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朝日字体の時代 8

比留間 直和

 前回(「朝日字体の時代 7」)の冒頭で、1981年に国語審議会が「常用漢字表」を答申したときの紙面(1981年3月24日付)を紹介しました。前身の当用漢字から増えた95字の一覧に、当時朝日新聞が使っていた字体をそのまま使ったため、国語審が示した字体とは異なるものが2字あった――という話題でした。

 この話には続きがあります。

 この常用漢字表は1981年の最終答申まで実質的な審議に8年が費やされ、その途中、「新漢字表試案」「常用漢字表中間答申」と、2度にわたって中間的な案が作成されました。
 これらの案が国語審から発表されたときに朝日新聞の紙面に掲載された追加漢字の一覧をあらためて眺めてみたところ、意外なことがわかりました。

 最終答申からさかのぼること4年。1977年1月に第12期国語審が出した「新漢字表試案」は、1850字の当用漢字に対し「83字追加、33字削除」を行い、計1900字とするものでした。下に並べたのは、この試案を報じた朝刊1面と、そこに掲載された追加・削除漢字の一覧です(いずれもクリックして拡大表示できます)。

拡大「新漢字表試案」を伝えた1977年1月22日付朝刊
拡大左の紙面に掲載された、追加・削除漢字一覧

  

 前回の後半で述べたように、1981年3月の最終答申の際の紙面で、国語審が示したのと違う字体を使っていたのは、「拐」と「挿」の2字でした。では、常用漢字表に向けた最初の案である「新漢字表試案」ではどうだったのでしょう。

 2字のうち「拐」は、この段階ではまだ追加対象に入っていませんでした。もう一方の「挿」はすでに入っており、右上に示した「試案で入れる字」にも見えています。画像をクリックしてご覧になるとわかるように、そう、現在私たちが使っている「挿」になっているのです。これは本物の「新漢字表試案」に使われていたのと同じ字体であり、当時の朝日新聞が使っていた字体ではありません。

 この日の紙面では、「挿」が出てくる箇所はほかにもありました。中の面に載せた、新漢字表試案の全1900字の一覧表と、追加・削除それぞれの理由を解説した記事です。いずれも1面の追加漢字一覧と同じく、国語審が示した通りの「挿」を使っていました。

 その2年後の1979年3月。第13期国語審の総会で答申に至ると思われていた常用漢字表は、土壇場で福島慎太郎会長の提案により決着が先送りされ、「中間答申」に変更されました。当用漢字に対し「95字追加、19字削除」を行い計1926字とする案で、追加95字の内容は1981年の最終答申と同じです。

 この中間答申を報じた紙面で「挿」をさがすと、今度は国語審が示した字体ではなく、当時の朝日新聞がふだん使っていた  が使われ、この段階で新たに追加対象に加わった「拐」も、やはり中間答申とは異なる  で掲載されていました。1面の追加漢字一覧だけでなく、中のページに載った全1926字の一覧表などでも同様でした。

拡大「常用漢字表中間答申」をトップで報じた1979年3月31日付朝刊。左カタの記事は米スリーマイル島原発事故
拡大左の紙面に掲載された、「加える字」などの一覧

 
 つまり、最初に出た新漢字表試案を報じたときには国語審が示した字体にわざわざ合わせたのに、その後の中間答申と最終答申の際にはそれをせず、ふだん自社で使っていた字体で表記した、ということです。

 本来ならば、最初の案ではなく本決まりになったときにこそ合わせるべきなのに、なぜそうしなかったのか。なにしろ三十数年前のことでもあり、理由や経緯はよく分かりませんが、何らかの事情が分かったら報告したいと思います。

 

■当用漢字字体表に振り回され

 

