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観字紀行

ぶらり麹町~後編~

奈良岡 勉

拡大2丁目のガイド

 さて、前編に引き続いての麴町散歩。1丁目を散策中にみつけた「町名由来板ガイド」が麴町の丁ごとにあるようなので、このガイドを巡りながら歩いてみます。

 まずは2丁目。ガイドがあるのは麴町2の7。1丁目のガイドとは、国道20号(麴町大通り、新宿通り)を隔てて反対側にあります。

 これによると、現在の2丁目の北側は空き地で、武士らの弓術の稽古場などだったと紹介しています。

 ガイド製作に協力した東京都千代田区の学芸員高木知己さん(48)を訪ね、「新撰東京名所図會」(1899=明治32年)という本を見せてもらいました。この本の麴町の部に登場する「小西薬店」をルーツとするお店が、今でも麴町2丁目にあるので す。

 1876(明治9)年創業の「小西三誠堂薬局」。現在の経営者は3代目だそうですが、先代の妻都築瑛子さん(80)はいまも白衣姿で、店に立っています。「空襲前からこの場所にいます。当時から街の姿はまるで変わりました。荒物屋、肉屋、魚屋などの個人商店がなくなり、ビルばかりになってしまいました」と話していました。

 このお店、なんと、世界的なメーカーと「兄弟」なのです。薬種問屋から分かれたもう一つの系譜が1873(同6)年に創業した写真材料を扱う小西六兵衛店です。もうわかりましたよね。1940(昭和15)年に国内初のカラーフィルムを発表し、サクラカラーで知られたコニカです。2003(平成15)年にミノルタと経営統合して、コニカミノルタホールディングスとなりました。世界35カ国にグループ会社を持ち、連結ベースで売上高7600億円、従業員約3万5千人。その本社は千代田区丸の内1丁目にあります。 麴町の創業地と直線で約2キロあまりのところです。

拡大3丁目のガイド

 次は3丁目。西へ向かって歩き、地図出版の昭文社を過ぎて国道20号を再び渡ります。所在地は麴町3の2。

 「江戸城からほど近いこの台地には武士たちが住んでいたようです。ただ、新宿通り(甲州街道・国道20号)沿いだけは、町屋として商人や職人が集まり住んでいました」。鰹節(かつおぶし)やうなぎのかば焼き、そば、薬、お菓子、墨などを売る店があったそうです。老舗(しにせ)うなぎ屋でうな重の昼食に舌鼓を打ちつつ、一休み 。

 この時間に、「麦」と「麥 」が混在するわけを明かしましょう。

 前回の「たんす・タンス・箪笥」と同じなんです。伝統的な字体である「康熙(こうき )字典」(すっかりおなじみですね)に載っている字体は「麴」。しかし、ワープロなどに使う漢字(JIS漢字)として簡略化されて「麹」と表示、印刷されるようになります。2000 年、国語審議会が表外漢字について康熙字典の字体を標準にする方針を打ち出しました。今ではパソコンでも使えるようになっています。

 だから、でしょうか。

拡大警察署は難しい「むぎ」

拡大消防署も難しい「むぎ」

 麴町1丁目にある麴町警察署もその隣の麴町消防署もいずれも「麴」です。2丁目の区役所麴町出張所など公共機関は例外なく「麴」を使っています。

 とはいえ、「名所図會」の表紙には毛筆で「麹」、江戸時代の地図を見ても毛筆の小さな字で「麹」。学芸員の高木さんはこう解説します。「こうじ、と読めて理解できれば昔はそれでよかったんです。江戸時代には当て字もけっこうあり、糀(こうじ)町と書かれた文献もあります」

 先を急ぎます。4丁目ガイドの所在地は麴町4の1。再び国道20号を渡ります。

拡大4丁目のガイド
拡大4丁目のガイドを拡大

拡大5丁目のガイド

 「このあたりは、うなぎの蒲焼(かばやき)伊勢屋や丹波屋、江戸切絵図の版元として名高い尾張屋、麴町で一、二を争う呉服商の伊勢八、尾張藩御用達をつとめる 菓子店の亀沢などが店を構え、江戸の高級商店街のひとつでした」と説明。赤穂(あこう)浪士が吉良邸討ち入り前に隠れ住んだ家があった、とのトリビア情報も。

