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朝日字体の時代 10

比留間 直和

 「のいち」「まえがしら」「はるがしら」……。何を指す言葉かすぐに分かる人は、どれくらいいるでしょうか。いずれも漢字の部品を表し、それぞれ「毎」の上部、「前」の上部、「春」の上部の形です。このシリーズでご覧に入れている昭和30年代の朝日新聞の社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」では、これらは「くさかんむり」や「いとへん」などと同列の「部首」として、漢字のグループ分けに使われています。しかし、康熙字典や多くの漢和辞典では、「部首」とされていません。

 当用漢字以降の新字体の中には、旧字体とは大きく形が異なり、旧来の部首に分類するのが難しいものがいくつもあります。また、旧来の方式だと、漢字の構成要素のうちどれが「部首」なのか分かりにくいケースが少なくありません。こうした問題に対応するために導入されたのが、康熙字典に基づく部首ではない「新部首」です。

拡大社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」が採用した新部首の例。上段左から「のいち」「まえがしら」「つ」「はるがしら」

 前回までに見てきたページでも、「のいち」や「まえがしら」のほかに「ま」、「め」、「つ」といった呼び名の新部首がありました。それぞれカタカナの「マ」、「メ」、「ツ」の形です。なかでも「ツ」は、「労(勞)」「学(學)」「単(單)」など、当用漢字の新字体を分かりやすくまとめる目的で立てられた部首の代表です。

 書体帳では、新たな部首を立てるほかに、従来あった一つの部首を複数に分けたり、部首同士の並び順を実際の字形の画数に基づいて変えたりしています。独立した部首を立てるのをやめ、他の部首に統合しているケースもあります。活字の運用をより合理的に行えるようにするのが目的でした。

 ただ、こうした新部首を採用した漢和辞典は少数派でした。康熙字典の部首に慣れている人にとっては、目指す漢字が予想外の場所にあるのはかえって不便です。また最近は、文字コードという存在もあります。Unicodeの漢字の並び順は康熙字典を基本としており、現在の新聞製作システムはUnicodeに基づいて文字を搭載しているため、自社のフォントに含まれる漢字の資料を作ろうとすると、いきおい康熙部首によることになります。

 校閲やフォント管理の現場で字形を説明するときに「のいち」や「まえがしら」といった呼び名を使うことは今でもありますが、漢字の分類方法として「新部首」を用いることは、朝日新聞の社内ではほとんど見あたらなくなっています。

           ◇

 では引き続き、「統一基準漢字明朝書体帳」第3版(1960年9月)に沿って、当時の朝日新聞の活字字体を見ていきます。

 

拡大p19
 19ページ、「くさかんむり」の途中からです。前回同様、くさかんむりが「4画」か「3画」かは、「康熙字典の形」と「(当用漢字以前からの)明朝体活字の形」との間の違いですので、特に記したもの以外は同一視しています。

 最初の は、いわゆる康熙字典体は。書体帳が掲げるのは、当用漢字の「數→数」という略し方を当てはめた朝日字体です。
 実は康熙字典そのものに示された字をよく見ると、左側の女の上の部分の形がではなくになっているのですが、明治以来ほとんどの活字は、康熙字典の掲げる「數」や「婁」にそろえ、この部分をと作っていました。国語審議会答申「表外漢字字体表」(2000年)も、康熙字典とは少し違う、一般的な活字字体のを印刷標準字体として掲げました。朝日新聞も現在はこの字体を使うのを原則としています。

  は「薔薇(ばら)」でおなじみの字。つい「バラのラ」と言ってしまいそうですが、もちろん単独で「ラ」と読むわけではなく、音読みは「ビ」です。
 康熙字典にならえば、中央下の部分が「一の下に几」のような形のですが、書体帳では当用漢字の「微」にそろえました。
 では、くさかんむりの付かない「微」も康熙字典ではの形だったのかというとそうではなく、当用漢字の形に近いでした。康熙字典のなかで字体が不統一だったわけです。諸橋大漢和はこの不統一が放置できなかったらしく、とそろえられています。
 表外漢字字体表ではが印刷標準字体の欄に掲げられましたが、この部分が「几か儿か」は、字体上の問題とする必要のない「デザイン差」とされました。どちらを使ってもかまわないということですが、現在一般に使われるフォントで「几」型が大多数であることを考慮し、朝日新聞もこの形に変更しました。

  は、「薨去(こうきょ)」のコウ。漢和辞典では上部があいているを正字扱いしていますが、康熙字典は「4画くさかんむり」、そして実際の活字は当用漢字以前からこの書体帳と同じ「3画くさかんむり」であり、朝日新聞が独自に略したわけではありません。紙面では現在もこの字体です。

