メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

文字

観字紀行

東日本と阪神、二つの被災地 「えびす」が結んだ縁と絆①

三木 淳


拡大2014年の開門神事
 毎年1月10日午前6時、西宮神社(兵庫県西宮市)で行われる祭り「十日戎(とおかえびす)」の「開門神事(福男選び)」。大太鼓の音を合図に表大門(国重要文化財)が開かれると、門前で一夜を過ごした数百人が本殿まで約230メートルの参道を一気に駆け抜ける。本殿に一番乗りした人は「一番福」。2着の「二番福」、3着の「三番福」とともに「福男」に認定されると、1年を幸せに過ごせるとされる。

拡大
 西宮神社は全国に約3000社ある「えびす宮」の総本社。ご祭神の「えびすさん」は、大漁祈願と商売繁盛の神様として知られる。最も大きなお祭りは毎年1月9~11日に行われる「十日戎」で、期間中は100万人の参拝客でにぎわう。中日にある開門神事は、近年、新聞やテレビで派手に取り上げられ、参加者も認知度も今や「全国区」になった。

 この「福男選び」を模した競走を始めた町が、東日本大震災の被災地にあると聞き、旅に出た。

【女川】

拡大復幸男競走=女川町提供
 宮城県東端の牡鹿半島にある女川(おながわ)町で催された「津波伝承 復幸(ふっこう)男競走」。2013年3月23日。参加者80人は津波が町に押し寄せた午後3時32分にJR女川駅付近をスタート。約200メートル先の高台にある女川中学校門を目指して坂道を駆け上がった。1位は地元出身の31歳男性。「復幸男」に認定され、マグロ3キロや海産物詰め合わせが贈られた。


拡大きぼうのかね(希望の鐘商店街にて)
 復幸男が女川駅前の土砂の中から、奇跡的に見つかったカラクリ時計の1片「きぼうのかね」を鳴らし、「女川復幸祭」は始まった。女川は東北電力女川原発(停止中)で有名な町だが、金華山沖には暖流と寒流がぶつかる好漁場もあり、サンマは全国トップクラスの水揚げ量を誇っていた。しかし、2011年3月11日の東日本大震災では、地震と津波により、人口1万14人のうち死者・行方不明者は827人(全体の約12分の1)、建物4411棟のうち全壊2924棟(全体の約3分の2)など壊滅的な被害を受けた。

拡大水没した女川町の市街地=女川町観光協会のアルバムから
 震災当日の写真を見せてもらった。

 「『津波が来たら高台に逃げる』という大原則を、何とか後世に語り伝えたかった。西宮神社の『福男選び』の要素を加えた『復幸男競走』なら、ふつうの津波避難訓練より楽しく、興味を持ってもらえるのではと思った」。実行委に加わった町観光協会事務局長の遠藤琢磨さんは振り返る。

拡大江島共済会館
 

 私の運転するレンタカーに遠藤さんを乗せて、町中心部を案内してもらった。


 津波で倒壊した建物3棟が当時のまま残る。

拡大女川サプリメント
 昭和末期に建設された鉄骨4階建ての「江島共済会館」。

   

拡大慰霊スペース
 2棟目は鉄筋4階建ての「女川サプリメント」。店舗として使われていた。「横倒しの建物の中には、まだ乗用車が残されています」(遠藤さん)

  
 もう一棟は、1980年建設の鉄筋2階建ての「女川交番」。

 工事フェンス前に設けられた慰霊スペースで手を合わせ、「復幸男競走」コースの坂道へ。

拡大復幸男競走コースの坂道から復興工事の進む女川の市街地を望む

 コース中ほどからは、復興工事の進む女川中心部が一望できる。

  「あー、何にも、なくなっちゃったなあ」
  遠藤さんが話す。
  「ほら、あのあたり。私の家があったのは」

 指さされた先は、震災がれきが片付けられ、45トンダンプカーや大型クレーン車が行きかう広大な更地だった。

 「震災前から持っている物は、この腕時計だけです」
 平地の地盤のかさ上げなどを含めた復興工事全体では7~8年かかるそうだ。「震災前の町人口1万人が今では7800人ほど。でも、これは住民登録ベースの話で、実際に町内で生活している人は5千人くらいでしょうか」

拡大女川いのちの石碑と遠藤さん
 「復幸男競走」のゴール地点に近い、女川中学校の校門近くには、真新しい「女川いのちの石碑」が建っていた。

拡大石碑の文言
 「もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください」(原文のまま)。

 石碑に文言を刻んだのは、女川中の2014年3月卒業生一同。サブタイトルは「千年後の命を守るために」と記されていた。

 「津波の記憶を後世に紡ぐため、本当に千年続けたい。復幸男競走、今年(2014年)もやりますよ」と遠藤さん。

 「復幸男競走」は3月15日(土)午後3時32分スタート。参加無料。当日は会場受付も可能。今年は西宮神社の関係者も参加する。問い合わせは、女川町観光協会(電話0225・54・4328)へ。

 

【西宮】

 西宮神社とのつながりは女川だけではない。

 三陸地方(主に宮城・岩手両県の沿岸部)では人々の暮らしの片鱗に、今も「えびす信仰」の名残がかいま見える。

 でも、なぜ、「えびす総本宮」の西宮神社(兵庫県西宮市)から遠く500キロ以上も離れた三陸地方で、「えびす信仰」が盛んだったのか。

 阪神大震災と東日本大震災。 二つの被災地を「えびす」が結んだ縁と絆の歴史を、ちょっと、ひもといてみよう。

 西宮には、こんな言い伝えが残っている。

拡大御神影札
 その昔、大阪湾で漁師の網に2回も同じ神像がかかった。漁師が拾い上げ、海のかなたからやってきた「外(と)つ国の神」=「エビス神」として自宅で祭ると、ある夜、「少し西の方の宮地に居らんと欲す」とご神託があり、里人と相談して「西の方の宮地」(=現在の西宮)に神像を祭った。これが戎(えびす)社(西宮神社)の始まりとされる。

