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朝日字体の時代 6

比留間 直和

 朝日新聞が戦後、自社の活字設計の基準として作成した社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」を見ながら、かつて紙面で使っていた独自の略字体(朝日字体)を振り返るシリーズの6回目です。

拡大1986年発行の「朝日新聞の漢字用語辞典」(旧版)
 ふつう、新聞社が使っている活字字体の全体像を読者が知る機会はなかなかありませんが、新聞紙面とは別に、朝日字体をいちどにたくさん見ることのできる書籍がかつて市販されていました。1986年に発行された「朝日新聞の漢字用語辞典」です。当時の朝日新聞社用語幹事が編集にかかわった用字辞典であり、なおかつ自社の新聞製作システムを利用して作ったため、新聞と同じ「朝日字体」で印刷されました。

 活字総数見本帳ではないため全ての字がカバーされているわけではありませんが、80年代半ばにおける朝日字体の姿が記録された貴重な資料です。あとで具体例も登場しますが、このシリーズで紹介している書体帳とは略し方が異なっている字もあります。

 なお、現在市販されている「朝日新聞の漢字用語辞典 新版」(2002年)も朝日新聞の書体を使って作られていますが、こちらは漢字の字体は一般的なものになっています。通常の利用法であれば、もちろん今の版がおすすめですが、かつての朝日字体をじかに味わいたいというかたは、古書店や図書館で旧版を探してみてはいかがでしょうか。

 

         ◇

  

 では前回に引き続き、書体帳の10ページから見ていきます。今回も、書体帳の四つの版のうち最後のものである「第3版」(1960年9月)に基づいて話を進めます。「外字」とあるのが当時の表外漢字です。(書体帳の詳細については、シリーズ1回目2回目をご覧ください)

拡大p10

 最初の行は、【士(さむらい)】のつづきです。

  は、ふつう「壺」が伝統的な字体とみなされ、表外漢字字体表(2000年国語審答申)でも「壺」が印刷標準字体とされています。朝日新聞もそれに従い、2007年1月から原則として「壺」を使うようにしました。
 しかし康熙字典に正字体として掲げられているのは、実は書体帳と同じ「壷」。「壺」のほうも康熙字典には載っていますが、「壷に同じ」という扱いです。漢和辞典でも「角川大字源」(1992年刊)のように、康熙字典どおりに「壷」を代表字体にした例もあります。

 【夕】のところにある は辞書的には6画の字ですが、書体帳では当用漢字の「舞」などにあわせて、7画に見える設計にしています。ただ、康熙字典の「舛」を実際に見ると、漢和辞典が掲げるよりも、書体帳に近い形になっています。「ヰ」の形の違いは表外漢字字体表でデザイン差とされており、一般にもほとんど問題視されないため、朝日新聞の「舛」は現在も書体帳と同じ形です。

 【大】の最後にある は、当用漢字の「者」などにならって点をとった朝日字体。

 【女】の表外漢字の三つ目にある は、当用漢字の「樓→楼」のパターンをあてはめてもよさそうですが、印象が変わりすぎるためでしょうか、「娄」と略すことはしませんでした。

  の康熙字典体は「勹」の中が点ではなく横棒になっているですが、当用漢字以前から点にした活字もありました。書体帳では当用漢字の「勺」にそろえて点にしており、これは現在の朝日新聞のフォントでもそのままです。

  は「ケンを競う」のケンですが、「キム・ヨナ」の名前の字といったほうがわかりやすいでしょうか。
 康熙字典ではが正字体とされていますが、実際の活字では、当用漢字以前から両方がありました。書体帳は当用漢字の「研」にそろえた形。表外漢字字体表で康熙体が印刷標準字体とされたのを受け、現在はそちらを使うことにしています。
 ただ、JIS第1・第2水準には「妍」しかなく、康熙体は第3水準にあるため、ネットでは今も「妍」が多く使われています。

 

■説明が苦しい略し方も

 

  は正直、説明が苦しい字です。「姆」のつくりの「母」を「毋(なかれ)」にしたもので、当用漢字の「毎」や「海」の一部分が「母→毋」と略されたのをあてはめたものと思われますが、「母」という字そのものは点々のままであることを考えると、これはさすがに無理があると言わざるを得ません。「毎」と「母」は分けて考えるべきでした。
 このパターンの朝日字体はほかにもいくつかありましたが、表外漢字字体表の答申前の2000年秋に、まとめて「母」の形に修正しました。

  は「嫂」(あによめ)のつくりを「搜→捜」にならって略したもの。

  は、漢和辞典ではふつう横棒2本が突き出たを掲げていますが、当用漢字以前から書体帳のように「突き出ない形」の活字も作られていました。女へんのつかない「那」は、1976年に人名用漢字、2010年には常用漢字となり、「突き出ない形」が標準になっていますが、「娜」は常用漢字でも人名用漢字でもないため、漢和辞典が掲げる「突き出た形」に変更しました。

