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文字@デジタル

朝日字体の時代 9

比留間 直和

 「まゆ」という字を思い出せますか。まゆ毛じゃなくて、もちろんアイドルの名前でもなくて、カイコが糸を出して作る、あの白くてまるい「まゆ」です。戦後すぐに定められた当用漢字1850字にも入っている字なのですが、「正確に書ける」と自信を持って言える人は少ないのではないかと思います。かくいう筆者も、「あれっ、どっちだったかな」と不安になる一人です。
 実は朝日新聞の活字でも、当用漢字の時代に入ってしばらくの間は、「まゆ」の字体の設計がきちんと定まっていませんでした。国が字体を示さなかった表外漢字だけでなく、字体が決まっていたはずの当用漢字でも、初めのうちは活字の形が不安定だったものがあるのです。
 詳しくはのちほど。

          ◇

 さて、朝日字体を振り返る試みも、9回目となりました。このシリーズで使っている社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」(以下、書体帳)の各版について、簡単におさらいしておきましょう。

 書体帳は戦後、朝日新聞が自社の活字字体を整備・統一するために作成したもので、筆者が確認できた範囲で四つの版が存在します。最初の二つの版は表紙に「●版」と書かれておらず、三つ目の版が「2版」、四つ目が「3版」と称していることから、最初の二つを便宜上「初版A」「初版B」と呼んでいます。
 表紙に記載された発行時期はそれぞれ次のとおりです。

  初版A = 昭和31(1956)年12月
  初版B = 昭和32(1957)年10月
  第2版 = 昭和33(1958)年2月
  第3版 = 昭和35(1960)年9月

 当用漢字の字体整理を当用漢字以外の字(表外漢字)にも当てはめた独自の略字「朝日字体」は、この時期にまとまったものです。国語審議会が「表外漢字字体表」(2000年)を答申したのを受けて2007年1月に表外漢字の字体方針を変更するまで、紙面で使っていました。

 

 では引き続き、書体帳の第3版に沿って当時の活字字体を見ていきましょう。

 今回は18ページから。まずは「けものへん」の残りです。

拡大p18
  は獰猛(どうもう)のドウですが、筆者がこの字を初めてまじまじと見たのは、漱石の「吾輩は猫である」の冒頭の「それは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。」というくだりでした。子どもの頃の刷り込みは恐ろしいもので、今もこの字を見ると「書生」という言葉が頭に思い浮かびます。もちろん書生というものをじかに知っているわけではなく、何の恨みもないのですが。
 それはさておき。この字は書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の でしたが、二つ目の版(初版B)からはつくりの「寧」の「皿」の部分を当用漢字にあわせて「罒」としました。2007年1月に表外漢字の字体を変更したあとは康熙体を使っています。

 次の は、カワウソ。これも初版Aでは康熙字典体の でしたが、初版Bからは、当用漢字で「賴→頼」となったのに合わせた略字に変更しました。これも現在は康熙体にしています。

 「くさかんむり」に入ります。
 なお、くさかんむりが「3画」か「4画」かについては、基本的に意識しないこととします。明朝体活字では当用漢字以前からくさかんむりは「3画」に作られており、康熙字典や旧来の漢和辞典の掲げる「4画」は一般的な活字の実態とは異なるためです。くさかんむりが「3画」であっても「康熙字典体」と呼ぶことがありますので、ご了承ください。

 当用漢字の は、書体帳の最初の版(初版A)では でした。一般には旧字体とされていますが、はじめのころは「新」と「旧」の境目がはっきりしていなかったようです。くさかんむりのない「化」は、書体帳では初めから「突き出ない形」でした。字によって対応が異なっていたわけです。

 

■「繭」でマユった?

