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文字

観字紀行

あなたのそばに変体がな(3)

桑田 真

拡大秋田の日本酒「秋の田」

拡大スーパーで見つけた「おでんこんぶ」。「で」が変体がな

 地酒コーナーでは「秋 田」という日本酒を発見。「 」は「乃」が「の」になる一歩手前の形です。その名の通り、秋田県大仙市のメーカーのお酒です。わかりやすいネーミングに秋田をアピールしようという意志を感じますが、これは県外向けの名前です。秋田県酒造組合のホームページによると、県内では松声(しょうせい)という名前で売られているそうです。2011年には国際的なコンテスト「第5回インターナショナル・サケ・チャレンジ」で純米吟醸部門最高賞を受賞しています。

 食べ物だけではありません。文房具店で「 ゆら」(たまゆら)という名前のついた便箋(びんせん)を見つけました。「 」は「多」、「 」はふだん使っている「ま」に近いですが、一歩前の形です。「ゆ」も、漢字の「由」の形が残って角ばっていて、変体がなと言っていいかもしれません。

 同じメーカーでは、バラのイラストと「野いばらの赤きが招く珈琲屋」という句が書かれたはがき箋もありました。書道では、「ば」を「 」、「が」を「 」のように変体がなにして書くことがあります。

拡大毛筆用便箋「たまゆら」。20枚つづりで525円
拡大バラと毛筆の句があしらわれたはがき箋

 私たちの生活の中には、変体がなが今も根強く残っています。実は、使い慣れているかなと変体がながはっきり区別されたのは、それほど昔のことではありません。

拡大小学校令施行規則。「第一号表」にかなの字体が示されている=国立国会図書館ウェブサイトから

 漢字が大陸から日本に伝わったのは遅くとも1世紀とされています。現代における変体がなの用例などが掲載されている「図説かなの成り立ち事典」によると、5世紀ごろから、漢字の意味とは別に、日本語の一つの音に対して漢字を1字あてて記すようになりました。奈良時代に成立した万葉集では、このような「万葉仮名」が約1千字用いられています。この中でも、画数が少なく書きやすい字がよく使われるようになります。同時にこれらの漢字が徐々に簡略化されてひらがなやカタカナが形成され、10世紀ごろには現在の形に近いかなが使われていました。11~12世紀(平安時代後期)にはかなのもとになる漢字は300字ほどとなり、以後近代に至るまで、日本人は一つの音に対して複数のかなを使い続けてきました。

 現在のかなの字体が定められたのは1900(明治33)年、「小学校令施行規則」によります。義務教育で習うかなの字種と字体が示され、これ以外はイレギュラーな字、「変体がな」とされました。

 取材を始めるまで、私は変体がなをまったく読めませんでした。「 」にしても、「そば屋にあるのだから、そばと書いてあるのだろう」という程度の認識でした。なじみのなくなった変体がなを、今も使うのはなぜなのでしょうか。変体がなを用いる効果について、「図説かなの成り立ち事典」の著者、筑波大学大学院の森岡隆教授(日本書道史・仮名書法)は「江戸時代の寺子屋や、明治前半までの小学校では変体がなが常用されていた。古くからの商家ののれん等に変体がなが用いられていたのは当然で、『のれん』を守りつつ、そこに記された字も守ってきたのだろう。菓子の名前なども、読みを示す単なる文字(記号)としてではなく、商標のごとく大切に扱ってきた代々の思いがうかがえる」といいます。また、「変体がなが『和モダン』とも言えるようなイメージ的な効果をもって受け入れられているのであれば、今後も重宝される場があり、新たに用い始められることもあるだろう」と話しています。

 日本語は漢字やかな、ときにはアルファベットを使い分けて書き表します。同じ事柄であっても表記が異なれば、私たちはそれぞれの文字が醸し出す雰囲気や「味」を感じ取ることができます。変体がなも独特の味わいを持っています。今回歩いたのは都内の狭い範囲で、紹介した変体がなもごく一部です。みなさんの街の商店街の看板に、デパ地下のお菓子の包装紙に、見慣れない文字を見つけたら、それは変体がなかもしれません。立ち止まってしばし眺めれば、日本語の表現力の奥深さに触れることができるのではないでしょうか。

拡大明治時代の朝日新聞でも、変体がなが使われていた。赤く塗った字が変体がな=1880年8月31日付の大阪朝日新聞1面から

(終わり)

(この連載の変体がなの画像は 「Koin変体仮名」 から転載しました)

(桑田 真)

「あなたのそばに変体がな(1)」は こちら 、「(2)」は こちら です。