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朝日字体の時代 3

比留間 直和

 このシリーズでは、1950年代から2007年1月まで朝日新聞が使ってきた表外漢字の略字体を「朝日字体」と呼んでいますが、世間にはこれを「朝日文字」と呼ぶ人もいます。

 

■朝日文字?朝日字体?

 

 例えば、JIS第1・第2水準(X0208)1997年版の規格票。末尾の「解説」の一部として「参考表 各実装字形差一覧」という表が載っているのですが、その説明の中に「朝日新聞社の標準的変換表に基づく明朝体書体であるいわゆる“朝日文字”」という記述があります。朝日独自の略字体というよりも、もう少し広く「朝日新聞の文字」を指しているようにも読める書き方ですが、公的性格をもつ文書に「朝日文字」という言葉が載った数少ない(もしかすると初めての)例です。

 その後、JIS漢字の改正原案策定メンバーらが編集した「JIS漢字字典」(日本規格協会)には「拡張新字体と朝日文字」というコラムが掲載されました。こちらは「朝日新聞による拡張新字体は朝日文字と呼ばれる」と、はっきり“朝日独自の略字体”と限定して「朝日文字」という言葉を使っています。

 しかし筆者が知る限り、朝日新聞がこれらの略字体を自ら「朝日文字」と呼んだ形跡はありません。過去の紙面で「朝日文字」という言葉が登場したことはありますが、「朝日新聞の文字」といった意味であり、字体ではなく書体(書風)や文字サイズを紹介する文脈でした。

 下の画像は、1981年7月13日付朝刊別刷りの見開きページです。同月20日からの文字拡大(15段制で1行あたり15字から14字へ)にちなんだ特集で、「朝日文字の軌跡」と見出しに大きくうたっていますが、表外漢字の略字体に関する言及は見あたりません。

拡大1981年7月13日付朝刊別刷り

 
 新聞紙面や社内文書で、朝日新聞の字体、とくに独自の略字体を指すときは「朝日字体」と言ってきましたので、ここではそれに合わせて引き続き「朝日字体」という言葉を使います。社外の方々がどう呼ぶかについて注文をつける意図はありませんのでご了解ください。

         ◇

 さて前回に引き続き、「統一基準漢字明朝書体帳」第3版(1960年9月)の中身を見ながら、当時の朝日新聞の活字字体を振り返ります。前回は1ページ目と2ページ目をご覧いただきました。

 3ページ目には、にんべんの字がどっさり載っています。

拡大p3
 まずは 。中国古代の長さの単位で、「千ジンの谷」のジン(千尋の谷とも)です。伝統的な活字字体は、点が刀の左側にある「仞」で、そのほか「仭」という形も以前からありましたが、戦後の朝日新聞は当用漢字(のちの常用漢字)のヤイバが「刃」となったのに合わせました。現在は「仞」の形を使っています。

  は、「倅」(せがれ)を当用漢字の「碎→砕」「醉→酔」などに倣って略したもの。ただしこの「伜」の活字も明治期から一般に使われていたようです。
 なお、「倅・伜」を「せがれ」に当てるのは日本語独特の用法で、漢和辞典によれば、もとは「そえ(副)」とか「百人の兵士一組」といった意味の字です。JIS第1・第2水準内に「倅」と「伜」の両方があり、新聞製作システムでも両方が搭載されていますが、2007年1月以降は「倅」を使うことにしています。

 そのすぐ下の は、「傴」を略した朝日字体。鴎と同じパターンです。「身をかがめる」などの意味で、2007年1月以降は「傴」に変更しましたが、いずれにせよ現代の新聞ではほとんど登場しない字です。

 同じ行にある を見て「なんだ、この字は?」と思われたかもしれません。佞臣(ねいしん)の「佞」をこの形に作っていました。「帝」「音」などはかつて活字ではのように設計され、戦後「なべぶた」の形になったのですが、これを「佞」にあてはめたものと思われます。しかしこの字体は無理があったようで、表外漢字全体の見直しよりも早く、1994年9月に一般的な「佞」の形に変更しています。

 次の行の は「儘」(まま)を当用漢字の「盡→尽」に合わせて略した朝日字体。JIS第1・第2水準内に「儘」と「侭」の両方が入っており新聞製作システムにも両方の字体がありますが、2007年1月からは「儘」を使うのを原則としています。

