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観字紀行

「つまごい」を訪ねて(2)

町田 和洋

拡大嬬恋村の南にそびえる浅間山
 「つまごい」をめぐる旅の2回目は、群馬県の嬬恋(つまごい)村に足を延ばしてみた。県北西部を走るJR吾妻(あがつま)線に乗る。利根川の支流である吾妻川に沿うように、渋川(渋川市)―大前(嬬恋村)間の約55キロを結ぶローカル線だ。5月下旬、上越線経由で高崎駅から乗り入れる早朝の列車は通学の高校生でにぎわっていたが、群馬原町駅を過ぎるころには乗客もまばらになった。吾妻郡ののどかな風景が車窓に続く。

拡大吾妻川の標識にはぐんまちゃんが
 JRの路線名や川の名前など、この地域のあちこちに顔を出す「吾妻」。実は前回訪ねた東京・湯島の妻恋神社と同じく、日本書紀などにある弟橘媛(おとたちばなひめ)入水伝説につながっている。やはり、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰路にこの地に立ち寄ったという故事に由来するという。東京では、媛が身を投げた海を湯島の台地から遠望しながら、尊が「妻恋し」と嘆いたと伝わっていた。こちらでは、尊が山に登り東南を望んで「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)と3度嘆いたと伝わっている。この山より東の地を吾嬬国(あずまのくに)と呼ぶようになったという記述がやはり日本書紀にある。

 この伝説の吾嬬が吾妻に転じて地名として残った。明治期の歴史地理学者、吉田東伍(1864~1918)がまとめた「増補 大日本地名辞書」(冨山房)によると、吾妻の読み方は「あがつま」「あづま」の両方があったようだ。また、異説として「吾妻は県(あがた)の端(つま)か、または県約(あがたつまり)の義」とし、「山あいの奥まった地を指す」という語釈もある。

拡大いざ鳥居峠へ
 では、尊が「吾嬬者耶」と3度嘆いたという場所はどこなのか。日本書紀では碓日嶺(うすひのみね)とされている。それが群馬県安中市と長野県軽井沢町の県境の碓氷(うすい)峠なのか嬬恋村と長野県上田市との県境の鳥居峠なのかは意見が分かれるそうだが、吾妻線を長野原草津口で下車してレンタカーで鳥居峠を目指してみた。

拡大鳥居峠は群馬・長野県境
 吾妻川沿いに走る国道144号を西へ、万座・鹿沢口駅や嬬恋村役場のある大前を過ぎてさらに30分ほど走ると鳥居峠に着く。国道脇に「鳥居峠」の碑が立っていた。黒御影石製で大人の胸ほどの高さ、「標高1362米(メートル)」とある。裏には「この峠は、昔碓日嶺(うすいみね)といわれていたが、現在は鳥居峠と称している」と書かれていた。この峠から北へ延びる登山道は吾妻山・吾嬬山(あがつまやま)とも呼ばれる四阿山(あずまやさん=標高2354メートル)への入り口になっている。