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明日なりたいのは…

比留間 直和

 前回は、漢和辞典によって「蘆」と「芦」のどちらの字体を標準と扱うかが分かれている実態を紹介しました。「蘆」は2000年の国語審議会答申「表外漢字字体表」で印刷標準字体とされた字、「芦」は子どもの名付けに使える「人名用漢字」に2004年に入った字です。

 

 「『蘆/芦』のほかにも辞書によって対応が分かれたものがあるって言ってたけど、どんな字?」
 「ではここにある広辞苑を引いてみてもらえますか」
 「広辞苑の第6版だね。で、何を引けばいい?」
 「まずは『ひのき』を引いて、漢字表記を見てください」
 「どれどれ……ひのき。【桧・桧木】とあるね」
 「次にこちらで同じ項目を。広辞苑の第5版です」
 「一つ前の版か。えーと、こっちは【檜・檜木】だ」
 「そうなんです。では次に『ねぎ』を引いてください。野菜じゃなくて、神社の神職のほうです」
 「第6版は【祢宜】で、第5版は【禰宜】か。うーん、どうして?」

 

 というわけで、今回取り上げるのは「檜/桧」と「禰/祢」です。

 まず「檜/桧」ですが、広辞苑の第5版(1998年11月発行)と第6版(2008年1月発行)を比べると、

   あすなろ 【翌檜】→【翌桧】
   ひのきぶたい 【檜舞台】→【桧舞台】
   ひわだ 【檜皮】→【桧皮】
    〈以上は収録語のうち主な例。以下同様〉

 といった具合に、この字を含む語の表記が軒並み康熙字典体の「檜」から略字体の「桧」に変わっています。

 「禰/祢」のほうも、上述の「ねぎ」のほか、

   とね 【刀禰】→【刀祢】
   たけうちのすくね 【武内宿禰】→【武内宿祢】
   のみのすくね 【野見宿禰】→【野見宿祢】

 など、やはり康熙体の「禰」から略字体の「祢」になっています。(山口県の市名である「みね 【美祢】」は以前から正式表記に合わせて略字体)

 しかし、例えば三省堂の「大辞林」(第3版、2006年10月)では略字体の「桧」や「祢」ではなく康熙体の「檜」「禰」を使っています(市名の「美祢」を除く)。広辞苑と同じ岩波書店から出ている「岩波国語辞典」(第7版新版)も、広辞苑とは違って「檜」「禰」です。

 この揺れを生んでいると思われるのが、人名用漢字です。

 

■2004年に両字体が人名用漢字に

 

 前回も触れましたが、表外漢字字体表はその前文で「人名用漢字は常用漢字に準じて扱う」と述べ、当時の人名用漢字の字体をまるごと追認しました。この時点で人名用漢字は1997年に追加された「琉」まで計285字あり、「1字種1字体」の原則が維持されていました。

 しかしその後、人名用漢字の制限に対する親たちの反発がテレビ番組で取り上げられたのを機に、2003年1月、森山真弓法相(当時)が人名用漢字を大幅に拡大する方針を表明。法制審議会人名用漢字部会での検討や一般からの意見募集などを経て、2004年9月、人名用漢字(戸籍法施行規則の別表第二)は「表1(常用漢字以外の字種)=774字」「表2(常用漢字の異体)=209字」の計983字となりました。

 それ以前にも、人名用漢字の異体、常用漢字の異体で子の名に使えるものが定められていましたが、いずれも人名用漢字そのものとは別枠の「許容字体」で、「当分の間、用いることができる」という位置づけでした。2004年9月の改正では、これらも一人前の人名用漢字に格上げされ、常用漢字の許容字体(195字)は表2、人名用漢字の許容字体(10字)は表1に組み入れられました。

 

 「常用漢字以外の字種」という意味では、「表1、表2」のうち「表1」が以前の人名用漢字に相当しますが、かつてのような「1字種1字体」ではなくなり、一部の字種は複数の字体が併記される形になりました。

 2004年9月の時点で、表1に複数字体が併記されたのは次の19組です。(広辞苑第6版が発行された2008年1月時点もこの状態でした)

 

 

 「そうするとこの19組は、どっちの字体が標準というのはなくなったわけ?」
 「人名用漢字としては対等ですが、2000年時点で人名用漢字だったものは、表外漢字字体表が字体をオーソライズしたわけですから、一般的用途ではその字体を標準と見なすのが普通です。このうち『亘-亙』は由来が違う字なのでどの辞書も別字扱いしてますけど」
 「じゃあ問題ないってこと?」
 「ところがこの中には、2000年時点ではどちらの字体も人名用漢字でなかったものがあるんです」