 は、当用漢字の「兩→両」に合わせて略した字体。「技倆(伎倆)」のリョウですが、現代では「技量」と書くため、引用や文芸作品以外ではあまり使われません。2007年1月以降は「倆」の形にしています。

 は「俠客」「義俠心」のキョウ。康熙字典体は「俠」ですが、2007年1月までは「狹→狭」「峽→峡」と同じ略し方の「侠」を使っていました。
 JIS第1・第2水準内には1983年の改正以来、略字の「侠」しかなく、康熙字典体の「俠」はJIS第3水準にあるため、ネットでは今も略字の「侠」が多く使われています。

  は、「俘虜」のフ。康熙字典体はつくりの上部が「爪」ですが、当用漢字の「浮」などと同じように「ノ+ツ」にしたものです。2007年1月に康熙体に変更しました。

  は倶楽部のク。康熙字典体は ですが、当用漢字の「具」が「切れた形」になったのに合わせました。ただしこれは朝日独自というわけではなく、諸橋大漢和も切れた形の「倶」を掲げており、また実際の印刷文字としてもよく使われてきたため、表外漢字字体表(2000年国語審答申)では「表外漢字だけに適用されるデザイン差」として「どちらの形でもよい」という扱いになりました。朝日新聞では現在も切れた形の「倶」を使っています。

 どんどんいきましょう。 は接続詞の「さて」に使われる字で、当用漢字の「者」「諸」などの新字体に倣って点を外した略字体。 は「曉→暁」「燒→焼」、 は「卷→巻」、 は「樓→楼」「數→数」に、それぞれ倣った略字体です。いずれも2007年1月から康熙字典体に変えています。

 (かしずく) は、この「統一基準漢字明朝書体帳」が版を重ねる途中で形が変わった例です。四つの版(前回を参照)のうち「初版A」「初版B」「第2版」の三つでは、「」などに倣った でしたが、この第3版では康熙字典体に戻りました。今となっては当時のくわしい経緯は分かりませんが、もともと「傅」は、「伝」の旧字である  と混同しやすい字なので、あるいは「略字体にしてしまうとよけい紛らわしくなる」と考えたのかもしれません。

  は「」「」に倣った略字体。2007年1月に康熙字典体の  に変えました。

 (はかない) は画像がちょっと見にくいのですが、つくりは「夢」の新字体と同じで「3画くさかんむり」。一方、漢和辞典が掲げる康熙体は 。しかし実際の活字は明治期から右上が「3画くさかんむり」の形が一般的であり、つまり朝日独自の略字体というわけではありません。現在もこの形を使っています。

 にんべんの最後の行にある  はそれぞれ「諸」「難」の新字体に合わせた略字で、やはり2007年1月に康熙体に変更しています。

 

拡大p4
 4ページ目にいきます。

 最初の行のは、「兌換」のダ。「悅→悦」などと同じように点の向きを変えただけですが、この字を「ソ」の形にしてしまうとずいぶん印象が変わります。2007年1月に康熙体の「兌」に変更しました。

 【八】のところにある は、康熙体はですが、当用漢字の「券」などに倣って上部の「ハ」を「ソ」の形にしたもの。その後1990年に「ソ」の形で人名用漢字に入ったため一般にもこれが標準の字体になり、そのまま2010年の改定常用漢字表にも入りました。

  は、「昌平黌」や「済々黌」のコウ。康熙体は下半分の「黄」の部分が旧字体ですが、朝日新聞では2007年1月まで、この部分を新字体の「黄」にしていました。上半分は「学」の旧字体「學」と共通するのですが、さすがにこの字については上半分を に略しはしませんでした。

 少しとんで、【冫】のところにある は、つくりの牙の形を当用漢字の「芽」「雅」「邪」とそろえた字体。その後、1976年にこの形で人名用漢字になったため、一般にもこの字体が標準になっています。

  は「凋落」のチョウ。康熙体は  ですが、当用漢字の「周」や「週」の新字体に合わせました。2007年1月から康熙体に変えています。

  は、漢和辞典が標準として掲げる「凜」とは異なる字体ですが、これは当用漢字の字体に合わせたわけではなく、かつては「凛」のほうが活字字体として優勢だったことによるものです。1990年に「凜」が人名用漢字になってからは、朝日新聞も「凜」を使うのを原則にしています。
 「凜」と「凛」については以前「その右下が悩みのタネ」(2011年7月18日)に詳しく書きましたので、そちらをご参照ください。

(つづく)

(比留間直和)