 中世になって、西宮神社のエビス神は、古事記や日本書紀に出てくるイザナギ・イザナミ二柱の神様の御子(みこ)として海に流された蛭子(ひるこ)神として再び祭られた。このころ神像は、海上守護と海産物の象徴タイを左脇下に抱えて大漁を祈願する「えびすさん」の姿になったらしい(※諸説あり)。

 ちなみに、写真は現在の西宮神社の御神影(おみえ)札に描かれた「えびすさん」。

 もっとも、全国どこでも「えびすさん=タイ釣り姿」とは限らない。

 志摩(三重県)の磯部明神は「えびす鮫(サメ)」、伊豆大島(東京都)ではカツオが「えびす魚」。「佐賀県の唐津沖にある島の神社では、クジラに乗ったえびす様がおられます」と西宮神社宮司の吉井良昭さん。

 「えびすさん」は姿もさまざまなら、使われる漢字もさまざま。


拡大恵比寿神社
 例えば、「エビスビール」が有名なサッポロビール本社(東京・恵比寿)横にあるのは「恵比寿神社」。1894年に西宮神社から当時の日本麦酒醸造株式会社の工場に勧請した「えびすさん」を、1995年の「恵比寿ガーデンプレイス」完成時に移したそうな(「恵比寿神社由緒」などによる)。

 かつて私が勤務した広島県では「胡(えびす)」をよく見かけた。佐渡(新潟県)では「狄(えびす)」を使った地名が残る。西宮(兵庫県)のことも書かれている「伊呂波字類抄」(伝・平安時代末期)には「夷(えびす)」「エビス」の表記が出てくる。これらの表記の差は、「民衆の間から沸き出たような恰好(かっこう)で信仰が昂(たか)まってきたことを示し、文字では書き表せないことからエビスというように表記されているのである」(「えびす信仰とその風土」吉井貞俊著 国書刊行会)ということらしい。

 えっ? 当て字ですか?

 

 自然崇拝信仰が発祥の「えびすさん」は、形も実にさまざまだ。


拡大西宮神社の吉井良英さん
 「九州では海中の石を拾ってエビス石と言い、東北・北海道ではクジラを神体とするところもあります。中にはドザエモン(水死体)を祭るところもあるのですよ」と西宮神社禰宜(ねぎ)の吉井良英(よしひで)さん。

 このように多種多様な「えびす信仰」だが、「タイを左脇下に抱えて大漁を祈願する」おなじみの「えびすさん」スタイルがほぼ確立した中世の西宮神社には、神社の雑役を奉仕することで生活する「傀儡師(くぐつ)」と呼ばれる一団がいた。傀儡師は人形浄瑠璃の源流にあたる人形芝居や謡曲や舞が特技で、全国をまわって「えびすさん」の宣伝を行い、御神影札の配布も行った。「夷(えびす)かき」「戎まわし」と称して一般に流布され、えびす信仰が全国津々浦々に浸透するきっかけになったという(「神社史論攷(ろんこう)」吉井良隆著)。

 ちなみに「えびすさん」が「商売繁盛の神様」と言われるのは、「七福神」信仰が浸透し、商業が発達し、えびす&大黒が「福の神」としてペアで唱えられ、庶民の生活に浸透してきた江戸時代初期ごろ。

 江戸時代、西宮神社は関東・東北・甲信越へ「えびす信仰」を広げる、決定的なきっかけをつかむ。

 1663(寛文3)年、西宮神社は四代将軍徳川家綱が造営した社殿の維持修復料にあてるために、御神影札の版権が許可され、幕府より独占的な頒布が認められた。この時、西宮神社の御神影札を配る東日本の出先機関として、江戸に「江戸支配所」、さらに、仙台に御神影札の頒布拠点「仙台触頭」が置かれた。

拡大御神影札頒布のしくみの一覧表
 これで、関東や東北などでお札を配る権利に、幕府の「お墨付き」をもらったのだ。

 実際に御神影札を配り歩いたのは、西宮神社の神職ではない。西宮神社から免許状を受け、諸国願人(がんにん)と呼ばれる各地方の在住者だった。願人は1人1年500文の役銭を触頭に上納し、仕入れた御神影札を各地の「お得意さん」に配って「販売手数料」を稼いだ。各地の事情に精通した願人がいたおかげで、西宮神社の御神影札が全国津々浦々の農漁村まで行き渡ったのだ。

拡大願人分布図を示す泉慶太郎さん
 「江戸時代(18世紀)の願人分布図がこちらです」と西宮神社の権禰宜(ごんねぎ)泉慶太郎さん。

 わあ、よく残っていますね。

 「近世諸国えびす御神影札 頒布関係史料集」(西宮神社文化研究所、2011年)には、当時の願人の「集落別の顧客リスト」が残る。当時の御神影札の人気は相当なもので、なかには「偽願人」「偽御神影札」が出回り、それを取り締まるお触れ書きも出たという(※諸説あり)。

 こうして、商売繁盛、大漁満足、福の神様として「えびすさん」は多くの民衆の崇敬を集め、その御神徳にあやかろうと各地にえびす神社が建立された。「えびす信仰とその風土」(吉井貞俊著、国書刊行会)、「全国えびす大神奉斉社一覧」などによると、「えびす様を祭っている神社(境内社含む)」は、宮城県内に15社が残っているそうな。その多くは、大漁を祈願する漁業関係者が住む沿岸部の街に集中する。それは東日本大震災で津波の被害を受けた地域と重なっていた。