  は「園」の異体。書体帳の最初の版(初版A)ではくにがまえの中の下部が「衣」のようにハネた でした。康熙字典は「園」も「薗」もハネない形であり、つまり「ハネるかどうか」は新旧の字体差ではなく活字設計上の揺れです。書体帳は2番目の版(初版B)から「園」と同じハネない形に修正しました。

  は康熙字典体だと。書体帳の字体はくさかんむりの下の右側を当用漢字の「産」の新字体に合わせています。現在は康熙字典体です。

 

■コケにしてはだめ

 

  は、「ふきのとう」のトウ。「トウが立つ」という表現でも登場します。くさかんむりの下の「臺」は「台」の旧字体ですが、この略し方を「薹」に適用すると「苔(こけ)」になってしまうため、略さず「薹」のままにしていました。

  は本来「稿」の異体ですが、「わら」としては一般にこちらが使われます。「高」の部分の「冂」が「わかんむり」のようになっていることにお気づきでしょうか。現在使われるほとんどのフォントでは、軟膏の「膏」は「わかんむり」型、「藁」は「冂」型になっていますが、書体帳ではどちらも「わかんむり」型でした。これは朝日新聞が独自にそろえたわけではなく、康熙字典では両方とも「わかんむり」型で掲げられており、そのためかつては藁にも「わかんむり」型の活字が少なからずあったのです。
 しかし近年は「藁」については「冂」型がすっかり主流になり、表外漢字字体表でも「冂」型が印刷標準字体として掲げられました。そのため朝日新聞でも現在は「藁」は「冂」型にしています。一方の「膏」は「わかんむり」型が印刷標準字体とされたため、朝日でもそのままです。

  はちょっとわかりにくいかもしれませんが、「耒」の一番上が「一かノか」の違いです。耒(らいすき)は康熙字典体では一番上が「ノ」ですが、当用漢字の「耕」「耗」「籍」で「一」になったのにあわせたものです。
 当用漢字以前の主な活字総数見本帳23種の字体を収録した「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)では、朝日の書体帳と同様の設計の活字がいくつも見られます。はっきりとわかるような違いではなく、あまり強く意識されてはいなかったのでしょう。
 現在の朝日新聞では康熙字典体のにしています。(やっぱりわかりにくいですね)

  は康熙字典体ではですが、当時すでに人名用漢字に新字体で入っていました。2010年には新字体で常用漢字入りしています。

  はどちらも「者」の新字体に合わせ、点を省いた略字。現在はともに康熙字典体のを使っています。

  は「おしべ、めしべ」の「しべ」ですが、漢和辞典では「蕊」が標準で「蘂」はその異体とされています。ただ、当用漢字以前の国語辞典でも「おしべ、めしべ」などの漢字表記に「蘂」の字体を使っている例があるなど、一般にはどちらも使われていました。そのなかで書体帳が「蘂」を選んだのは、北海道の地名「留辺蘂(るべしべ)」を想定したものと思われます。その後、「蕊」と「蘂」の両方が新聞製作システムに搭載されました。
 現在は辞書の記述に従い、固有名詞以外は「蕊」の字体を優先させることになっていますが、一般ニュースで「おしべ」や「めしべ」を漢字で書くことはめったにないこと、投稿の短歌や俳句では作者の表記を尊重することから、どちらを標準と扱っているか紙面を見てもよくわからないと思います。

  は康熙字典体はですが、先ほどの「藤」と同じく、当時すでに新字体で人名用漢字に入っていました。

  は1981年の常用漢字表に追加された95字のひとつで、この当時はまだ表外漢字。つくりの「化」の「匕」の部分のはらいが突き抜けない、新字体になっています。のちにこの字体で常用漢字に入りました。

  は康熙字典にあるのはという形ですが、書体帳ではつくりを当用漢字の「包」の新字体に合わせました。ただ、康熙字典に載っているのは「かばん」を表す字ではなく、「なめしがわ職人」という意味の字。「かばん」をこう書くのは明治時代のかばん店が始めたとされており、別々の由来をもつ字がたまたま同じ形になったと考えられます。
 現在は康熙字典体にしています。

  は「肖」の新字体にあわせた朝日字体。現在は康熙字典体のを使っています。

 ところで、くさかんむりのところに「革へん」の字が入っていることにお気づきでしたか。独立した部首を立てるのをやめて別の部首に統合した例です。
 

 「おおざと」に入ります。

  は、書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典が掲げていたのと同じ、横棒2本が内側に突き出た でしたが、二つ目の版(初版B)から「突き出ない」字体になりました。1976年に人名用漢字入りして突き抜けない字体が標準となり、2010年にはその形で常用漢字になりました。

