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観字紀行

極楽へ行ってきます(3)

拡大カモノハシ形のE4系に乗って一路新潟へ

 極楽紀行もいよいよ最終回。これまでの2回は名古屋と岐阜を巡りましたが、今回は新潟市にある「地獄極楽小路(こうじ)」を訪ねます。最終回にふさわしく、極楽だけでなく「地獄」もセットにした豪華版でお届けします。なぜ対極にあるものが組み合わされたのか、その由来を探るべく新幹線で新潟市に向かいました。


拡大今回訪ねた場所

 全長22.2キロの大清水トンネルを抜けて新潟県に入ると、まだ11月だというのにほのかに雪景色。越後湯沢駅(湯沢町)付近では、少し雪が積もっているのが見えました。なんだか嫌な予感……。ダウンジャケットにセーターと完全防備だったのですが、新潟駅に降り立ったとたん、空気の冷たさが身にしみました。


 震えながらまずは駅前の観光案内所へ。地獄極楽小路について尋ねると「小路めぐり」のパンフレットをいただきました。それによると、新潟市中心部を西から北東へと緩やかに流れる信濃川に沿うように、南北方向に延びる道は「通り」、通りと直交して東西方向に延びる道は「小路」と呼ばれてきたそうです。ニューヨークで言えば「通り」は「アベニュー」、小路は「ストリート」でしょうか。小路の数は名前のあるものだけでも50以上。「鍛冶小路」や「舟蔵小路」など職業にちなんだものが多いですが、なかには「思案小路」や「ピンチャン小路」といった個性的なものや、人名にちなんだものも目立ちます。

拡大朱鷺メッセの展望台から遠く日本海を望む

 「上から見たらどんな感じだろう」と、信濃川の河口近くに立つ「朱鷺(とき)メッセ」の31階、高さ125メートルにある展望室から町を見渡してみました。さすがに小路まではわかりませんが、ぎっしりと軒を連ねた町並みと、川から海へと船が頻繁に行き来している様子がよくわかりました。


 改めて全ての小路を散策して、それぞれの町並みや歴史を確かめたいという気持ちに駆られましたが、今回の目的地は「地獄極楽小路」。しかもこの界隈(かいわい)だけでも色々見るべきところがありそうです。というのも、この小路があるのは料亭や別邸など、歴史的建造物が点在する「西大畑エリア」だからです。


拡大チューリップ形にドカベンをあしらった、新潟色いっぱいのバス停

 小雨が降り冷たい風が吹き付けるあいにくの天候。温暖な瀬戸内育ちの筆者には地獄のような寒さですが、バスに乗って西大畑エリアに向かいました。新潟市出身の歌人で早稲田大学でも教鞭(きょうべん)をとった会津八一(1881~1956)が晩年を過ごし、今は「北方文化博物館新潟分館」となっている邸宅の前で降りました。


拡大白壁通り。手前は旧斎藤家別邸の蔵

 その角を東に曲がり、旧商家が立ち並ぶ「白壁通り」へ。お屋敷のしっくい塀や垣間見える立派な松などから、自ずとこのエリアの格調の高さが伝わってきます。


拡大旧斎藤家別邸の門

 まずは素晴らしい庭園があるという「旧斎藤家別邸」へ。1918(大正7)年に新潟の豪商、4代斎藤喜十郎(1864~1941)の別荘として建てられたもので、新潟の砂丘地形を巧みに利用した回遊式庭園と近代和風建築が有名です。


拡大雨の庭園に、紅葉の赤がひときわ映える

 立派な門をくぐり、引き戸を開けるとそこは別世界。きれいなお座敷から眺める日本庭園は、斜面を利用しているというだけあって奥行きが感じられると同時に、鮮やかな紅葉が目の前に迫ってくるような迫力です。


拡大意匠を凝らしたガラス窓の向こうに紅葉が広がる

 雨のため、残念ながら庭の散策はできませんでしたが、案内係の方に伺うと、2階からの眺めもまた趣が異なり格別とのこと。上ってみると、ガラス越しに見下ろす庭園はなんとも風情があり、これぞ極楽極まりなし。


 これが地獄極楽小路の極楽かと思いそうですが、残念ながら違います。もちろん、地獄極楽小路と交差する「白壁通り」の一角にあり、こんな立派な建物なので、広い意味では「極楽」の一部かもしれません。


拡大行形亭の門

 では、極楽の由来となった場所はというと、次に訪ねたお隣の料亭「行形亭(いきなりや)」です。創業は江戸中期の元禄の頃(1688~1704)で、約300年続く老舗。2千坪の庭園に、離れ座敷が11もあります。数々の文化人や政財界人が出入りし、芸者たちときらびやかな宴を繰り広げてきた場所です。


 

拡大会津八一が腰掛けたかもしれない、行形亭の緋毛氈(ひもうせん)

 11代目の若女将・行形貴子さんによると、会津八一もかつて「入り口に腰をかけて人を待ってらっしゃったらしい」とか。これは確かに誰もが認める極楽でしょう。けれども、花街としても栄えた新潟には、他にも高級料亭が存在します。なぜ、行形亭だけが「極楽」と呼ばれるようになったのでしょうか。