 

 このページにある当用漢字でもうひとつ揺れがあったのが、冒頭で触れた です。この第3版の字は現行の字体になっていますが、初版Aと初版Bでは、真ん中の縦棒が上に突き出た が掲げられていました。突き出ない形になったのは、三つ目の版(第2版)からです。

拡大1958(昭和33)年6月6日付朝刊。見出しの大きな活字のなかで、「繭」だけ古い形なのが目立つ。本文の小さな活字は、既に「突き出ない形」。

 この突き出た形は、朝日新聞が勝手な設計をしたものではなく、当用漢字以前に広く使われていた活字字体です。戦後の漢字施策で最初に示された「当用漢字表」(1946年)も、「繭」をこの形で掲げていました。
 その後、当用漢字の字体を正式に定めた「当用漢字字体表」(1949年)で、上に突き出ないが示されました(画像は文化庁ウェブサイトから)。書体帳の初版Aが作られたのは7年後の1956年ですから、本来ならば当用漢字字体表の形に合わせているはずなのですが、古い字体のままになっていました。同じ頃の紙面を見ると、活字の大きさや書体によって突き出たり突き出なかったりしており、当用漢字字体表への対応が他の字よりも遅かったという印象を受けます。
 ただ「繭」の場合、旧字体と新字体の関係はやや複雑で、漢和辞典や漢字辞典における「旧字体」の扱いが様々に分かれています。を掲げるものもあれば、を掲げるもの、そして旧字体を何も掲げないものもあります。康熙字典が掲げるのはです。
 当用漢字以前の活字総数見本帳23種の字体を比較できる「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)を見ると、が17、が4、が1、はゼロでした(どの字体も無いのが1)。

 表外字にいきます。 は芍薬のシャク。康熙字典体は中が点でなく横棒のですが、当用漢字以前から点の字体もありました。書体帳では当用漢字の「勺」(2010年の改定常用漢字表で外れてしまいましたが)にそろえて点の字体を採り、これは現在もそのままです。

 その下の と、次の行にある はいずれも「亡」を含んでいます。漢和辞典ではここはに作ることになっているのですが、書体帳では当用漢字の「亡」と同じく、横棒が左に伸びた形にしました。当用漢字以前から両様の活字があり、表外漢字字体表でも「デザイン差」とされているため、朝日新聞では今も書体帳と同じ字体を使っています。

  は「蘆」の略字。ただし固有名詞では使い分ける意識が強く、「蘆」も並行して使われました。日中戦争の発端となった「盧溝橋事件」は、かつてはくさかんむり付きで「蘆溝橋事件」と書かれましたが、略字主義の時代も「芦溝橋」とはしませんでした。
 略し方は当用漢字の「爐→炉」と同じパターンですが、戦後生み出されたものではなく、康熙字典にも載っており古くから使われていました。表外漢字字体表では「蘆」の簡易慣用字体としてを掲げていますが、康熙字典ではくさかんむりの下が新字体の「戸」になっており、当用漢字以前から書体帳と同じ字体もよく使われていました。表外漢字字体表で「戸」の新旧がデザイン差になっていることから、朝日新聞の「芦」は今も書体帳と同じスタイルにしています。

  は「萃」(スイ)の略字。書体帳の初版Aでは略すのをためらったのか、康熙字典体の でしたが、初版B以降は「碎→砕」「粹→粋」「醉→酔」にならいました。現在は康熙字典体の「萃」にしています。

  は萵苣(ちしゃ=レタスのこと)のシャ。漢和辞典はたいてい巨の部分が旧字体になっているを載せていますが、康熙字典ではくさかんむりの下が新字体の巨になっており、当用漢字以前からどちらの字体も使われていました。現在も朝日新聞では書体帳と同じ字体です。

  は苹果(へいか=リンゴの実のこと)のヘイ。点々の向きを当用漢字の「平」の新字体に合わせたもので、3行うしろにある も同様です。現在はいずれも点々が「ハ」のように下に開いた康熙字典体を使っています。

  は、苺(いちご)の朝日字体。今シリーズ第6回で出てきた「姆」の朝日字体と同様、「母」を「毋」に略したものですが、「毎」や「海」と同列に考えるのは適当とはいえず、無理のある略し方でした。現在はもちろん「母」の形になっています。

  は茘枝という植物名に使われます。日本語読みは「れいし」ですが、「ライチー」と言ったほうがなじみがあるかもしれません。
 この字には、「刀三つ」ではなく「力三つ」のという字体もあり、どちらを主とするかが辞書によって分かれています。本来の字体は「力三つ」とされますが、康熙字典がすでに「刀三つ」を主にしており、当用漢字以前から「刀三つ」の活字もよく使われていたようです。JIS漢字でも第1・第2水準には「刀三つ」しかなく、「力三つ」は第4水準であるため、一般に使われるのは前者の字体です。