  はそれぞれ当用漢字の「晩」などや「卑」などにそろえた字体で、ともに康熙体より1画多くなっています。現在は康熙体のです。

  は「愛媛県」のヒメ。康熙字典体のの点の向きを、「援」などにそろえたものです。1990年に新字体で人名用漢字に入り、さらに2010年には常用漢字表に入りました。

  は1981年から常用漢字になりましたが、その前の当用漢字には入っていませんでした。そのため当時の辞書は康熙字典体のを掲げていましたが、朝日新聞では当用漢字の「兼」などに合わせた字体にしていました。これが現在の常用漢字表に掲げられている字体です。

  は「別嬪」のピン(ヒン)。にあわせて、つくりに1画加えました。現在はその1画を外して康熙体にしています。

 (かかあ)は国字なので康熙字典には載っていません。漢和辞典はつくりの「鼻」を康熙体にしたを掲げていますが、書体帳では新字体で設計しました。現在は康熙体にしています。

 

拡大p11
 次は、11ページです。

 【宀】の表内字の2行目にある は本来当用漢字ではありませんが、1954年に国語審議会漢字部会が「将来当用漢字表の補正を決定するさいの基本的な資料」として作成した「当用漢字補正資料」で、「当用漢字表に加える字」としていたもの。新聞業界はこの補正資料を先行実施していました。字体も「肖」などにそろえた新字体になっています。1981年の常用漢字表に、この形で入りました。

 表外漢字のほうでは、 の「牙」の部分が当用漢字の「芽」や「雅」と同じ形になっています。表外漢字字体表では「牙」の形の違いがデザイン差と認められたため、2007年1月に自社の表外漢字字体を多数変更した際にも、「牙」や、「牙」を部品にもつ字はそのままにしていましたが、2010年に「牙」が康熙字典体で常用漢字入りしたのを機に、まとめて康熙字典体に修正しました。

  は「寂寥」のリョウ。「羽」を新字体の「羽」にした朝日字体です。

  は、康熙体だと「竈」という甚だ書きにくい字。略字パターンは「繩→縄」と同じですが、「縄」は1981年の常用漢字表で追加された字であり当用漢字ではなかったので、この「竈→竃」は厳密には「当用漢字の略し方をあてはめた」というものには入りません。ただ、「縄」や「蝿(蠅)」のような略字は、当用漢字以前の国語施策で既に示されていました。このへんは「縄」のところであらためて述べたいと思います。

  は、左半分の「害」を当用漢字の新字体にそろえたもの。現在はにしています。

 【小】の表内字のなかにある は、先ほどの「宵」と同様、当用漢字補正資料で追加漢字に入ったために表内字扱いしていた字です。字体の面では、補正資料よりもさらに前の1951年に、この新字体で人名用漢字に入っていました。1981年からは常用漢字になっています。

 

■ 鴬はウソかウグイスか

 

拡大p12
 次は、12ページ。

 【小】の最後にある は、康熙体だと右上が「羽」。これを当用漢字の「曜」にならって「ヨヨ」にした朝日字体です。
 実はこの字、その後略し方が変わりました。くわしい経緯ははっきり分からないのですが、書体帳第3版の1~2年あとに作られた見出し用活字の母型帳をみると、右上が「ヨヨ」でなく「羽」(新字体)になっています。実際の紙面では活字の書体や大きさによって字体にばらつきがあり、いつ変えたのか確定するのは難しいのですが、ともかく「下にふるとりがついた場合に『羽』をどうするか」の方針に変化があったわけです。1986年の「朝日新聞の漢字用語辞典」でも、右上が「羽」の形になっていました。

拡大1979年1月4日付紙面から。このときは見出し・本文とも右上が「羽」の形
 
拡大「朝日新聞の漢字用語辞典」(旧版)でも右上が「羽」になっている

 ただ、「耀」の字は1990年に「ヨヨ」の形で人名用漢字に入ったため、結局朝日新聞もそれに合わせて書体帳のころの「ヨヨ」に戻したのでした。
 

 【ツ】の表外漢字の列に並んだ4字は、みな略字体です。
  は、「鼠」の略字。三つ下の も、「鼬」(いたち)を同じように略したものです。
 当用漢字を見渡すと、「猟」の新字体のつくりが「鼡」の形ですが、猟の旧字体である「獵」のつくりは「鼠」ではありません。つまり「鼠→鼡」という略し方は当用漢字の新旧パターンには無く、いわゆる拡張新字体ではありません。手書きの略字を採用したものです。
 書体帳もはじめからこの略字を載せていたわけではなく、最初の版(初版A)ではそれぞれ康熙体の を掲げており、略字にしたのは二つ目の版(初版B)からでした。ネズミは2002年、イタチは2000年に、略字使用をやめました。

