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観字紀行

峠の入り口はうちの庭~会津若松巨木の旅 番外編

森 ちさと

 これから舟子峠を越えるはずなのに、この先はなぜか下り坂。どういうことなのか聞いてみると、びっくりするお答えが。
 「旧街道はうちの庭を通って、峠に続いているんですよ」

拡大舟子峠の入り口は白岩さんの庭にある
 案内していただくと、広いお庭の奥に、山へと続く細い道がありました。
 「うちは江戸時代から、参勤交代などで峠に向かう前と、峠を越えてきた後の、準備場所であり休息場所だったんです。峠の入り口にある家はうちだけですから、昔から現在まで『一軒家』と呼ばれています」
 一軒家?? ちょっときょとんとしてしまいました。

 「一軒家」というと、私は「集合住宅ではない独立の家屋」、つまり一戸建ての意味で使ってきました。しかし辞書で調べてみると、「あたりに家がなく、一軒だけ建っている家」(広辞苑)という意味がありました。辞書によってはこちらの意味が先に書かれているものも。恥ずかしながらまったく知りませんでした。たしかに白岩さんのお宅まで来る間、少なくとも数百メートルは家屋を見かけませんでした。しかも、一般名詞ではなく、白岩家を示す固有名詞として使われていることがおどろきです。

拡大馬をつないだという石
 当時使われていたものはほとんど整理してしまったとのことですが、「これだけは名残として取っておいたんです」と見せていただいたのはこちら。馬をつないでおくための石です。上の方にある穴に綱を通したようですが、石自体があまり大きくありません。日本の馬は、現在の競走馬よりもかなり小さかったといいますが、それでもこのくらいの石なら簡単に引きずっていってしまいそうです。みんな、よくしつけられていたということでしょうか。会津は、馬と共に暮らす「曲屋(まがりや)」が大切にされてきた地域です。馬への特別な思いも垣間見えたように思いました。

拡大上小塩一里塚
 当初の目的だった一里塚は、白岩さんのお宅から200メートルほど戻った場所にありました。うっそうとした森の中、埋もれるように柱が一本立っています。

拡大いにしえの旅人は、この石に座って一服したのか
 当時のものかは分かりませんが、柱の手前にはなんとか腰掛けられるくらいの石がありました。旅人はかつて、川の音を聞きながらここで休んで、峠に向かい、また峠を無事越えられたことにほっと一息ついて、旅立っていったのだろう。そんな想像をかきたてられる、静かな森の風景でした。

 今回の取材では、会津藩や戊辰戦争にまつわる、すぐそばに歴史を感じられるような生々しい話もたくさん聞きました。巨木が導いてくれた旅。それは、巨木が見てきた人と言葉をたどるような旅でした。

(森ちさと)

 

(次回は8月23日に、「『つまごい』を訪ねて」の第3回を掲載します)

「2頭の蚕を探して~会津若松巨木の旅(1)」はこちら
「易しく優しい神社の蚕~会津若松巨木の旅(2)」はこちら
「塩はどこに~会津若松巨木の旅(3)」はこちらです。