  は、以前文字@デジタル「字体、変えました(後編)」で述べたように、2010年の改定常用漢字表を受けて紙面の字体を変えた字です。「次」の左半分はもともと漢数字の「二」であり、氷を意味する「冫」とは異なります。そのため「茨」も活字ではのように設計するのが大勢でした。戦後、当用漢字の「次」をほかのにすいの字と同じようにの形に作るのが一般的となり、朝日新聞では「茨」もこれにそろえていましたが、2010年の改定常用漢字表にの字体で掲げられたことから、3年ほど前からこの形にしています。

  (ちまた)は康熙字典体ではですが、当用漢字で「港」の右下が「巳→己」となったのに合わせました。しかし、詳しい経緯は不明ですが、1970年代前半ごろ康熙字典体に戻しています。結果的に、表外漢字字体表に従って字体を変更した際も、この字は変える必要がありませんでした。
 それより、これは「くさかんむり」じゃないのでは?という声が聞こえてきそうですね。この書体帳は当用漢字の新字体に対応するため、漢字の成り立ちは脇におき、見た目に基づいて部首を分けています。ただし今から見るとかなり大胆で、このページでいえば「昔」「革」「恭」「黄」「燕」などが「くさかんむり」に入れられています。また、先ほどの「繭」も康熙字典では「糸」に属する字です。

  は当用漢字の「狹→狭」「峽→峡」に合わせた略字。現在は康熙字典体の「莢」です。

  は略字とは関係ありませんが、「初版A」と「初版B」では「のぎへん」の下がハネた でした。「第2版」からハネない形になりました。

  は「むしろ」。康熙字典体だと「止」の左下の部分が1画につながったですが、当用漢字の「延」の新字体にそろえました。現在は康熙字典体を使っています。

  は蓬萊のライを当用漢字の「來→来」に合わせて略した字体。現在は「萊」を使うことにしています。
 「唖/啞」や「涜/瀆」などと同様に、JIS漢字の第1・第2水準内には略字体の「莱」しかなく、康熙字典体の「萊」は第3水準に含まれるため、今もネット上では略字の「莱」が多く使われています。

  は「くさかんむりにウサギ」ですが、ウサギそのものに字体の種類が多いこともあり、くさかんむりが付いても…などといろんな形が存在します。「兎」という字体は康熙字典にも「俗字」として記載され、当用漢字以前から活字が使われていましたが、「くさかんむり+兎」は康熙字典や大漢和辞典になく、活字として広く使われてはいなかったようです。
 書体帳は、「初版A」では を掲げていましたが、次の「初版B」からくさかんむりの下が「兎」になりました。くさかんむり無しのウサギは初版Aから「兎」でしたので、途中からこれにそろえたということでしょう。
 はJIS漢字に入らなかったこともあって、今も一般に使われることは少ないのですが、朝日新聞のシステムでは、JIS漢字に入っている「菟」「莵」とともに現在もが搭載されています。くさかんむり付きのウサギは、京都・宇治の「とどう(莵道)」など歴史的地名で使われていますので、どんな字体が使われているか、いずれ「観字紀行」で報告されることを期待しましょう。

  は「なずな」。書体帳の「初版A」では でしたが、次の「初版B」からこの略字になりました。当用漢字の「濟→済」「劑→剤」や、人名用漢字(のち常用漢字)の「齊→斉」にそろえたものです。現在は康熙字典体の「薺」を使っています。

  は「臼」の一番下の横棒が真ん中で切れているかどうかというデザイン上の違いはあるものの、略字にはしておらず、「叟」を にした(シリーズ第4回参照)のとは対照的です。さすがににしてしまうと印象が変わりすぎると考えたのでしょうか。歴史的には「臾」をのようにも書いていましたから、あり得ない略し方ではないのですが。
 現在は「臼」の下の横棒が左右に切れた(ちょっとわかりにくいですが)を使っています。

  は、当用漢字以前から活字はこの形ですが、康熙字典が「瓜」を5画と数えているため、旧来の漢和辞典はたいていこのパーツをという形で載せていました。しかし、表外漢字字体表は「瓜」「狐」「菰」について一般的な活字字体(「瓜」の部分が見た目では6画の形)を印刷標準字体と位置づけたことから、最近の漢和辞典は一般的な活字字体を親字としています。