 では例によって、「統一基準漢字明朝書体帳」第3版(1960年)に沿って当時の朝日新聞の活字を見ていきましょう。

拡大p16

 前回は16ページの「手へん」まで見ました。今回は同じページの「さんずい」からです。たくさんあります。

 まず、表内字のなかにある  は本来は当用漢字ではありませんが、1954年に国語審の漢字部会が作成した「当用漢字補正資料」で、「当用漢字に加える」とされた28字のひとつです。新聞は補正資料を先行実施していたため、書体帳では当用漢字と同列に扱われていました。康熙字典体の「溪」ではなく、「鷄→鶏」にならった略字の「渓」が掲げられているのも、補正資料に基づくものです。

 同じく表内字のところにある  は、正真正銘の当用漢字ですが、活字の設計方針が揺れた例です。書体帳の四つある版のうち、はじめの二つの版では、これとは異なるデザインでした。
 最初の版(初版A)では 、 二つ目の版(初版B)は  というふうに、右上の「亦」の部分があとの二つの版(第2版、第3版)とは違っていました。
 「恋」や「蛮」などにはこうした変遷は見られないのですが、「湾」に限っては、「亦」のデザインに悩んだようです。その原因と考えられるのが、当用漢字の字体を正式に決めた「当用漢字字体表」(1949年内閣告示)。そこに示された字形は、 というふうに、「亦」の中央の縦棒がはねずに下の「弓」にぶつかる形でした。一方、同じパーツをもつ は、下の部品には当たらずにきちんとはねています。(当用漢字字体表の字形は文化庁ウェブサイトから)
 この微妙な違いをどう受け取ればよいのか。「湾」は、「恋」などとは違うデザインでなければいけないのか、それとも同じように作ってよいのか――。1958~59年に日本新聞協会の工務委員会が行った「新聞活字の字体統一」に関する研究のなかでも、「湾」の設計について検討されたことが記録に残っています。
 結局、「『恋』などと同様のデザインでも差し支えない」との判断に至ったらしく、朝日新聞では「湾」の「亦」の部分の中央の縦画2本を、「左払い+はねる形」としたのでした。なぜそんなふうに悩むのか、今の目から見るといささか滑稽かもしれませんが、当時、当用漢字字体表をどう解釈し、どう活字字体に反映させるか、多くの関係者が手探り状態だったのです。

 

拡大p17

 17ページです。さんずいの表外漢字が数多く並んでいます。

  は、漢和辞典では が掲げられ、つくりの画数は「4画」とされていますが、書体帳の字は当用漢字の「及」や「吸」などと同じ3画の形です。
 では、当用漢字以前は「及」が常に4画の形だったかというと、そうではありません。昔から3画の形で書かれてきましたし、活字でも混在していました。
 そのため、2000年の国語審答申「表外漢字字体表」では、つくりが4画の を印刷標準字体として掲げる一方で、3画の形も「デザイン差」と認めました。朝日新聞では2007年1月からつくりが4画の字体にしています。

 すぐ下の は字体の問題はありませんが、JIS第1・第2水準にはない字です。主に中国や韓国の地名に使われ、最近では2008年の四川大地震の震源地「汶川(ぶんせん)県」で頻繁に登場しました。

 同じ行の下から2字目に があります。新潟などでは「潟」の手書き略字として広く使われてきた字ですが、ここに載っているのは「潟」の略字ではなく、「瀉」の略字としてです。当用漢字で「寫→写」となったのをあてはめた拡張新字体というわけです。
 ただ、記事の地の文ならば「吐瀉」や「一瀉千里」などの言葉は別の表現で間に合うため、この略字の登場機会はそれほど多くはありませんでした。固有名詞などで必要な場合のために「瀉」の字も途中から用意した結果、略字使用が徹底されなくなったという事情もあります。「新潟の『潟』の略字」と誤認されるおそれもあることから、2002年4月からは「瀉」を使うよう統一しました。

 次の行の は現在は常用漢字ですが、当用漢字には入っておらず、当時、一般の活字は康熙字典体の でした。当用漢字の「包」の新字体にそろえてあるのは、朝日新聞独自の判断です。1981年の常用漢字表でこの字体が採用され、以後は一般の活字も朝日新聞と同じ形になりました。

