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文字

観字紀行

あなたのそばに変体がな(2)

桑田 真

 変体がなを探して街を歩く今回の観字紀行。前回取り上げたそば屋の看板やのれんのほかにも、変体がなが使われているところはたくさんあります。

拡大2文字目が変体がなの「な」=東京都千代田区
拡大「う」はウナギの姿をかたどっている。大正13年創業の老舗=東京都大田区

 「 」と並んで街中でよく見かけるのが、うなぎ屋の看板の「う ぎ」という表記です。2文字目は「ふ」ではなくて、「奈」をくずした変体がなです。普段使っている「な」も「奈」からできた字ですが、2画目と3画目を離して書くと「な」、続けて書くと「 」となります。右の写真では、「う」の字がうなぎの絵のようになっています。

拡大96段ある此経難持坂=東京都大田区

 前回は東京・池上の「千歳屋」のそばをご紹介しましたが、せっかくなのでその後、本門寺にお参りをしました。参道を進むと、加藤清正が寄進したという石段、此経難持坂(しきょうなんじざか)が出迎えます。この日は快晴で30度近くまで気温が上がっており、汗が噴き出てきます。96段あるという石段をやっとの思いで上りきると、無数に取り付けられた風鈴の涼しげな音が聞こえてきました。

拡大日蓮の石像
拡大三代目中村歌右衛門の石碑
拡大肖像画が描かれています

 境内に入って右手の広場には、日蓮の巨大な石像がありました。高さは3.4メートルあります。その近くに、江戸時代の歌舞伎役者、三代目中村歌右衛門の石碑を見つけました。上方歌舞伎の女形スターで、江戸の舞台でも大人気だったそうです。百年忌にあたる1936年に、五代目歌右衛門と初代中村吉右衛門によって建てられたといい、上部には肖像も彫られ、その業績をたたえています。

 「寛政 天保に至 徳川十一代家斉時代 封建社会文化 爛熟期に 其間名優 輩出 ……」

(寛政より天保に至る徳川十一代家斉時代は封建社会文化の爛熟期にして其間名優の輩出したるもの)

と、変体がながふんだんに使われていました。

 本堂にお参りをして、境内を歩いていると、ちょっと変わった漢字を発見しました。本門寺の山号は「長栄山」といいますが、下の写真の木札にある「栄」は上の部分が「士」を二つ並べた形になっています。いくつか漢和辞典を引いてみましたがこの字は載っていません。笹原宏之・早大教授によると、「栄」の旧字「榮」の「火火」の部分が、毛筆で書かれたことでつながったためにできた異体字と考えられるそうです。

拡大栄の上部が「士士」の形に
拡大本門寺の本堂

拡大「おみくじ」返納処

 こんな字も見つけました。引いたおみくじを結んでおく 「御 返納處」 。最初の2文字で「おみくじ」と読ませるようです。本来「くじ」という字は 「 」 で、「鬥」(たたかいがまえ)の中に「亀」の旧字体「龜」を書き、画数は26にもなります。前シリーズ 「南紀、熊野、ときどき漢字」第2回 で、和歌山県串本町の地名「鬮野川」(くじのかわ)として登場しました。ここに書かれている (門の中に亀、19画)とは違う字なのですが、書きやすさからこの形になったのでしょうか。

拡大「こ」が変体がなです
拡大千代田区神田須田町の「竹むら」
拡大クリームあんみつ。器やお盆もしゃれています

 千代田区の「神田 まつや」の近くにも、変体がなを使ったすてきな看板のお店がありました。靖国通りからひとつ通りを入ったところに店を構える「おしる  竹むら」。 は「古」をくずした変体がなで「こ」と読みます。

 80年以上続くという甘味どころの店内には、小上がりと、テーブルが5卓ほど。7月から切り替わった夏メニューの中から、「クリームあんみつ」(730円)をいただきました。バニラアイスと黒蜜の甘み、赤エンドウ豆の塩味がきいていて、スプーンが進みます。社長の堀田喜久雄さんは「最近はこういうお店がすっかりなくなってしまった」と寂しそうでしたが、カフェやファストフード店が全盛の中、昔ながらの風情を残す甘味どころは、地域になくてはならない存在ではないかと感じました。