  は「萌」の異体字。康熙字典には無い字ですが、活字はの形に設計されるのが一般的でした。「崩」や「朋」の活字がかつてに作られていたのと同じです。当用漢字や人名用漢字で「崩」と「朋」が「月ふたつ」の形となったため、朝日新聞ではくさかんむり付きの「萠」も「月ふたつ」の形にしていましたが、2004年にの形で人名用漢字に入ったことから、他の表外漢字の字体変更と同じ時期に、この形に変更しました。

  は「參→参」に合わせた略字です。現在は康熙字典体の「蔘」にしています。

 次の は、ご存じカツシカのカツ。当用漢字の「謁、渇、掲」にそろえて略した朝日字体です。しかし1993年秋、当時の葛飾区長が逮捕され、区の名が何度も大きく紙面に出たのがきっかけで、康熙字典体のを使ってほしいとの要望が多く寄せられたため、同年11月から康熙字典体に変更しました。結果として、表外漢字字体表のあと多くの表外漢字の字体を変更した際も、この字は形を変える必要がありませんでした。2010年には、康熙字典体で常用漢字に追加されました。
 1990年代は情報機器の普及にともなって印刷文字の字体に対する関心が高まり、拡張新字体への批判が強まった時期でしたが、振り返ってみると、朝日新聞にとってはこの「葛」の件がその始まりだったと言ってよいかもしれません。

  は、康熙字典体だとですが、当用漢字の「呉」にそろえて略しました。現在は康熙字典体を使っています。
 JIS漢字は1983年以降は康熙字典体ですが、78年の最初の規格では書体帳と同じ略字でした。JIS漢字は「78年が康熙字典体で83年以降が略字」というパターンが多いのですが、この字はちょうど逆でした。

  は以前取り上げた「韋」などと同じく、「ヰ」の部分を当用漢字の「違」「偉」などにそろえています。当用漢字以前からこの形の活字もあり、また表外漢字字体表でデザイン差とされているため、現在も書体帳と同じスタイルのままにしています。

  は「蔣」を「將→将」にそろえて略した朝日字体。現在は康熙字典体にしています。JIS漢字では第1・第2水準内に略字体の「蒋」しかなく、康熙字典体の「蔣」は第3水準であるため、ネット上では今も略字の「蒋」が多く使われています。

  はコンニャクのニャク。「弱」の新字体に合わせた形です。現在は康熙字典体のにしています。

 

■ヨモギとハスの泣き別れ

 

  (よもぎ)と (はす)は、いずれもしんにょうの点を当用漢字にならって一つにした朝日字体。文字の全体の印象も似通っていますが、その後の「しんにょうの点」の行方が分かれました。
 「蓮」は1990年に新字体で人名用漢字になったため、「1点しんにょう」が標準とされています。一方の「蓬」は表外漢字字体表以前には人名用漢字に入らず、同字体表で「2点しんにょう」が印刷標準字体とされました。2004年に人名用漢字に入ったのですが、このときの追加文字は原則として表外漢字字体表の字体を踏襲したため、やはり「2点しんにょう」で掲げられました。
 現行の朝日新聞の字体もそれに従い、「蓮」は1点、「蓬」は2点となっています。

  はジュンサイのジュン。書体帳の「初版A」では康熙字典体の でしたが、次の「初版B」以降は当用漢字の「專→専」に合わせました。現在は康熙字典体です。

  は「タデ食う虫」のタデ。「羽」の新字体にそろえた朝日字体です。現在は康熙字典体のを使っています。

  は、2010年改定常用漢字表にで入ったのを受けて、左下の点を横棒に変えました。字体というよりもデザイン的な変更です。

  は甘蔗のショ。書体帳の「初版A」では、「廿」の下の横棒が左右に伸びた で、これは康熙字典や、当用漢字以前の一般的な活字と同じものでした。しかし次の「初版B」からは当用漢字の「庶」と同じ「廿」の形に。この形が印刷標準字体になっています。

  は隠蔽、遮蔽のヘイ。当用漢字の「弊」や「幣」と同じように、敝の左上の点の向きを「ソ」にしていました。現在は康熙字典体のにしています。2010年には康熙字典体で常用漢字に入りました。

(つづく)

(比留間直和)