  は「鄲」の左半分を当用漢字の「單→単」にならって略した朝日字体。そのすぐ上の「邯」とあわせて「邯鄲(かんたん)」という中国河北省の地名で使われます。純粋な地名として国際ニュースに登場する機会はあまりありませんが、「邯鄲の夢」(邯鄲の枕とも)という故事でしばしば登場するため、活字を常備する対象となっていました。現在は康熙字典体の「鄲」にしています。

  は左上を「尊」などと同様に「ハ」から「ソ」にしたもの。現在は康熙字典体のです。
 

 次は「こざとへん」。

  は右上が「少」になっていますが、これは「隙」の異体。かつて活字字体としては右上が「小」の「隙」よりも多く使われ、JIS漢字も1978年の最初の規格ではこので示されていました。朝日新聞の書体帳がこの字体を掲げたのもおそらく特段の意図はなく、当時の一般的な形を採ったに過ぎないと思われます。
 その後、右上が「小」の字体も社内のシステムに搭載され、しばらく両字体のどちらを優先的に使うのかあいまいでしたが、現在は「小」の字体に統一しています。

  は「隧道(ずいどう=トンネルのこと)」のズイ。康熙字典体はですが、つくりを当用漢字の「遂」に合わせていました。現在は康熙字典体を使っています。
 

 

拡大p20
20ページにいきます。

 「しんにゅう(しんにょう)」の表外漢字が並びます。明朝体におけるしんにょうの点は、伝統的にはみな2点ですが、朝日字体では表外漢字も当用漢字にならって機械的に1点にそろえていました。そうした字のほとんどは、現在では表外漢字字体表に従って2点しんにょうにしています。そのため、「しんにょうの点が書体帳では1点、現在は2点」ということ以外に特記すべき点がない字については、ここでは言及を省きます。

  は、表外漢字字体表では2点しんにょうのが印刷標準字体とされましたが、朝日新聞では例外的に、許容字体の1点しんにょうを今も使い続けています。普通名詞での用法よりも、姓など固有名詞での使用が多く、「現時点では1点を維持したほうが現実的」との判断がありました。その後、2010年の改定常用漢字表に2点の辻がもし入っていれば紙面で使う字体を再検討していたはずですが、結局どちらの字体も入りませんでした。

 同じ行にある も1点しんにょうを使い続けている字ですが、これは上の「辻」とは異なり、現行の国語政策上も1点が標準です。「迅」と「逓」は本来は表外漢字ではなく当用漢字ですが、1954年の「当用漢字補正資料」で「将来削除する28字」に入っていたため当時の新聞業界では表外扱いしていました。現在は常用漢字として普通に使っています。「迪」は1981年に1点しんにょうで人名用漢字入り。「逝」は1981年の常用漢字表に1点しんにょうで入りました。

 

■康熙字典か、実際の活字か

 

拡大1942(昭和17)年2月26日付朝刊。朝日字体以前の「迸」は、2点しんにょうに「并」だった

  (ほとばしる)は康熙字典体だとですが、活字字体では当用漢字以前から、つくりが略されたが主流でした。これをベースに、しんにょうを1点にしたのが書体帳が掲げる朝日字体です。
 この字は、表外漢字字体表に印刷標準字体が掲げられなかったため、現在ものどちらを標準とみなすべきか、必ずしも明確ではありません。表外漢字字体表の前文には、同字体表に具体的に示されなかった表外漢字については「従来、漢和辞典等で正字体としてきた字体によることを原則とする」とあり、康熙字典体のを使うべきだとも読めます。しかし、表外漢字字体表でどれを印刷標準字体にするか決めるために用いられた大手印刷会社の漢字出現頻度数調査(総漢字数=約3330万字)では、の出現回数が6回なのに対して、は70回。漢字全体のなかでの出現順位が基準に達しなかったため、字体表に具体的に示す対象になりませんでしたが、もし対象になっていれば、康熙字典体でないが印刷標準字体とされたかもしれません。
 漢和辞典類は現在も康熙字典に従ってを標準としていますが、広辞苑などは「ほとばしる」の表記にを使っています。現在の朝日新聞もです。
 JIS漢字では、第1・第2水準の範囲にしか含まれないため、一般にはこちらが使われています。ただし補助漢字(JIS X0212)にはが入っており、MSフォントやヒラギノなど、現在のパソコンOSの標準フォントは補助漢字もカバーしているため、専門的な環境でなくてもを使うのは可能です。

  は「肖」の新字体に合わせた朝日字体です。現在は

  のつくりの「口」の下はもともとという形で、「テイ」という音を担っています。しかし康熙字典が掲げるのはそこが「王」になっているであり、当用漢字以前の活字も多くがこの形でした。朝日新聞も現在はにしています。

