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朝日字体の時代 7

比留間 直和

拡大常用漢字表答申を伝える紙面に掲載された「ふえる字」一覧=1981年3月24日付朝刊1面から
 1981年に当用漢字表が「常用漢字表」に衣替えした際、それまで表外漢字だった95字が新たに表内に追加されました。そのなかには、朝日新聞が独自の判断で使っていた略字体、いわゆる「朝日字体」が採用されたものがあります。前回までに触れたものでいうと、「喝」「嫌」「蛍」などです。

 一方、当時の朝日新聞の字体とは異なる形で常用漢字に入ったものもありました。国語審議会による「常用漢字表」答申を伝えた紙面(1981年3月24日付朝刊)には、追加95字の一覧=右の画像=も掲載されましたが、実はこの一覧に使われている漢字の字体は国語審の答申に忠実に沿ったものではなく、当時朝日新聞が使っていた字体でした。そのため一部の字は、その後常用漢字として使われた形とは明らかに異なっています。

 右の一覧のなかで、今の常用漢字と形のちがうものが2字あるのですが、どの字かお分かりになるでしょうか。デザイン上の細かい違いではなく、はっきり見える字体差です。クリックで拡大してご覧ください。

 答えは2字とも今回取り上げる漢字のなかに含まれていますので、のちほど。

 では、前回までと同様、戦後朝日新聞が作成した社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」第3版(1960年)に沿って、当時の活字字体を見ていきます。

 

          ◇

 

 今回は14ページから。【广】のつづきです。

拡大p14
  は「麻呂(まろ)」の2字が縦に合体して1字になった国字であり、中国の康熙字典には載っていません。それでも当用漢字以前の活字は、そのほとんどが上の「麻」の部分を康熙字典ふうにと設計していました。しかし1951年の人名用漢字に新字体で入ったことから、それ以降新字体が広く使われています。書体帳も人名用漢字の字体をそのまま掲げました。

  も同様に「麻」の部分を新字体にしています。こちらは人名用漢字にはなく、朝日新聞の判断で設計した朝日字体でした。現在は康熙字典体のを使っています。

  は細かい部分でよく見えませんが、右下の「ヰ」を当用漢字の「隣」などと同じデザインにしています。その後、1990年にこの形で人名用漢字に入りました。

  は、中国の少数民族「彝(い)族」のイ。康熙字典体は上が「彑」ですが、「緑」や「縁」などの新字体に合わせました。ただし書体帳の四つの版のうち、最初の版(初版A)では略字ではなく康熙字典体の を掲げており、略字にしたのは二つ目の版(初版B)からでした。特定の民族名という用途を考え、同じルールで略字にする必要はないと当初は考えたのかもしれません。その後、2007年1月の字体変更で康熙体のに変えました。

  は、「弑(しい)する」「弑逆(しいぎゃく)」のシイで、左半分は「殺」と同じです。その「殺」の旧字体は左下の「木」に点がついたですが、「弑」のほうは康熙字典ですでに「点なし」の形になっていました。一部の漢和辞典は「点あり」を「本字」として掲げていますが、実際に用いられてきた活字は当用漢字以前から「点なし」でしたので、朝日新聞が字体をいじったというわけではありません。

  は「彌」の略字ですが、書体帳より前の1951年に人名用漢字に入っていました。2010年にはこの「弥」の字体で常用漢字になりました。

  は作家「里見弴」(さとみ・とん=1888~1983)のトン。この当時はもちろんご健在でした。JIS第1・第2水準からは漏れましたが、朝日新聞が昭和30年代に活字を整備した4000字にはこのとおり入っていました。

 

■字体解釈がまずかった?例も

 

拡大p15
 15ページです。

 【彳】にある は、「荻生徂徠」のライ。つくりの「來」を、当用漢字に合わせて「来」にしたものです。現在は康熙体にしています。

  は「徽章(きしょう)」や「中国・安徽省」のキですが、残念ながら字体の解釈をミスしたものと思われます。康熙字典体は中央の「山」の下が「一の下に糸」のですが、これを「ノの下に糸」の「系」にデザインしてしまったようです。サイズが小さく線も細い本文用活字ではあまり違いがわかりませんが、書体帳のように見出し用の太い活字だと違いが目につきます。使用頻度が低いこともあって問題視されませんでしたが、2000年秋に康熙字典体に修正しました。
 ちなみにJIS漢字では1978年の制定時は康熙字典体でしたが、1983年の改正で「一」も「ノ」もないに変更されました。当用漢字の「徴」が旧字のから1画省かれたことにならったものと思われます。しかし表外漢字字体表答申後の2004年の改正で、再び康熙体になりました。

