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観字紀行

南紀、熊野、ときどき漢字(3)

石橋 昌也

 今回の旅の目的地である熊野三山がようやく近づいてきました。

拡大くじらの博物館
 が、ちょっといつもの寄り道をしてみました。前回の記事では、最後に那智勝浦町に入ったのですが、同町に囲まれるようにある太地町に寄ってみました。

 太地町といえば、捕鯨の町です。最近では、反捕鯨団体による活動が大きな話題になったことで記憶に新しいことでしょう。この日は、ある集団で大変にぎやかでした。

拡大自転車ロードレース
 ちょうど自転車ロードレースの国際大会「ツール・ド・熊野」の最終日で、「くじらの博物館」前をスタートして太地半島を周回するレースが行われようとしていました。この大会は、太地の他に、新宮市や三重県熊野市など世界遺産の地を会場にして行われています。

拡大JR那智駅
 さて再び那智勝浦町に入ります。

 JR那智駅です。駅舎の反対側に回ると「八咫烏(やたがらす)」がありました。

拡大八咫烏
 3本足のカラスです。再び駅舎の正面に戻ります。駅前には中村覚之助(1878~1906)という人の顕彰碑が立っています。そして、顕彰碑の横には、サッカーボールもありました。

 サッカーボールと3本足のカラス。この組み合わせにピンと来ましたか? サッカーボールをつかんだ3本足の黒いカラス=八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークです。

拡大顕彰碑
 中村覚之助は、日本にサッカーを紹介し、普及に貢献した人物で、ここ那智勝浦町の出身。約80年前に協会がこのシンボルマークを採用したのは、八咫烏と縁の深いこの地に生まれた中村と関係している、という説があります。

 駅の近くに熊野三所大神社があり、その隣に世界遺産の一部に登録されている補陀洛(ふだらく)山寺があります。

拡大熊野三所大神社
拡大補陀洛山寺
 「補陀落」とは、観世音菩薩(ぼさつ)が住むとされる山で、南海にあるといいます。観音が住む山に往生することを願い、補陀落を目指して船で単身目指すことが「補陀落渡海」です。この補陀洛山寺は、補陀落浄土を目指した渡海の出発点で、近くの那智の浜から二度と戻らない船出をしました。古くは9世紀に、以後、江戸時代まで二十数人が渡海した記録が残っています。『平家物語』では、平清盛の嫡孫(ちゃくそん)・維盛(これもり)が、屋島の戦いの後に高野山に逃れ、熊野参詣(さんけい)後に那智の浜を出て熊野の海に沈みました。この地を最期の場所に選んだのには、補陀落信仰が背景にあったのかもしれません。

拡大渡海船の復元模型
拡大那智の浜