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朝日字体の時代 2

比留間 直和

 朝日新聞が2007年1月まで半世紀以上にわたり使ってきた略字体=「朝日字体」。戦後、国が字体基準を示さなかった表外漢字に、当用漢字(のち常用漢字)の略し方を適用して設計したものです。こうした略字体は、一般に「拡張新字体」とも呼ばれています。

 昭和30年代前半、朝日新聞ではそれまで東京や大阪など本社ごとにばらばらだった活字を統一的に整備するため、新聞製作に必要な4000の漢字(当用漢字を含む)を選び、活字設計の基準となる社内資料を作成しました。それが、前回紹介した「統一基準漢字明朝書体帳」です。

 今回から、この「書体帳」の中身を見ながら当時の朝日字体の状況などを振り返ってみたいと思います。

 

■存在する四つの版

 

「統一基準漢字明朝書体帳」第3版の表紙拡大「統一基準漢字明朝書体帳」第3版の表紙
 「書体帳」には、筆者が確認した限り、以下の四つの版が存在します。

 ①「昭和三十一年十二月」と表紙に記載
 ②「昭和三十二年十月」と表紙に記載
 ③「昭和三十三年二月(2版)」と表紙に記載
 ④「昭和三十五年九月(3版)」と表紙に記載

 このうち、③と④は、三つ目と四つ目のはずなのですが、上記のとおり「第2版」「第3版」という扱いになっています。

 ③「第2版」と④「第3版」の表紙見返しには、それぞれ「書体帳第2版発行について」「書体帳第3版発行について」と題する説明が掲載されており、次のような文言で始まっています。

 
 昭和三十年度より研究に着手した統一書体帳作成は、各本社担当者や識者の協力を得て、三十二年十月に初版を発行し……
 

 

 この説明では「初版」は昭和32年10月発行としており、つまり上記四つの版のうち②を指しています。だとすると、その前に作った①は、正式なものではなく、それに向けた試案のようなものだったのかもしれませんが、そのあたりの経緯ははっきり分かりません。①と②では一部内容が異なっており、単に日付だけ変えて刷り直したものでないことは確かです。ここでは仮に①を「初版A」、②を「初版B」と呼ぶことにします。

 ※ 以下、書体帳の画像は原則として「第3版」を掲げます。

 次に「作成についての説明」があり、使用頻度を基本に、辞書類を参考としながら4000字を選んだことや、表外漢字への略字採用の方針、新字体にあわせた部首新設の経緯などが述べられています。
 多くの漢和辞典では康熙字典の「214部首」やそれに近いものが使われていますが、この書体帳では当用漢字の新字体にあわせて部首の分け方を大きく変えており、新設部首14を含む153の部首が、続く「部首索引」のページに掲げられています。

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(右から順に) 表紙見返し、作成についての説明、部首索引

 
 ところで、この書体帳に収録された「4000」という漢字の数は、多いのか、少ないのか。一般社会で使用する漢字の範囲として制定された1850字の当用漢字に比べると2倍以上ですが、当用漢字表は固有名詞の表記は基本的に対象外であり、人名や地名が頻出する新聞はそれではとても間に合いません。
 当用漢字と対照的に、「固有名詞も含め、必要な文字は網羅する」という方針で作られた文字集合のひとつがJIS漢字です。JIS漢字は1978年の最初の規格で既に6349の漢字が収録されており、それと比べると書体帳の4000字はだいぶ少なく見えますが、これはあくまで新聞活字を日常的に整備するための便宜的なリストであり、「ほかの字は全く使えない」というわけではありません。活字を半分に削ってへんとつくりを組み合わせる「作字」も時々あったといいます。
 当用漢字とJIS漢字の中間にあたる4000という字数は、当時の新聞製作における作業効率と利便性のバランスをよく考えた結果だったのだと思います。

 

 さて、いよいよ書体帳の本体部分です。当時の朝日字体や、ちょっと目を引く字をピックアップしていきましょう。

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 まずは1ページ目。【 】で囲まれているのが部首で、(外字)とあるのは当用漢字以外の字、つまり当時の表外漢字です。ただし、新聞では1954年に国語審議会漢字部会がまとめた「当用漢字補正資料」に基づき28字の入れ替えを実施していたため、本来の当用漢字表とは異なっています。

 このページで目につくのは、まず3行目の  。左上の部分が当用漢字の「雅」「芽」「邪」に含まれる「牙」と同じスタイルで作られており、小さな字体差ですが「朝日字体」の一例です。2000年の国語審答申「表外漢字字体表」でいわゆる康熙字典体の「」が印刷標準字体とされ、さらに2010年には改定常用漢字表にこの形で追加されたため、朝日新聞でも2010年10月から康熙体に変更しました。

 同じ行の  は、初版Aから第2版までは  という字体で掲載されていたのが、第3版で当用漢字の「極」のつくりと同じ設計に変わりました。当用漢字に合わせて新たに作ったというわけではなく、もともとその方が一般的な活字字体でした。