  は、康熙体の「螢」を当用漢字の「榮→栄」「營→営」と同様に略した朝日字体です。1981年に常用漢字に入り、略字が標準になりましたが、それまでは「螢」が多く使われていましたので、中高年世代では「螢」になじみを感じる人が多いのではないでしょうか。

 その下の (うぐいす) も、同じパターンで康熙体の「鶯」を略したものです。こちらは常用漢字にはならず、表外漢字字体表で康熙体が印刷標準字体とされたため、現在は康熙体を使っています。
 ところでこの「鴬」は、拡張新字体の短所を指摘する際に持ち出される字でもあります。当用漢字には「榮→栄」「營→営」のほか、「學→学」という略し方もあるため、「鴬」の元の字が「鶯」なのか「鷽」(うそ)なのかわからなくなってしまう、というわけです。確かに、理屈のうえではその通りです。
 ただ、実際には「鴬=ウグイスの略字」という認識が定着していましたから、朝日新聞でも「鴬」はもっぱらウグイスとして使い、「鷽」を「鴬」と略す運用はとりませんでした。

 【尸】にある は、当用漢字の「併」とそろえた字体。表外漢字字体表で康熙体の が印刷標準字体とされ、朝日新聞も今は康熙体を使うようにしていますが、JIS漢字では第3水準に含まれるため、ネットなどではなお略字の「屏」が広く使われています。

  は「肖」などに合わせた朝日字体。

  は、「屢」(しばしば)に「樓→楼」のパターンをあてはめた略字です。これもJIS第1・第2水準のなかには略字の「屡」しかなく、「屢」は第3水準であるため、環境によっては略字を使わざるをえません。

  は「者」と同じように康熙体から点を省いたもの。

 次は【山】です。
  を見かけるのはたいてい「渡辺崋山」でしょう。康熙字典体は中央の横棒が左右に分かれたですが、書体帳では当用漢字の「華」と同じく、貫いた形に設計していました。朝日新聞では現在もこの字体を使っています。

  は、康熙字典体の「巖」を当用漢字の「嚴→厳」と同じように略した字体ですが、朝日新聞が考えたものではなく、1951年に既にこの形で人名用漢字に入っていました。現在もこの形が標準です。

  は「嶮」に当用漢字の「檢→検」などの略し方を適用した朝日字体。

  は島嶼(とうしょ)のショ。理屈のうえでは当用漢字の「與→与」をつくりにあてはめることもできたかもしれませんが、さすがに「山へんに与」では、形が違いすぎると判断したのでしょう。略したことはありません。

 

拡大p13
 13ページにいきます。

 字体の問題とは関係ありませんが、1行目の【工】の表外漢字のところにある は、近ごろめったに見かけない字です。コウと読み、水銀のこと。かつては「昇汞」(しょうこう=塩化水銀)、「昇汞水」(その水溶液で消毒用。毒性が強い)、「雷汞」(らいこう=起爆薬の一種)などの言葉がしばしば紙面に登場していました。

 【己】の最後にある は康熙字典体のままですが、書体帳の最初の二つの版「初版A」「初版B」では、巳が己になった が示されていました。「選」の新旧の違いを、しんにょうが付かないときにもあてはめるかどうかの判断が揺れたものと思われます。朝日新聞ではこの字についてはその後も康熙体を使っていましたが、1990年に人名用漢字に新字体で入ったため、これに合わせて同年4月からに変えました。事実上、人名用漢字に「先を越された」わけです。

 【巾】のところにある は「婦、掃」などにあわせて、横棒が右に突き出ない「ヨ」にしたもの。現在は突き出る形のです。

 最後の行、【广】にある は当用漢字の「包」にあわせて巳を己にした朝日字体です。現在は康熙字典体の

  は、うまや。本来の字体とされるのはですが、康熙字典が別字体として掲げるのほうが、活字では一般的でした。書体帳の字は、このうちまだれのを当用漢字の「既」にあわせて略した字体です。
 表外漢字字体表ではがんだれのが印刷標準字体とされたため、朝日新聞も今はこちらを使っています。まだれのもシステムには搭載されていますが、ふだんは使わないことになっています。

  は、康熙字典体は「月」の内側が点々のですが、「朝」の新字体にそろえていました。表外漢字字体表ではこの違いはデザイン差と認められましたが、「嘲」などと同様、今の朝日新聞の字は康熙体です。

  は、の点の向きを「肖」などにそろえたもの。現在は「ハ」型です。

  は、当用漢字でとなったのにあわせた朝日字体。現在は康熙体のです。その次の も同じ略し方ですが、こちらは1951年の人名用漢字ですでに新字体になっていました。1981年からは常用漢字に入っています。

 (つづく)

(比留間直和)