  は「遙」のつくりを当用漢字の「搖・謠 → 揺・謡」に合わせて略しました。1981年にこの新字体で人名用漢字に入ったため、その後は一般にもこれが標準の字体とされています。その結果、先ほどの「逍」と組み合わせた「逍遥」という言葉は、前と後ろとで字体基準が異なることとなりました。

  は、書体帳の最初の版(初版A)では でした。康熙字典の掲げるに基づく字体ですが、2番目の版(初版B)からは当用漢字の「庶」に合わせ、まだれの下を「廿」の形にしました。1981年にこの字体で常用漢字入りしています。

  は本来は当用漢字ですが、「当用漢字補正資料」の削除28字に入っていたため表外漢字扱い。新聞界では今も「常用漢字だが使わない字」としています。

  は1981年に1点しんにょうで人名用漢字に入ったため、現在もこの字体です。

  は朝日字体の考え方からすればになってもおかしくなさそうですが、そこまでは略していませんでした。

 シリーズ2回目で紹介した「爾」と同様、上のほうの点々の向きが「ハ」でなく「ソ」になっています。表外漢字字体表よりも前の1992年6月にに変更しました。「島根県邇摩郡」の表記について地元から強い要望があったため、との記録が残っています。

  は漢和辞典ではを正字としていますが、康熙字典は を掲げており、当用漢字以前の活字字体も多くが でした。現在の朝日新聞も を使っています。
 

 「りっしんべん」です。

  は、「悴」に当用漢字の「碎・粹・醉 → 砕・粋・酔」をあてはめたもの。現在は「悴」を使います。

  は、当用漢字「恒」の旧字体です。書体帳では、当用漢字の旧字体のうち活字を保存してあるものを「保存旧書体」と呼んで巻末にまとめて掲げているのですが、「恆」はなぜかそれとは別にこうして本編に載っています。当時から新聞によく登場し、かつ「恆」にこだわった著名人といえば、思い浮かぶのが評論家・劇作家の「福田恆存」氏(1912~94)。注記があるわけではありませんが、書体帳の「恆」はおそらく福田氏を念頭においたものと思われます。

  は、康熙字典体はつくりが「厂」ではなく「ナ」のように交差した ですが、当用漢字の「灰」の新字体に合わせました。現在は康熙字典体を使っています。

  は「肖」の新字体に合わせた字体で、現在は康熙字典体の

  は当用漢字なのですが、「遵」などと同様、「当用漢字補正資料」で削除28字に入ったため表外漢字扱いしていたもの。現在は表内の字として扱っています。

  は危惧のグ。もともと「懼」の異体ですが、日本では「恐懼(きょうく)←→危惧(きぐ)」のように、クかグかで使い分けられてきました。書体帳でもすぐ左隣に が掲げられており、使い分けを想定していたことがわかります。
 書体帳の「惧」は当用漢字の「具」の新字体にならい、「目」とその下の横棒が切れた形です。しかし表外漢字字体表で縦棒が下にのびて横棒に接したが印刷標準字体とされ、さらに2010年の改定常用漢字表にその形で入ったのを受け、朝日でも「接した形」に変更しました。過去の活字字体や最近の修正については、以前の記事「「改定常用漢字表」解剖 4」「字体、変えました(前編)」などをご参照ください。

  は「忌憚」のタン、はばかる。「憚」のつくりの上部を当用漢字の「單→単」などに合わせて「ツ」にした字体です。現在は「憚」に変えています。

  は懺悔のザン。康熙字典体の「懺」に、当用漢字の「纖→繊」のパターンをあてはめた略字です。現在は康熙字典体。

  は右下の「ヰ」が当用漢字に合わせたデザイン。現在もそのままです。

  は懊悩のオウ。「懊」のつくりに当用漢字の「奧→奥」を適用したもので、内側が「釆」か「米」かの違いです。現在は康熙字典体(中が「釆」の形)です。
 

 次は「心(こころ)」です。

  は、前回触れた「茨」と同じパターンです。表外漢字字体表で康熙字典体のが印刷標準字体とされ、さらにその形で改定常用漢字表にも入ったため、朝日新聞のフォントも康熙字典体に変更しました。

  は慇懃のギン(キン)。「勤」の新字体に合わせた朝日字体です。現在は康熙字典体のを使っています。

  は慫慂のショウ。「從→従」をあてはめました。現在は「慫」です。

  は、康熙字典体では「ヨ」の真ん中の横棒が右に突き出たですが、「婦」「急」「浸」「雪」など多くの当用漢字が「ヨ」の形になったのに合わせたものです。「慧」はその後、1981年に「ヨ」の形で人名用漢字となり、一般にもこれが標準となりました。

(つづく)

(比留間直和)