 その行のいちばん下にある  は、ちょっと変わった形をしています。上の横棒のすぐ下の左右の点々は、ふつうは「ハ」のように下に開いているのですが、この活字では「ソ」のように下が閉じています。

 「爾」は当用漢字ではありませんが、この書体帳が作られるよりも前の1951(昭和26)年には人名用漢字(当用漢字以外で、生まれた子の名に使える字)になっており、そこでは旧来の「ハ」の字体で示されていました。にもかかわらず、朝日新聞では「ソ」の形で活字を作っていました。
 当用漢字の字体を定めた「当用漢字字体表」(1949年内閣告示)では、印刷字体と筆写字体とをできるだけ一致させることをうたい、「半」や「平」など、旧来の活字が「ハ」の向きに作られてきたものを、一般的な筆写字体に従って「ソ」の形に変えました。
 朝日新聞の社内でこの字がどのように検討されたのか詳細は定かでありませんが、表外漢字の「爾」も手書きではしばしば「ソ」の形に書かれたことから、人名用漢字として示された「ハ」の形に厳密に従うことはせず「ソ」の形を採ったものと思われます。ただ、その後社外から指摘を受けるなどしたため、1991年8月に人名用漢字と同じ「ハ」の形に修正しました。
 (実は「爾」だけでなく当用漢字の「璽」についても同様の字体設計をし、やはり90年代初頭に修正しました。当該ページのところで改めて触れるつもりです)

 

■「4000字」にはJIS外漢字も

 

 略字ではありませんが、次の【丨】のところには  が入っています。「風ボウ」のボウなどで使われる字ですが、JIS第1・第2水準に入っていない、いわゆるJIS外字です(2000年制定のJIS X0213で第3水準に収録されました)。6300を超えるJIS第1・第2水準漢字に入らなかったものが、この4000字に入っていたのは興味深いところです。ただ、この字についていえば、その後の使用頻度はかなり低かったと思われます。

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 2ページ目にいきます。

 これも略字ではありませんが、最初の行の末尾にある  は何の字か分かるでしょうか。単独だとすぐにはピンとこないかもしれませんね。ヒゲぼうぼうで知られる、中国の厄よけの神様「鍾馗(しょうき)」の「馗」です。「鍾馗」ぐらいでしか使わない字なので、4000字にはぎりぎりで入ったのかな……と思って調べてみると、戦時中は「鍾馗」がたびたび紙面に登場していました。旧日本陸軍の戦闘機の名称だったためです=下の記事参照
 戦時中に比べ、戦後は「馗」の登場頻度はかなり低くなったはずですが、この書体帳を作成した昭和30年代前半は、まだ戦闘機の名として多くの人に記憶されていたのではないでしょうか。

 書体帳には、この「馗」以上に「よく4000字に入ったなあ」と思うものがいくつかあります。4000字の全体像や個々の文字の選定については、あとでまとめて分析してみたいと思います。 

 

 【亠】のところにある  は「リン議書」のリンですが、康熙字典体は下がのぎへんの「稟」で、現在は朝日新聞もその字体を使っています。当時、示の「禀」を採ったのは、当用漢字の略し方とは関係がなく、活字ではこの形が以前からよく使われていたためです。当用漢字にあわせた略字という意味での朝日字体には当たりません。

 一方、同じ行の下にある  は新島襄などの「襄」の略字で、紛れもなく朝日字体です。当用漢字の「孃→嬢」「釀→醸」「讓→譲」、人名用漢字の「穰→穣」と同じ略し方です。
 この略字は一般の人名などにも用例がみられることから、2000年制定のJIS X0213で第4水準に収録されました。そのため、Vista以降のWindowsや、Mac OS Xの標準フォントには(康熙体の「襄」とは別に)搭載されています。
 朝日新聞がコンピューター組み版を取り入れた最初のシステムでは、「襄」の康熙体と略字体の両方がありましたが、現在のシステムで常備しているのは康熙体の「襄」だけになっています。

 次の行にある  は「推敲」のコウ。つくりの「攴」の形がやや特徴的ですが、これは当用漢字の字体とは関係がありません。1994年9月に一般的な字体(つくりの縦棒が又の中央につく)に修正されました。

 このページの最後の行にある  と  は、それぞれ「兪」と「愈」の朝日字体で、当用漢字の「愉」「諭」「輸」の新字体にならったものです。2007年1月に康熙体の「」と「」に変更しました。

 その下の  は「館」の異体字ですが、よくある「舘」と違い、左半分が下でなく上に突き抜けた「舎」になっています。当用漢字で「舍→舎」「舖→舗」となったのに合わせたもので、「異体字の新字体」といったところです。
 しかし当時の新聞では固有名詞でも食へんの「館」を使うのが原則であり、限定的にしか使わない異体字を新字体に設計してもあまり意味はありません。結局、1990年4月からは一般的な「舘」の字体に変更しました。
 「当用漢字の略し方を表外漢字にも適用する」といっても、どこまで/どのように適用するか、個別にみていくとそう単純な話ではない。その一端が見て取れる事例です。

 (つづく)

(比留間直和