 5丁目のガイドはまた国道20号を渡ります。所在地は麴町5の2。

 慶長(けいちょう)年間(1596~1615)、15軒ほどの遊郭(ゆうかく)があったことや「盗賊鼠小僧次郎吉(ねずみこぞうじろきち)が、江戸時代後期に町内にあった質屋の蔵に盗みに入ったという話も、町に伝わっています」。ガイドには当時のにぎわいがうかがえるエピソードが盛り込まれています。

 あとひと息。

 6丁目のガイドは国道20号を渡り……ません。そのまま西へ。所在地は麴町6の4。

拡大6丁目のガイド

 「明治時代に入ると、ここは印刷所や旅館、麴町勧工場などが立ち並ぶ商店街となりました」とあります。

 お疲れさまでした。

 町名由来板ガイドを巡る散歩は30分もかかりません。ただ、国道20号(新宿通り、麴町大通り)を「あっちへ渡りこっちへ渡り」します。交通事故には気をつけてください。

 さて、おしまいのなぞなぞです。ではなぜ国道20号をこれほど渡るのか。ヒントはガイドの所在地、「番地」にあります。

 ……わかりましたか?

 答えは国道20号の片側が「奇数」、もう片側が「偶数」の番地になっていますね 。丁ごとに奇数、偶数の番地を交互に割り振ってガイドが立てられています。地図をみてもわかりますが、現在の麴町を東西に横切るように国道20号(新宿通り、麴町大通り)が走っています。通りの片側だけが麴町ではないんだぞ、とガイドが示唆しているみたいです。これは街の成り立ちに由来します。

 学芸員の高木さんはこう説明します。

 「江戸時代には、道をはさんだ両側を町の単位として考えました。当時の国道20号はもっと狭かったんです。道の両側に1丁目、次の区画が2丁目という具合に町が形成されていました。それがいまも継承されているんです。ちなみに現在6丁目の聖イグナチオ教会付近が10丁目で、四谷御門の外から新宿に向かって11丁目から13丁目までありました」

拡大聖イグナチオ教会
拡大お隣には上智大学

 「名所図會」の麴町の部によると、徳川家康が江戸城に入った1590(天正18)年当時、このあたりには100戸ほどの人家があったと記されています。現在の麴町に は966世帯、1898人が住んでいます(2010年国勢調査)。もっとも、昼間人口はこんなものではありません。

 ガイドはこう繰り返し記しています。「現在ではオフィスビルの立ち並ぶ都心のビジネス街へと姿を変えています」と。

拡大四谷交差点から麹町を望む

拡大こちらは半蔵門から

【特別付録】

 訪ね歩いた町名由来板ガイドは、千代田区が江戸開府400年を機に2003年から順次、地元町会の協力を得て区内108カ所に設置しました。麴町1丁目のガイドで執筆者の荒俣宏さんに驚かされましたが、実はこの執筆陣、同区ゆかりの著名人がずらり。作家の阿刀田高さん(永田町1丁目)、逢坂剛さん(神田神保町1丁目)、京極夏彦さん(九段1丁目)、コラムニストの泉麻人さん(神田松枝町・北乗物町)らそうそうたる顔触れです。

 麴町は住居表示でこそ1~6丁目ですが、「麴町地区」と呼ぶ場合、皇居を含めた周辺一帯のかなり広大な地域を指します。1878年に15区制となった際、番町や永田町、霞が関、日比谷、丸の内、大手町などを含めて麴町区となったなごりです。現在の千代田区は1947(昭和22)年に麴町区と神田区とが統合して生まれました。

 こうした区の歴史は、高木さんの勤務する区立日比谷図書文化館(旧都立日比谷図書館)1階常設展示でわかりやすく展示しています。街歩きのビジターセンターとしてもお薦めです。

拡大千代田区立日比谷図書文化館の展示
拡大玉川上水から江戸城に敷設された水道管「上水木樋」

 展示物の中には麴町4丁目の国道20号脇で発掘された「上水木樋(じょうすいもくひ)」があります。玉川上水から江戸城に敷設された水道管です。

拡大街歩きガイドに便利な絵図

 このほか、麴町出張所地区連合町会地域コミュニティ活性化事業実行委員会が2010年に発行した街歩きガイド、新版「現代番町麴町絵図」はイラスト地図付きの優れもの。散歩コースを5通り提案し、30分から50分かけて著名な文人や経済人、政治家などゆかりの地を巡ることができます。

 同出張所内の地域コミュニティ活性化事業実行委員会に置いてあります。

(終わり)

(奈良岡勉)