 

 さきほどの19組38字に対し、①2000年の「表外漢字字体表」答申時点で人名用漢字だったもの ②2004年に許容字体から格上げされたもの――に印をつけたのが下の図です。

 

 

 この19組のうち、どちらの字体も2000年時点では人名用漢字に入っていなかったのは、「曽-曾」「桧-檜」「祢-禰」の3組です。

 

 「でも、2000年当時に人名用漢字じゃなかったのなら、表外漢字字体表で印刷標準字体がちゃんと示されたんじゃないの?」
 「その通りです。この3組では『曾』『檜』『禰』が印刷標準字体とされました。曾の略字体の『曽』は簡易慣用字体になりましたが、『桧』と『祢』は印刷標準字体にも簡易慣用字体にもなっていません」
 「そういうものは、印刷標準字体の『曾』『檜』『禰』が優先されるのでは?」
 「ほとんどの辞書はそうしたのですが、最初に確かめてもらったとおり、広辞苑はちょっと違う判断をしたんです」

 

 広辞苑におけるこれらの字体の扱いについて、岩波書店の辞典編集部に尋ねたところ、

表外漢字字体表と人名用漢字とで示し方が異なる「蘆/芦」「曾/曽」「檜/桧」「禰/祢」の4組について、どの字体を用いるか検討した。
それぞれ個別に検討した結果、「蘆/芦」「曾/曽」はそれまで通り「蘆」「曾」とし、「檜/桧」「禰/祢」はほかの人名用漢字と同様、新字体である「桧」「祢」を使うことにした。
その後、新しい常用漢字表に「曽」が入るなどしているので、今後の版でまた字体を見直すことになる。

 とのことでした。

 広辞苑の凡例を見ると、「本文の表記」に関する項目で「漢字の字体は、常用漢字ならびに人名用漢字はいわゆる新字体を、他は広く通用している字体を採用した」とあり、これは前の版から変わっていません。

 2004年の大量追加以降、人名用漢字には康熙字典体も多く含まれるようになっており、かつてのような「基本的に新字体」という状況ではなくなっています。人名用漢字に康熙字典体だけが入っている字については広辞苑も康熙字典体をそのまま使っており、それを考えると、凡例の「人名用漢字はいわゆる新字体を採用」という記述を全く変えずにいるのはやや不思議な感じもしますが、「人名用漢字の中では新字体を優先」という趣旨だと理解すれば、確かに「檜」「禰」ではなく「桧」「祢」になるのが自然です。だとすると、まさしく「人名用漢字に入っている複数の字体のうち、新字体のほう」である(あった)「曽」と「芦」もこの字体になるはずですが、こちらはそういう判断にはならなかったようです。

 上の4組のうち「曾/曽」については、2010年に「曽」が常用漢字入りして字体問題は決着しました(複数字体が併記されていた19組の中では、「弥/彌」の「弥」も常用漢字入り)。一方、広辞苑第6版発行後の2009年4月に「祷」「穹」の2字が人名用漢字に加わり、このうち「祷」は2004年に入った康熙字典体の「禱」と並び立つ形になりました。表外漢字字体表では「禱」が印刷標準字体、「祷」が簡易慣用字体とされており、ちょうどかつての「曾/曽」と同じような関係です。

 常用漢字表改定にともなう改正を経て、現在の人名用漢字は、表1が649字、表2が212字で計861字。現時点で、表外漢字字体表と人名用漢字との間でどれを標準字体と取り扱うべきか解釈が分かれる可能性があるのは、

 
 印刷標準字体と人名用漢字の字体とが異なっている=「蘆/芦」
 人名用漢字に印刷標準字体とその他の字体が並んでいる=「檜/桧」「禰/祢」「禱/祷」
 

 の計4組です。それぞれ前者が印刷標準字体です。

 

■人名用漢字の変化に対応できる「よりどころ」を

 

 この問題について文化庁国語課にも聞いてみたのですが、表外漢字字体表と2004年以降増えた人名用漢字との間で字体をどう考えればよいか示したものは、今のところ無いそうです。

 常用漢字はそうめったに変わりませんが、人名用漢字は今後もちょこちょこ追加される可能性があります。それをつかさどるのは法務省ですが、法務省が国語施策としての字体基準に言及するはずはありませんから、ここはぜひ、人名用漢字が増えていっても迷わずに済むような「字体に関する考え方」を、文化審の国語分科会で打ち出していただきたいものです。

(比留間直和)