 その下の は、カビ。康熙字典体のと比べると、①「徴」にならって中央の横棒を省いた②その下の「黒」を旧字体から新字体にした――という違いがあります。ただし初めから①と②を適用したわけではなく、書体帳の四つの版のうち最初の二つ(初版A、初版B)は②だけ適用した を掲げています。①②の両方を適用したのは三つ目の版(第2版)からでした。2007年1月からは康熙体にしています。

 続く「まえがしら」は、新設部首のひとつです。
  と、同じ行にある は、それぞれ康熙字典体のの「ハ」を当用漢字の「尊」などと同様、「ソ」にした朝日字体です。これも現在は康熙体。

  と三つ下の は、当用漢字の「前」の「月」の部分が点々から横棒2本になったのにならったもの。現在はともに点々のです。このうち「煎」は、2010年から点々の字体で常用漢字に入りました。

  の下半分のは、当用漢字「盗」の旧字体「盜」の上半分と同じものです。「盗」の新字体にならって「羨」の下半分をにすいの「次」にすることもあり得たのかもしれませんが、そうはしませんでした。辞書を引くとにすいの「羡」という字もあり、音はイで、「羨」(セン)とは別字です。

 

■答申と形が違っていた字とは…

 

拡大p16
 次は16ページ。手へんにはたくさんの朝日字体があります。

 まず は「擡」(タイ、もたげる)のつくりに当用漢字の「臺→台」を適用したもの。だいぶ形が簡単になっていますが、「擡」の俗字として以前から存在していました。
 現在は康熙字典体の「擡」を使うことにしていますが、「擡頭」という語は戦後「台頭」と書くようになり、「擡(もた)げる」も一般記事では漢字を使わずひらがなで書くことになっているので、紙面に「擡」が出てくる機会はめったになく、文献の引用や文芸作品などに限られています。

 略字ではありませんが、その下の も康熙字典とはやや形が異なります。康熙字典や漢和辞典では真ん中の「九」のところが「尢」のようになっている字体を掲げており、書体帳のような「九」型は「尢」型の異体とされます。ただ、当用漢字以前から「九」型の活字も少なからず使われてきたほか、現在のJIS漢字も「九」型を例示字体に掲げており、一般のデジタルフォントのほとんどが「九」型です。画数にかかわる字体差ですが、一般に問題視もされないので、朝日新聞でも今のところ書体帳と同じ「九」型のままです。

 そのすぐ下の にご注目ください。「誘拐」のカイですが、現在なじんでいる形とはどこか違うと思いませんか。そう、これが冒頭に述べた「1981年の追加95字の一覧で、国語審答申とは違う字体を使った字」のひとつです。国の常用漢字表に掲げられた字体は右下が「刀」で、康熙字典もこの形。しかしそれまで朝日新聞が使っていた字体は、その右下が「力」でした。
 これは朝日新聞だけが特殊だったのではなく、当用漢字以前の主な活字見本帳23種の字体を並べた「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)を見ても、右下が「刀」の字体を含む見本帳は7種であるのに対し、「力」の字体を含む見本帳は13種と、明らかに後者が優勢です(ほかにも2種の見本帳に見えます)。また、JIS漢字も1978年の最初の規格では「力」の字体を掲げていました。かつては一般的な字体だったわけです。
 しかし1981年の常用漢字表をうけて朝日新聞も「刀」の字体に変え、そしてJIS漢字も83年改正でこの字体になりました。

 同じ行の一番下にある は、康熙字典体の「挾」のつくりを「狹→狭」にならって略した朝日字体です。この形で1981年に常用漢字に入りました。

 字体の揺れはありませんが、次の行の先頭の はJIS第1・第2水準には無い字で、「むしる」という動詞に用いられる国字です。新聞では文芸作品にごくたまに使われる程度ですが、書体帳の4000字に選ばれました。「むしる」に当てる字としては、JIS第1・第2水準にやはり国字の「毟」が入っていますが、こちらは書体帳には収録されませんでした。

  は前回登場した「娩」と同様、当用漢字の「晩」などにそろえた朝日字体。現在は康熙体のにしています。

 

■突き抜けていませんでした

 

