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観字紀行

あなたのそばに変体がな(1)

桑田 真

拡大ごまそば

 お薦めの「ごまそば」(750円)をいただきます。注文してほどなく、つやつやと輝くそばが出てきました。つけ汁はごまの香ばしさと甘みがたっぷりですが、しつこさはありません。そばの量もちょうどよく、食べ終わるのがもったいないほど。そば湯をつけ汁に注いで飲むと、食べ慣れている割り下とはひと味違って絶品でした。

 おかみさんによると、近所にかつて「やっちゃ場」(青物市場)があってにぎわい、店への人の出入りが激しかったため、入り口を二つ作ったのだとか。昔ながらの趣を残す建物は、関東大震災後に建て替えられ、第2次世界大戦の戦火はまぬかれたそうです。

拡大かんだやぶそば=東京都千代田区

拡大電柱にも変体がな

 近所には、こちらも名店として名高い「かんだや そば」があります。「婦」をくずしたかなに濁点がついています。

 いくつもそば屋を見ているうちに、のれんには「更科」「やぶ(藪)」といった屋号が多いことに気づきました。「やぶ」は文字どおり、江戸時代にはやったそば屋が「藪」の中にあったことによるものとか。そして「更科」は信州(長野県)のそばの産地「更級」に由来するそうです。それに「砂場」を含めて「3大のれん」「御三家」と呼ばれるそうです。この中で、「砂場」の老舗を訪ねることにしました。

 都営荒川線の三ノ輪橋駅から、アーケード街を少し進むと、「南千住砂場」があります。表札のような板に控えめに「お 」とありました。

拡大南千住砂場=東京都荒川区

拡大表札のような板に変体がな

 なぜ「砂場」という屋号がついているのでしょうか。店主の長岡孝嗣さんによると、歴史は1583(天正11)年に始まった大阪城築城までさかのぼるそうです。城の資材置き場のような場所に、建築に従事する人たち向けのそば屋があり、その場所の通称「砂場」がやがてそば屋の通称になったそうです。その後徳川家に取り立てられ、江戸時代中頃に千代田区麴町に移ったのが、東京での始まりだといいます。南千住では1912(大正元)年から営業し、現在の建物は54年に建てられました。「砂場」を掲げる店は現在、関東を中心に全国に130軒ほどあるそうですが、都内で江戸時代から続いている老舗の「砂場」は、ここ南千住と、虎ノ門(港区)の2店しかないそうです。

拡大砂場の由来を示すてぬぐい。大阪城築城400年記念事業で作られたという

拡大店内にある砂場の看板

 砂場のそばは、色はやや白く、細打ちの麺が特徴です。長岡さんはそばを打つとき、素材の「声」を聞くことを心がけているそうです。素材をよく観察し、その日の天候を肌で感じながら、素材が輝くポイントを見極めるとのこと。天候や自身の体調など、同じ条件の日はありませんが、そばの完成度は「調子が悪かったでは許されません」と長岡さん。

 お話をうかがって、早く食べてみたくなりました。シンプルなもりそば(630円)をいただくことにしました。そばにはしっかりとコシがあり、箸で持ち上げると長め。つけ汁は濃いめでよく絡みます。とろりとしたそば湯までいただき、大満足でした。

拡大もりそば
拡大南千住砂場店主の長岡孝嗣さん

 変体がなが使われているのは「そば」だけではありません。次回は街で見かける様々な変体がなを紹介します。

(この連載の変体がなの画像は 「Koin変体仮名」 から転載しました)

(桑田 真)

(次回は8月10日に掲載予定です)