)」を今回は歩いてみます。この地区に住む同僚から「箪笥の『箪』の字が2種類ある」という情報を得たのがきっかけです。

 「箪笥町」は、この地域を描いた江戸時代の絵地図にもある町名です。

拡大江戸時代の地図「尾張屋板切絵図 市ケ谷牛込絵図」=東京都立中央図書館特別文庫室所蔵(無断使用禁止)
拡大左図の中央左寄りを拡大。「御箪笥町」がある。「尾張屋板切絵図 市ケ谷牛込絵図」(部分)=同特別文庫室所蔵(無断使用禁止)

 「たんす」を作る店がたくさんあった町なのでしょうか? 由来も含めて興味津々。まずは現地に行ってみましょう。

 

拡大現在の神楽坂です
 新宿区箪笥町。最寄りは、都営地下鉄大江戸線の「牛込神楽坂(うしごめかぐらざか)駅」です。「神楽坂」といえば、大人の雰囲気の料亭が集まる夜の街!という印象がある私は、夜に行ってみたいんですが、仕事なので、今回は昼間に訪ねました。

 神楽坂を中心とした一帯は、明治ごろから花街として栄えてきました。現在は坂の両側にレストランやブティック、雑貨屋などの店がならび、昼間もにぎわっています。もちろん坂の脇の入り組んだ細い路地には、落ち着いたたたずまいの料亭がそこここにあります。

 

 坂の名の由来は諸説あります。高田穴八幡(現在の穴八幡宮。早稲田大学近く)の神輿が祭礼の時に渡ってくる「旅所」が坂の中腹にあり、その時に神楽を奏でるためだという説。近くにある若宮八幡神社から常に神楽の音が聞こえてくるからという説などなど。

拡大江戸時代の「江戸名所図会」にも載っている神楽坂=同特別文庫室所蔵(無断使用禁止)

拡大牛込警察署です
 駅名の「牛込」は何でしょう。この辺りは明治以降、1947(昭和22)年に合併で新宿区になるまで「牛込区」でした。現在、牛込がつく地名はありませんが、警察署や学校名に「牛込」が使われています。地名の起こった時期は古く、南北朝時代の文書に「牛込郷」という地名があり、この辺を指していたと推測されています。

拡大こちらは牛込郵便局
 由来では、江戸幕府が編纂した地誌「新編武蔵風土記稿」に次のような説が紹介されています。「込」という字は多く集まるという意味で、「駒込」「馬込」なども牧場のあった場所だから、ここも牛がたくさんいたから名付けられたのだろう――。700年前の新宿区周辺は牛が放牧されていたのでしょうか。

拡大地下鉄の案内板では?
 牛込神楽坂駅に到着。本題の「箪笥」を探します。

 改札を出て地下の通路でさっそく「箪笥」を見つけました。出口の案内板に「牛込箪笥区民ホール」「牛込箪笥地域センター」「箪笥町特別出張所」「箪笥町」。どれも「箪」の形です。

 地上への通路を少し進むと「新宿区立牛込笥区民センター」の入り口がありました。さっきの案内板にあった「地域センター」「区民ホール」のどちらかと同じ物? それとも全く別物? そんな疑問もわきますが、まず字の形です。入り口の文字を拡大すると、「」。さっきの案内板と違います。

拡大区民センター地下の入り口です
拡大拡大してみると……

 並べると「箪」と「」。それぞれ、竹かんむりの下が、左は「ツ」、右は「口口(口が二つ)」です。二つの「タン」を発見! 画面では見分けづらいので、この記事では適宜「ツ箪」「口」と書くことにします。

 字の違いの説明は後回しにして、もう少し「箪」と「」を探しましょう。地上に出る前にもう両方に出会えたのだから、混在が期待できそうです。

拡大地上の区民センター入り口は?
 地上に出ると、出口は5階建てビルと一体になっていました。そのビルの入り口。「牛込笥区民センター」と立体文字が貼り付けてあります。「口」です。地下にあったのはこのビルの別の入り口だったんですね。

拡大ビルの外にあった案内板
 このビルにはいくつかの公共施設が同居していて、外に表示がありました。「新宿区立牛込笥区民センター」の中に「笥町特別出張所」「区民ホール」「地域センター」が入っているということでしょうか。いずれも「口」で入り口と同じです。(後にわかったのですが、「区民センター」という組織は、現在はなく、表示だけが残っているそうです)

拡大ポスターの掲示場は?
 近くにあったポスター掲示板も入り口と同じく「口」。でもビル前の駐輪案内板は「ツ箪」。

拡大駐輪の案内板は?
拡大特別出張所の入り口。紙に書かれた文字だけが違っています

 ビルに入ると新宿区の行政出張所「笥町特別出張所」があり、入り口に丁寧に3カ所も同じ名前が掲示されていました。一番目立つ紙の表示は「ツ箪」です。でも入り口上部に貼り付けられた立体文字は「口」。ガラス扉の緑色の文字も「口」です。

拡大ビル内の掲示板に張られた「箪笥地区協議会」のお知らせでは「ツ箪」
拡大区民ホールの表記は?

 このビルの周りだけで箪との混在は明らか。出張所の職員にその訳を聞きました。「正式には(口)なんです。でもはパソコンで表示されないこともありますから、箪(ツ箪)も使っています」。ということは笥町の表記にはどちらを使ってもいいのでしょうか? 「はい。出張所がどちらか一方を使ってはダメと言うことはありません」

 「口」でなく「ツ箪」を使うのは「パソコンで表示されない」から――。すでに気づいた方もいるかもしれません。これはパソコンのバージョンの問題です。この漢字紀行でも何度か紹介したことがあります。

 伝統的な字体、つまり中国清代の「康熙(こうき)字典」に載っている字体は口の「」でした。ところが1983年、ワープロなどに使う漢字(JIS漢字)が字体を簡略化したため、「たんす」と打ち込んで変換すると「箪笥」としか表示されなくなりました。

 しかし、2000年に国語審議会が表外漢字(常用漢字以外の漢字)は康熙字典の字体を標準とする方針を打ち出しました。同じころ、パソコンなどで「」が使えるように、「」が入ったJIS漢字ができました。Windowsでは07年発売の「Vista」から「たん」は「箪」とも「」とも変換できるようになっています。逆に言うと、それ以前のパソコンでは「」は表示されないことがあるのです。

(つづく)

(柳沢敦子)

(次回は3月23日に掲載予定です)