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オントロ・グスームの記憶

比留間 直和

 原発事故による放射能汚染の報道で必要が生じたため、見出し専用に「ミリシーベルト」と「マイクロシーベルト」という2組のカタカナ合成字を新設したことを、前回のこのコーナーで紹介しました。いずれも、全角2文字分の大きさに2行でカタカナを並べ、前半と後半(それぞれ全角1字分)に分割してフォントに搭載する、という手法です。「前半だけ」や「後半だけ」では使わない(使えない)のが前提です。

 朝日新聞の新聞製作システムにはさまざまな「単位のカタカナ合成字」がありますが、このように「全角2文字をつなげて表す」という形式のカタカナ合成字は、現在はほかにありません。

 ただ、過去にはこれと同じように、全角2文字を組み合わせるカタカナ合成字があり、紙面でも(しかも見出しではなく本文で)使っていました。昔は時々登場していたのに、最近ではあまりお目にかからなくなった計量単位――「オングストローム」です。

 実際に使った例として、30年前の紙面を引っ張り出してみました。

 

 

 この記事では、「数オングストローム」「一オングストローム」「千オングストローム」といった箇所で「オングストローム」のカタカナ合成字が使われています。

 実はこれ、朝日新聞での「オングストローム」の合成字の用例としては、筆者が見つけたなかで最も古いものです。1982年というと、東京本社がコンピューター組み版に移行して2年ほど経ったころ。朝日新聞がいつからこの合成字をそなえていたのかを示す資料は残念ながら見つかっていないのですが、活版時代の母型帳などにはこの合成字は見当たらないので、コンピューター組み版への移行にあわせて新しく加えられた可能性が高そうです。

 この合成字がどんなつくりだったのかを示したのが下の図です(実際に使っていた文字そのものではありません)。

 

 

 ご覧の通り、全角2文字分をつなげて「4字×2行」で読ませる仕組みです。前半・後半とも、縦組みか横組みかによって字面(カナの配置)が自動的に変わるようにできていました。また、行末と行頭に分かれてしまうときちんと読めないため、「禁則処理」の対象にもなっていました。

 上から下まで(左から右まで)通して読むものを、システムに搭載する都合で途中で分割しているので、前半1字だけ見るとまるで「オントロ」の合成字、後半1字だけだと「グスーム」の合成字であるかのように見えます(そのため、かつて文字担当者の間ではこの合成字に「オントロ・グスーム」というニックネームを与えていました)。もちろん、「オントロ」とか「グスーム」とかいう計量単位は(たぶん)ありません。

 「オングストローム」をふつうに書くと8字もあるので、字数節約を狙って合成字をこしらえたのだと思われますが、本文中に4×2=8字の小さなカナが並ぶと、やはりゴチャゴチャした印象が否めません。

 さらに、上に例として挙げた30年前の新聞は字が今よりもだいぶ小さく、本文用文字の全角1字あたりの面積は、現在使っている基本文字の半分ちょっとしかありませんでした。日常生活では見かけない単位だけに、「これはなんて書いてあるんだろう?」と眉間にしわを寄せながら読んでいた中高年読者も少なくなかったのではないかと思います。

 

■スウェーデンの学者の名に由来

 

 「オングストローム」という単位について、上の記事には「1億分の1センチ」との説明があります。記事によって「1千万分の1ミリ」とか「100億分の1メートル」と表現したこともあります。

 もともとは、19世紀のスウェーデンの物理学者オングストレーム(Ångström/1814~1874)が太陽スペクトルの波長を記載するのにこの長さを単位として用いたのがはじまりで、1907年の国際太陽研究連合で提案され、1927年の国際度量衡総会で承認されました。略号は、スウェーデン語表記の頭文字から「Å」と書かれます。新聞でも記事によってはオングストロームを「Å」で表すことが無いわけではありませんが、その場合も丸カッコで(オングストローム)などと説明を付けないと分かりにくいので、あまり字数の節約にはつながりません。

 「オングストローム」は原子や分子の大きさ、光の波長などを表すのに便利であるため、原子物理や構造化学などで広く使われ、1990年代初めごろまでは朝日新聞でも科学面を中心に時々登場していました。しかし90年代半ば以降、出現頻度がぐっと低くなっています。

 あまり使われなくなった理由としては、国際単位系(SI)の正式な単位ではない、ということがあります。

 我が国の計量単位について定めた「計量法」という法律では、SI単位の使用を原則としたうえで、いくつかの例外を認めています。オングストロームは「用途を限定する非SI単位」のひとつとされ、「電磁波、膜圧、表面の粗さ、結晶格子」の長さの単位として規定されています。

 認められているとはいっても、SI単位に換算するのは容易なので、「オングストローム」にこだわる必要もありません。代わりによく見かけるSI単位が、「ナノメートル」。「ナノ」は「10億分の1」という意味ですから、100億分の1メートルである「1オングストローム」は、「0.1ナノメートル」ということになります。

 朝日新聞の紙面でも「ナノメートル」がよく使われており、こうした微小なサイズを扱う技術を指す「ナノテクノロジー(ナノテク)」という言葉とともに、「ナノ」への傾斜が強まっています。

 

■システム更新に伴い「廃止」に

 

 そんななか、朝日新聞では2000年代半ばに、新聞製作システムをまるごと更新するタイミングがありました。更新を前に、「旧システムからどの文字を引き継ぎ、どの文字を捨てるか」について、筆者らも加わって検討したのですが、使用機会が激減していた「オングストローム」の合成字は、特に異論も出ぬまま「廃止」と決まりました。

 こうした経緯で、朝日新聞の現行のシステムには、「オングストローム」の合成字は搭載されていません。もし記事でこの単位を使うとしたら、素直に全角8文字で「オングストローム」と書くことになります。しかしシステム更新から現在までの約7年の間に、紙面に「オングストローム」という単位が登場したのはわずか2回(いずれも一部地域で掲載)。合成字が無くても、今のところ不便はありません。

 この「オングストローム」の合成字廃止で、朝日新聞のシステムからは「全角2文字を組み合わせて表すカタカナ合成字」がいったん消えました。けれども昨年の原発事故のあと、見出し用に「ミリシーベルト」と「マイクロシーベルト」の合成字を新設したことで、このパターンの合成字が「復活」したわけです。

 システム更新時の経緯にかかわりのある筆者らにとっては、「ミリシーベルト」「マイクロシーベルト」の見出し用合成字は――あくまでスタイル上の話ですが――「オントロ・グスームの再来」でもあったのでした。

 

         ◇

 

 「オントロ」と「グスーム」に分割されたカタカナ合成字は、新聞社だけのものではありません。パソコンなどで主流となっている文字コード「Unicode」にはさすがに定義されていませんが、日本語フォントには「オントロ」と「グスーム」の合成字が含まれているものがあります。DTPソフトなど必要な環境を整えれば、かつて朝日新聞が使っていたのと同様、全角2字分で「オングストローム」を表すことが可能です。

 ただ、フォントの字面だけ眺めても使い方はすぐには分かりませんから、もしかすると、片方だけの字面を見て「このオントロって何だろう」とか「グスームなんて単位、聞いたことない」と不思議に思っている人もいるかもしれません。

 万一お近くにそういう方がいたら、どうぞ教えてあげてください。オントロ・グスームの正体を。

(比留間直和)