  は、康熙字典体だとつくりの上部の縦棒が下にちょこっと突き出た ですが、1956年に人名用漢字92字が制定された際、当用漢字の「告」の新字体に合わせた形が採用されました。書体帳はこれに従ったものです。

 さあ の登場です。「鴎」と肩を並べる代表的な拡張新字体といってよいでしょう。冒瀆のトクのつくりを、当用漢字の「賣→売」「續→続」「讀→読」にならって略したものです。
 ……と大ざっぱに書くと、漢字に詳しい方から突っ込まれてしまいますね。「賣」と「續や讀のつくり」は、本来は別ものだからです。前者は真ん中を「罒」につくり、音はバイ。一方の「續や讀のつくり」は「罒」でなく「四」につくり、単独ではイクと読みます。ただ、手書きではほとんど区別されず、当用漢字ではいずれも「売」に略されました。「瀆」のつくりは「續」や「讀」と同じものです。
 当用漢字以前は「冒瀆」のほか「瀆職(とくしょく)」という言葉でたびたび紙面に登場していましたが、「瀆職」は戦後「汚職」という語に置き換えられ、使われなくなりました。日本国語大辞典は「汚職」について、当用漢字で書くために朝日新聞社がつくった言葉である、としています。
 表外漢字字体表で「瀆」が印刷標準字体とされたのを受け、朝日新聞も2007年1月から「瀆」を使うのを原則としています。しかしJIS漢字では第1・第2水準の範囲には略字の「涜」しかなく、「瀆」はそれよりも普及度の落ちる第3水準に含まれているため、ネットなどでは今も「涜」が広く使われています。

  は「濤」のつくりを当用漢字の「壽→寿」にならって略した朝日字体。2007年1月の表外漢字字体変更以降は、康熙字典体の「濤」を使うことにしています。
 中国の前国家主席「胡錦濤」氏の紙面表記もかつては「胡錦涛」としていましたが、途中から「胡錦濤」と書くようになりました。

  は、よだれ。康熙字典体だとつくりの「止」の部分の左下がひと続きになった で、当用漢字の「延」や「誕」も旧字体はひと続きの形だとされています。ただ、康熙字典では「誕」が当用漢字の字体(ただし画数は当用漢字より1画少なく記載)になっているなど、あまり明確に区別されてはいません。
 「延」を部品にもつ字としては「筵」(むしろ)が表外漢字字体表に入りましたが、「ひと続き」になっている康熙字典体が印刷標準字体とされ、ひと続きでない字体はデザイン差としても認められませんでした。朝日新聞も現在、これらの字は康熙字典体にしています。

 略字というわけではないのですが、(涵養のカン) は、現在紙面で使っているデザインと異なっています。現在はつくりが「函」と同じ形の ですが、書体帳ではごらんの通り「了」のようになっています。この字は康熙字典が「了」のような形(さらに四つの点が「雨」のように同じ向きで並んでいる)を掲げており、そのためかつては一般の活字でも「了」型が多かったのですが、その影響が残ってしまったものと思われます。2007年1月の表外漢字字体変更の際に、デザインを修正しました。

  は、つくりの上部の点の向きを、当用漢字の「乳」などにならって「ノツ」にした朝日字体です。現在は康熙字典体の にしています。2010年には康熙体で常用漢字に入りました。

