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続・使わぬ外字に歴史あり

比留間 直和

 新聞製作システムに搭載されているけれど、朝日新聞の紙面ではもう使わない外字――「年齢数字」について、もう少し調べてみます。

 社内で年齢数字と呼ばれるこの文字は、前半が「丸ガッコ開き+漢数字」、後半が「漢数字または『つ』+丸ガッコ閉じ」で、これを組み合わせることで(一つ)から(九九)まで表すことができる、というものです。朝日新聞では2001年3月まで使い、その後は洋数字(アラビア数字)を丸ガッコで囲むスタイルに変えました。

 前回、明治時代の紙面では(四十二)というふうに丸ガッコ内に「十」を使い、小さな活字で2行で書く“割り注”のスタイルだったこと、「十」を省いた(四二)になったのは大正時代からであることを紹介しました。

 

 「前回出した例って、どれも東京朝日でしたよね。大阪はこれと違ってたりしなかったんですか?」
 「おっ鋭いね。実はそうなんだ。当時は朝日新聞といっても東京と大阪とでは別々に編集していたし、表記スタイルも同じとは限らない。調べてみたら、年齢の表記もやっぱり異なっていたよ」

 

 東京朝日新聞のスタートは、1888(明治21)年7月10日付。東京の「めさまし新聞」を大阪の朝日新聞社が買収して改題したものでした。

 東京朝日新聞として“新創刊”したこの日の紙面を見ると、名前のあとに(六十四)などと年齢を丸ガッコで添える表記が既に登場しています。カッコの中は小さい字が2行で、いわゆる割り注の形式をとっています。

 

 全紙面の調査はできていませんが、一定の間隔で紙面を見た限りでは、東京朝日ではこのスタイルが大正に入るまで続いたようです。

 そして1917(大正6)年の5月ごろから、「十」を省いた形、つまり冒頭に挙げた年齢数字と同じスタイルに移行。途中、大正末の一時期にはカッコ内の漢数字に全角文字を使っていましたが、じきに元に戻りました。

 

■大阪朝日は「年」つき

 

 さて、東京朝日が始まる約9年半前に創刊した「本家」大阪朝日新聞。創刊号の1879(明治12)年1月25日付を見ると、やはり人名のあとにカッコ付きで年齢を付記していますが、いわゆる割り注の形ではなく、丸ガッコの中は全角で「當年四十二年」(2面)、「當年四十七年」(3面)とありました(當は当の旧字体)。

 その後2年あまりの間は年齢表記のカッコ内に全角文字が使われていましたが、「年」でなく「才」を付けたり、何も付けなかったりといった揺れが見られます。

 創刊3年目の1881(明治14)年の途中からは、カッコの中が全角文字でなく、小さな活字を使った割り注スタイルになりました。当初は、その後の東京朝日のように「年」も「才」も付けない(四十二)の形が見られましたが、やがて末尾に「年」を付けた形に落ち着きます。このスタイルはその後、大正時代の後半まで続きました。

 大正の終わりごろからは、活字の都合によるものか、カッコの中に全角文字を使う形式にいったん戻ります。このときは「年」を付けずに(四十二)のような表記でした。しばらくこのスタイルが続いたあと、1932(昭和7)年ごろから再び「年」付きの割り注スタイルに戻りました。

 その後、カッコ内に「年」も「十」も使わない形式になり、デザイン上の変遷を経て、戦後、我々が見慣れた年齢数字のスタイルで統一されたのでした。

 

 

 「ふーん、昔の大阪紙面では『年』を付けてたんですね。でもこの『年』つきの年齢数字って、活字としてはどうやってたんですか。やっぱり上と下で分けてたとか」
 「そのへんは十分調べがついていないんだけど、昭和戦前期の大阪朝日の活字の字母帳に『年齢連続文字』というのが出ているんだ。それを見ると、上下で分けるのでなく、まるごと一つの活字にしていたようなんだ」

 下の画像は、左が東京朝日の1940(昭和15)年の字母帳に見える「年齢数字」、右が大阪朝日の1932(昭和7)年の字母帳の「年齢連続文字」(一部)です。

 

 
 「この大阪朝日の年齢連続文字って、何歳まで作ってあったんですか」
 「この字母帳に載っているのは(七十五年)、つまり75歳までだった」
 「75歳? いくら昔とはいえ、もっと長生きする人はいたでしょうに……」
 「そうだけど、いざというときは小さい活字を組み合わせれば80歳でも90歳でも表現できただろうから」
 「なるほど。でもあらかじめ用意するのが75までっていうところも時代を感じますね」

         ◇

 時代を感じるといえばもう一つ。戦時中の紙面では、それまでと比べ、年齢数字の用例がだいぶ少なくなっていました。

 もともと新聞で個人名に年齢を付記するのは、たいていは事件などのいわゆる三面記事。昔の紙面には引用がはばかられるような下世話なネタも多く見られますが、そういった記事が、新聞が大衆に広まる原動力になったのは確かです。

 しかし戦時中の新聞紙面では、戦争や政治経済に関係する記事が目立ち、身近な三面記事はめったに載らなくなりました。物資不足によるページ減もあります。このころの紙面で年齢数字が目に付きにくくなったのも当然といえば当然のことでしょう。

 その意味でも、新聞の歴史と切っても切り離せない存在と言えそうです。

(比留間直和)