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観字紀行

「つまごい」を訪ねて(1)

町田 和洋

 「妻恋」「嬬恋」「つま恋」。よく似た名だが、遠く離れた地にある。どんなつながりがあるのか、ないのか……。訪ねてみると、いずれも伝説や歌に由来する、恋人や大切な人への切ない思いにつながっていた。

拡大神田明神の山門
 最初に訪ねたのが、東京都文京区湯島にある妻恋神社だ。JR御茶ノ水駅から聖橋を渡って、野村胡堂の「銭形平次捕物控」によく登場する神田明神を右手に見ながら北上する。

拡大妻戀神社の案内板
 10分ほど歩いただろうか、「清水坂下」の交差点を過ぎたあたりで「關東總司 妻戀神社」の案内板が目に入った。

拡大妻恋神社の石鳥居
 案内に従って路地に入ると、「妻戀神社」の扁額(へんがく)のかかった石の鳥居に出合う。石段の上を見上げると、ビルに囲まれるようにして、こぢんまりした社が見えた。

拡大妻恋神社の由緒書き
 この神社、日本神話の英雄、日本武尊(やまとたけるのみこと)とその妃(きさき)、弟橘媛(おとたちばなひめ)の2人を祭っているという。いつできたのかははっきりしないらしいが、由緒は、三浦半島から房総へ渡るとき遭難しかかった日本武尊を守るため、弟橘媛が海に身を投げたという「入水伝説」〈注1〉にまでさかのぼるそうだ。

 氏子の増田克己さん(76)、岩金靖夫さん(72)らに聞いてみた。
妃のおかげで尊は無事、父の景行天皇に命じられた東北への遠征を果たし、その帰途、湯島の地にやってきたのだという。「尊が立ち寄ったころは湯島の台地近くまでが海で、この地から妃が身を投げた海を望見して『妻恋し』とその死を嘆いた」と伝わっているそうだ。尊が妃を思う心をしのび、2人を祭ったのが妻恋神社のはじまりなのだ。

拡大鳥居にかかった扁額
 鳥居にあった「戀」は恋の旧字体。福島県喜多方市の刻字家で「漢字の気持ち」などの著書がある高橋政巳さん(66)によると、「言」の左右を「糸」に挟まれた「戀」は、「言葉」が「糸」に絡まるようにしてなかなかでてこないもどかしさを表しているという。コミュニケーションの手段も限られていた古代の人たちの切ない気持ちがこもった字のようだ。
 それを略した俗字が普段使っている「恋」で、1946年に当用漢字になった。高橋さんによると、「恋」の「亦」は人が両脇にものを抱えている姿を表しているとのこと。「お金のあるAさんか、外見のよいBさんかと揺れる現代人の『二股の心』という意味にも取れ、『戀』から『恋』への変化は、偶然にしてはできすぎなほど」という。

拡大妻恋稲荷
 石段を上って境内に入ると、正面に赤い鳥居が立ち奥に小さな祠(ほこら)があるのだが、「妻恋稲荷」とある。
 文京区教育委員会の由緒書きによると、「江戸時代、妻恋稲荷(いなり)と呼ばれ、関東惣社(そうじゃ)と名乗り、王子稲荷(東京都北区)と並んで参拝人が多かった」そうだ。ここでも登場するのが日本武尊。尊の軍がこの地で野営し立ち去る時に糧米の稲を置いていったという伝説がもとになって、「稲置(いなぎ)社」「飯成(いいなり)社」として、穀物の神様を同じ境内に合わせ祭ったのだという。