 同じ行の は「參→参」、(澎湃のハイ) は「拜→拝」を、それぞれつくりにあてはめたものです。現在は康熙字典体の「滲」「湃」にしています。

  は当用漢字の「者」などにならって点を外した字体です。1976年に人名用漢字追加表が制定されたとき、この字は康熙字典体である「点つき」の で入ったのですが、すぐに法務省民事局からの通知によって「点なし」の新字体も名付けに使える運用となりました。その後、1981年の常用漢字表にあわせた再編で、「点なし」の新字体が正式な人名用漢字、「点つき」は許容字体、というふうに立場が逆転。これ以降、名付け以外の用途でも新字体の「渚」が事実上の標準字体と扱われるようになり、国語審も2000年の表外漢字字体表でこれを追認しました。
 2004年の人名用漢字大量追加の際に、それまで許容字体だったものが通常の人名用漢字に「昇格」し、「渚」は新旧の両字体が人名用漢字としては対等に並ぶ形となりましたが、辞書などではこれまで通り新字体を標準と扱っています。

  は「潑剌(はつらつ)」のハツのつくりに「發→発」をあてはめた朝日字体。現在は康熙字典体の「潑」を使っています。JIS漢字では「潑」は第3水準であるため、ネットでは第1・第2水準内にある略字の「溌」がなお多用されています。

  は「滔々(とうとう)」のトウ。「稻→稲」の略し方を適用したものです。今は康熙字典体にしています。

  のつくりの「勇」は、もともと「マ+男」ではなく「甬+力」であり、「田」の部分が「用」のようになっている が旧字体とされます。しかし「勇」も「湧」も当用漢字以前から今と同じ「田」の形の活字も使われていました。「湧」は1990年にこの字体で人名用漢字になり、さらに2010年には常用漢字に入りました。

  は1981年の常用漢字表に追加された字のひとつで、当用漢字時代は表外漢字でした。康熙字典体はつくりの下部の横画が2本とも左右に突き出た ですが、書体帳では「構」「講」などにそろえて「1本だけ突き出た形」をとりました。

  は、それぞれ当用漢字の「益」「弱」「既」「連」にそろえた朝日字体。現在は康熙字典体の にしています。このうち は2010年に常用漢字に入りました。

 

■どちらのデキがいい?

 

 次の は、「洗滌(せんでき)」のデキ。「滌」のつくりに引っ張られて「せんじょう」という慣用読みが広まり、その読みで“同音”の当用漢字「浄」に置き換えたのが、現在広く使われている「洗浄(せんじょう)」です。
 この書体帳第3版に掲げられたのは康熙字典体ですが、書体帳の四つの版のうち最初の二つ(初版A、初版B)では、当用漢字の「條→条」をあてはめた を掲げていました。しかし、あとの二つの版(第2版、第3版)では、略す前の字体に戻っています。同じ部品をもつ「篠」が略されていないこととの整合性を考えたのかもしれません。
 いずれにしても、主な用途である「洗滌」が「洗浄」と書き換えられたため、「滌」が紙面に登場する機会はかなり減りました。

  はコと読み、中国・上海の異称。漢和辞典は戸の上の横棒が右から左への払いになった を親字にしていますが、康熙字典は書体帳と同じ字体を掲げており、当用漢字以前から両方の活字が使われていました。
 「戸」というパーツの形は古くから揺れがあり、表外漢字字体表でも「デザイン差」と認めているため、朝日新聞では現在も、表外漢字の部品として含まれる「戸」は表内字と同じ形にしています。

  は、「灌漑」「太田道灌」のカンのつくりを「權→権」「觀→観」などにならって略した朝日字体。現在は康熙字典体を使うことにしています。

  は、一部の漢和辞典は「おおいかんむり(かなめがしら)」(襾)が古い形の  を親字としていますが、康熙字典は書体帳と同じ形であり、当用漢字以前の活字も軒並みそうでした。表外漢字字体表は「潭」を収録していませんが、言べんの字は  を印刷標準字体として掲げたうえで、つくりの形の揺れをデザイン差として認めています。
 こうしたことから、朝日新聞の「潭」は、書体帳の字体のまま変えていません。

  は、書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の でしたが、二つ目の版(初版B)以降、当用漢字の「寧」の真ん中の部分が「皿」から「罒」になったのに合わせた字体を採用しました。現在は康熙字典体を使っています。