 さあ、きました。 です。「挿入」のソウですが、現在使われているものと形が違うことにお気づきでしょう。先ほどの「拐」と同様、1981年の常用漢字表に加わった字体とは異なる形の活字を使っていました。つまり、冒頭の問いに対する二つ目の答えです。
 まず、この字の康熙字典体はで、つくりの下部が「臼」になっています。
 一方、常用漢字表で採用されたのは、手書きで書きにくい「臼」を「日」に変え、縦棒を下まで突き出させた「挿」。新たにこしらえた字体ではなく、康熙字典にも「插の俗字」として掲げられています。
 このほか、常用漢字以前によく使われていた字体として があります。こちらは2000年制定のJIS第3・第4水準に入りました。JIS漢字では現在、三つの字体を使い分けることができます。
 そして朝日新聞が1981年まで使っていた字は上記三つのどれでもなく、康熙体の「插」の縦棒を突き出させずに、右下の「臼」を「日」にした字体でした。当用漢字の「搜→捜」の略し方に似ており、拡張新字体のひとつと言ってよいでしょう。

 ところで、常用漢字表答申を伝える際に、国語審が示した字体ではなく当時自社が使っていた字体で済ませたのはなぜか。このときの紙面には、「本紙で掲載の常用漢字表では、当用漢字字体表に沿って本社で作成した明朝体活字を使用した」という注記があるのですが、追加漢字の字体が答申と食い違うことについての十分な説明にはなっていません。
 なにしろ32年も前のことなのではっきりしたことはわかりませんが、この字体差に気づかないはずはありませんから、答申段階では字体に関してそれほどの厳密さは必要ないという認識だったのでしょう。ただ、他の追加漢字は朝日新聞が使っていた字体と同じであり、この「拐」と「挿」の2字だけ手当てすれば済んだということを考えると、「もうひとがんばりしていれば」と思ってしまいます。

 

 書体帳に戻りましょう。 は、「進捗」のチョク。当用漢字の「歩」の新字体にあわせた朝日字体です。現在は1画少ない、康熙字典体のにしています。2010年にはこの形で常用漢字に入りました。

  は「たわむ」。康熙字典体は「撓」ですが、当用漢字の「曉→暁」「燒→焼」にならってつくりを略しました。前々回述べたように、手へんのつかないつくりだけの「ギョウ」は、書体帳の最初の版(初版A)では康熙体の「堯」のままで、二つ目の版(初版B)から「尭」と略したのですが、手へんがついたこの字は最初の版から略字にしていました。

  は康熙字典体の「搔」のつくりに当用漢字の「騷→騒」を適用したもの。つくりだけの「蚤(のみ)」は当初略字にせず、初版Aと初版Bは点々のついた康熙体のままでした(シリーズ4回目参照)が、手へんのついた字は、書体帳でははじめから略字でした。
 しかし「蚤」がそうであったのと同様、いちどは略字を採用したものの、やがて康熙字典体の「搔」に戻しました。戻した時期ははっきり分かっていませんが、80年代前半ごろかと思われます。結果として、表外漢字字体表を受けた字体変更の際も、この字については方針を変更する必要はありませんでした。
 JIS漢字では第1・第2水準の範囲に略字の「掻」しかなく、康熙体の「搔」は第3水準に含まれるため、ネット上ではまだ略字が多く使われています。

 このあとにつづく  はいずれも典型的な朝日字体。現在は康熙字典体の        を使っています。

  も「攪」のつくりに「覺→覚」をあてはめた朝日字体です。「敵を攪乱(かくらん)する」といった使い方のほかに、近年は「内分泌攪乱化学物質」(いわゆる環境ホルモンのこと)という言葉でも使われる字です。以前は交ぜ書きで「内分泌かく乱~」と表記していましたが、2002年以降「交ぜ書きをできるだけしない」との方針のもと、「内分泌撹乱(かくらん)~」と読み仮名付きで漢字を使うようになり、そして2007年1月の字体変更で「内分泌攪乱(かくらん)~」となりました。

  も当用漢字にあわせてしんにょうの点をひとつにしたものです。しんにょうのところであらためて述べますが、朝日新聞では、所属する部首が「しんにょう」でない字(例えばこの「撻」は「手へん」に属する)についても、1点しんにょうにそろえていました。現在は2点しんにょうのです。

  は「尊王攘夷」のジョウのつくりを当用漢字の「嬢、醸、譲」に合わせて略した朝日字体。現在は康熙字典体の「攘」です。

  は投擲(とうてき)のテキの真ん中の上部を「ソ」の形にしたもの。今は「ハ」の形です。

           ◇

 「常用漢字表」の追加漢字一覧をめぐる話は、次回も。

(つづく)

(比留間直和)