 資料によると、かつては「地獄のとなり、極楽の『いきなりや』」とうたわれていました。どうやら隣にある「地獄」に対比して、極楽と呼ばれるようになったようです。では、その地獄とはなんのことでしょう。現在の地図を見ると、道を挟んで隣にあるのは西大畑公園です。実はこの公園、かつては刑務所でした。その歴史は古く、1849(嘉永2)年版「新潟新景」(町の屋並図)にも「牢屋」が描かれています。そしてその向かい、現在の行形亭のある場所には、前身である「茶屋」が描かれています。

拡大地獄極楽小路。左が行形亭、右手前は新潟西年金事務所で、その奥が西大畑公園

 少なくとも165年前から「地獄」と「極楽」が並んでいたようですが、いつからこの道が「地獄極楽小路」と呼ばれるようになったか定かではありません。明治になって牢屋は「新潟監獄」に変わり、さらに「新潟刑務所」となった後、1971(昭和46)年に別の場所へ移転しました。明治初年の記録では6尺(約2メートル)四方の暗い部屋に囚人が5、6人収容されていたそうです。一人一畳もないスペースです。


 なんとも不釣り合いな二つの場所ですが、行形亭の若女将が先代当主らに聞いた話では、「向かいの刑務所は殺人などの重い罪ではなく、選挙違反などを犯した人たちが収監されていたため、かつてここに出入りしていた人がいたかもしれない」とのこと。行形亭は刑務所より高い位置にあるため、刑務所内のグラウンドで受刑者が野球をしている様子などが見えたそうです。「声も三味線の音色も刑務所によく聞こえ、芸者さんが囚人によくからかわれたそうです。誰が三味線を弾いているかわかるほどのお得意さんもいたらしい」といいます。

 本当なら、高級料亭で芸者遊びができた程の人が囚人となり、かつて自分がいた場所を眺めるなんて、本当に極楽から地獄への転落です。三味線が聞こえるたび、悔しさや情けなさがいや増したことでしょう。逆に、行形亭を訪れる客人にとっては、むしろ「料亭」と「監獄」の対置という意外性が店の魅力をさらに引き立たせたのかも知れません。かつてのライバルが収監されているのを横目に宴をひらき、優越感に浸る人がいたかもしれません。きっと色々なドラマがあったのだろうと想像力がかきたてられます。

拡大行形亭の蔵。窓の上に鶴がかたどられている

 軽い罪の人が多かったとはいえ、刑務所は刑務所。料亭の方はどう思っていたのでしょうか。若女将によると、9代目の松次良さんは刑務所の移転話が出た際、移転反対運動を起こしたそうです。なんでも「警備員さんが夜回りしてくれるからむしろ安全だったし、外の雪かきをしてくれたので隣にあったほうがよかった」そうです。


 また、刑務所では年に1回、受刑者が作った物品のバザーがあり、そこで購入した従業員の下足入れや帳場の机などは今でも使っているそうです。刑務所の隣にあることが歌にうたわれるほど評判だったわけですから、料亭にとっても悪いことではなかったのかもしれません。

縮小復元された新潟刑務所の通用門拡大復元された新潟刑務所の通用門

 かつての「地獄」の跡地は現在、西大畑公園や新潟市美術館として市民の憩いの場となっています。刑務所を囲んでいたという高さ4メートル以上のレンガ塀を使って刑務所の通用門や壁が一部復元され、昔の面影が少し残されています。


 地元ボランティア団体「新潟シティガイド」の高橋敬文さんによると、公園には桜や柳、ケヤキが多く植えられ、春には緑豊かになります。地獄の気配がみじんも感じられないため、今では「極楽爛漫(らんまん)小路」と呼ぶ人もいるそうです。なんともほほ笑ましい呼び名ですが、地獄と極楽が通りを挟んで向かい合っているからこそ生み出されたものもありそうです。

拡大新潟大神宮にある安吾生誕碑。生家跡はすぐそば

 たとえば、小説家の坂口安吾(1906~55)は新潟市生まれですが、彼の生家は行形亭のすぐ西、地獄極楽小路の目と鼻の先にありました。後に上京した安吾は「日本文化私感」の中で、東京の小菅刑務所(葛飾区)を見ると「不思議に心を惹かれ(中略)懐しいような気持である」と書いていますが、この記述に地獄と極楽のあわいで育った安吾の原風景を読み取る評論家もいます。新潟の「地獄」は、安吾をはじめ文化人に少なからず影響を与えたであろうことがうかがい知れます。


 料亭と刑務所という対極にある場所から付けられた分かりやすい名前かと思った「地獄極楽小路」でしたが、そこには人間の悲喜こもごも、今日は安泰でも明日はどうなるか分からないといった人生の真理が如実に表れていました。

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 「地上の楽園」ならぬ「地上の極楽」を確かめるべく、全国3カ所の「極楽」を訪ねた今回の連載。普段あまり口にしない言葉のため、地名として存在すると知った時は単に「珍しい」「面白い」と感じたのですが、その由来となった歴史や、そこに関わった人々に思いを馳(は)せると、感慨もひとしおです。かつてほど仏教への信仰があつくない現代日本ですが、時を超えて地名に残っていたり、新たに命名されたりするのは、現代に生きる日本人にとっても「極楽」という言葉がいまだに特別な意味と印象を持っていることの表れかもしれません。

(池上碧)

=おわり