  は洗濯のタク。1981年に常用漢字表に入りましたが、この時代は表外漢字でした。康熙字典体は ですが、当用漢字の「曜」「躍」に合わせて右上を「ヨヨ」にした朝日字体です。常用漢字表にもこの字体が採用されました。
 左側が「光」の「耀」という字は、右上の部分をどう略すかが書体帳以降に揺れ動きました(前々回を参照)が、この「濯」についてはその後の字体の揺れは無かったようです。

  は永井荷風「濹東綺譚」のボク。東京の隅田(墨田)川を意味する国字で、「濹東綺譚」によれば江戸時代に儒学者の林述斎が作った字といいます。当用漢字以前の主な活字見本帳の字を一覧できる「明朝体活字字形一覧」(文化庁)では軒並み ですが、戦後の朝日新聞は当用漢字の「墨」にあわせた形にしていました。
 ただし朝日新聞以外でもこの字体は使われていました。1990年制定のJIS X0212(補助漢字)は書体帳と同じ を収録し、補助漢字をサポートしたWindows98~XPのMSフォントはこの字体になっていました。その後、2000年につくられたJIS X0213(第1~4水準)では第3水準に が入ったため、JIS X0213をサポートしたVista以降のMSフォントでは から に置き換わっています。
 朝日新聞でも2007年1月の表外漢字字体変更の際に、 に変えました。

  は、康熙字典体の に、それぞれ当用漢字の「歴」「静」の新字体をあてはめた朝日字体。いずれも現在は康熙字典体を使っています。

 次の は、「濾過」のロ。康熙字典体のままです。学術用語集などには「」という略字が使われ、表外漢字字体表でもこの略字が簡易慣用字体とされましたが、朝日新聞では「濾」をこのように略すと決めたことはありません。

 は、康熙字典体の の真ん中の部分を、当用漢字の「歩」や「渉」の新字体に合わせて1画増やした朝日字体です。現在は康熙字典体にしています。

  も、当用漢字の「者」の新字体に合わせて点を省いた略字です。ただ、この字については間もなく別の点について方針変更があったらしく、書体帳のすぐ後に作られた見出し用活字の母型帳を見ると、真ん中が「豕」でなく「けものへん」の になっています。本来「豬」だったイノシシが1951年制定の人名用漢字に「猪」で入ったことと歩調を合わせたものでしょう。書体帳に載っていた「豕」の字体も併せて保有していましたが、福岡県の地名「三潴」は基本的に「さんずい+猪の新字体」で表記してきました。
 現在の朝日新聞のフォントでは、「豕」「けものへん」の両方とも「者」に点をつけ、 にしています。

  は、康熙字典体だと門がまえの中が「東」でなく「柬」になっている ですが、当用漢字の「練」「錬」「欄」や人名用漢字の「蘭」の新字体が「柬→東」となったことに合わせた朝日字体です。現在は康熙字典体にしています。

  は「難」の新字体にそろえたもの。現在は康熙字典体の です。

  (ラン)は、中国・河北省の川の名。JIS第1・第2水準にはない字です。「戀(恋)」や「灣(湾)」などと共通する部分がありますが、これを「亦」に略すことはしませんでした。


 ようやくさんずいが終わり、次のけものへんにたどりつきました。

  は「老獪」のカイ、 は「猜疑心」のサイの朝日字体。それぞれ当用漢字の「會→会」「靑→青」を適用したものです。なお、カイのほうは書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の でしたが、二つ目の版(初版B)から略字になりました。いずれも現在は康熙字典体になっています。

  は先ほども「瀦」のところで少し触れましたが、康熙字典で正字とされているのはけものへんでなく「豕へん」の「豬」。しかし当用漢字以前から活字でも「けものへん」の が広く使われていました。書体帳の字体は、1951年の人名用漢字に「けものへん+新字体の者」が入ったのをそのまま採り入れたものです。

(つづく)

(比留間直和)