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観字紀行

東日本と阪神、二つの被災地 「えびす」が結んだ縁と絆①

三木 淳

【南三陸】

 女川町から車で北へ1時間の宮城県南三陸町(旧志津川町)へ。

拡大工藤宮司と石碑
 「もう少しで、ここまで津波が来るところだったのです」
 志津川西宮神社と上山八幡宮など五つの神社の宮司を兼ねる工藤祐允さんは振り返る。旧志津川町の中心部と海を見下ろす高台の石碑銘板には「16メートル」の文字が刻まれていた。

 南三陸町も東日本大震災の地震と津波で大きな被害を受けた。

 東日本大震災で、約800年の歴史を持つ志津川西宮神社の本殿は高台にあったので難を免れたが、宮司の自宅は津波で流された。

 志津川西宮神社を護持する「別当」川村家と川村家に伝わる古文書はすべて津波で流された。失われたのは、江戸時代の1742~69年に西宮神社が発給した「西宮大神宮神像札賦与免許状」など13点。この「免許状」はえびす像の描かれた御神影札を東北地方で頒布することを許可する書状にあたる。江戸時代に「えびす信仰」が三陸地方で広がっていたことを示す貴重な史料だった。

 西宮神社(兵庫県)では数年前から、近世の「えびす信仰」を研究するため、全国各地の「えびすさん」を祭る神社をまわって所蔵する文書の撮影を実施してきた。たまたま、2010年に志津川西宮神社を訪れ、古文書を撮影し、デジタルアーカイブに保存していたのが西宮神社の吉井宮司だった。川村家文書の流失を知った吉井宮司は、大阪市内の専門業者に復元を委託。静岡県焼津市に残っていた同時代同種類の文書に使われた和紙の種類を参考に、紙の古びた色具合やシワに至るまで3カ月がかりで忠実に再現し、南三陸町の志津川西宮神社へ届けた。2012年5月のことだ。

拡大吉井宮司と再現した古文書
 写真は、吉井宮司と再現した古文書、史料を取り込んだパソコン。工藤宮司は「えびす信仰の強い結びつきを感じる」、吉井宮司は、阪神大震災で自宅が全壊した経験も持つ。「復元した文書を手渡すことで、少しでも安心してもらえたら」と振り返った。

 工藤宮司の話を聞いていると、そばにいた工藤さんの娘で歌人の工藤真弓さんが「こんな本をつくったのですが。よかったらご覧ください」と絵本を持ってきた。

拡大「つなみのえほん ぼくのふるさと」を手にする真弓さんと工藤宮司 
 「つなみのえほん ぼくのふるさと」くどうまゆみ著(市井社、1260円。アマゾンでも販売)。

 真弓さんが地震発生から避難所で過ごした10日間を描いた絵本。当時4歳だった長男とともに詠んだ五行歌17首も載せている。


 避難途中で「神社の裏山まで 逃げる 町の悲鳴が 足元まで響いている 泣いているのに!」、避難先の小学校で「わずかな毛布を かけ合って 眠る 砂だらけの足を 重ねて」と詠んだ。紙芝居バージョンもあるそうだ。避難所で長男がぐずったときに読み聞かせると、不思議と安心して眠ったとか。後に阪神大震災の被災地・兵庫県西宮市の西宮神社で開かれた絵本の読み聞かせ会にも登場し、共感を呼んだ。

拡大張り紙
 写真の2人の真ん中奥には、赤い鉄骨がむき出しの建物が見える。南三陸町防災対策庁舎だ。津波にのみ込まれた町職員ら43人の命が失われた。


 上山八幡宮は、かつて防災庁舎の場所にあったという。しかし、1960年5月のチリ地震津波とその後の豪雨のため、山の中腹にある現在地(上の山)に移転を余儀なくされ、90年には神社名も上山八幡宮に変更した。津波は古の神社の、場所も名前も変えるきっかけにもなっていたのだ。
 そして、今回の東日本大震災。一見平穏な神社も数々の痛手を受けていた。


 帰り際、上山八幡宮本殿そばの古峯神社の社殿の片隅に、こんな張り紙を見つけた。
 「古峯(ふるみね)神社には現在、荒嶋神社の御神体(ごさいじん)を一緒にお祀(まつ)りしております。津波の為(ため)、堤防が壊れた為、島に上がることが出来ませんので、こちらにお移り頂いております」。なるほど。津波に遭った神さまもここに「仮住まい」を余儀なくされていた。

 

【気仙沼大島】

拡大気仙沼港に停泊中の「ドリーム大島」
 冬至のみちのくは日の入りは早い。

 宮城県最北端の港街・気仙沼(けせんぬま)に着いた午後4時半には、周囲は真っ暗だった。

拡大港のイルミネーション
 今夜の宿は気仙沼湾に浮かぶ離島・気仙沼大島の国民宿舎。「緑の真珠」とうたわれた風光明媚な自然と、潮騒の音だけが聞こえる静けさがウリらしい。周囲22キロ、東北地方で最大の島だそうだ。

 気仙沼港に泊まっていたのは、小型フェリー「ドリーム大島」。東日本大震災の津波で流された旧船の代替船だ。

拡大1995年12月、神戸ルミナリエの試験点灯
 まだ更地が目立つ気仙沼港付近に輝く、ささやかなイルミネーション。
 そんな明かりに見送られ、所要25分の船旅の始まり、始まり~。

 被災地の明かりをみると、兵庫県民としては「神戸ルミナリエ」を思い出す。

 ルミナリエは、阪神大震災(1995年1月)の慰霊と復興への願いを込めて、神戸中心部で毎年12月に催される光の祭典のこと。写真は95年末の初回ルミナリエを前にした試験点灯。

 震災の発生から約11カ月後、市役所周辺で催された初回ルミナリエでは、光のアーチや回廊の下で、涙を流して立ち尽くしている人が大勢いた。

拡大連絡船「ドリーム大島」横断幕
 明かりは大事。光は人の心を温かく、優しく包み込む。復興を目指す人は「頑張ろう!」のスローガンだけでは生きられない。今日一日だけど、まだ復興にほど遠い東日本大震災の被災地を巡った体に、イルミネーションの輝きが染みた。

 「人・夢をつなぐ ドリーム大島」。

 フェリーの甲板には、大きな横断幕が掲げられている。

 「笑顔を忘れないで 頑張って下さい 応援しています!!」(原文のまま)

 


 港から送迎車で約5分。休暇村「気仙沼大島」の夕食は、地元食材をふんだんに使ったぜいたくなものだった。

拡大気仙沼産の仙台牛と気仙沼大島産のアワビ、煮付け
 メーンは、気仙沼産の仙台牛とアワビの鉄板焼き。魚は吉次煮付(につけ)。

 せっかくなので、にごり酒「船尾灯(ともしび)」、冬季限定の特別純米酒「もっきり」をつけてみた(写真右)。宣伝文句は「甘すぎず、スッキリしたキレのある、飲み飽きないお酒です」。なるほど、日本酒の苦手な私でもスッと飲める。1杯600円なり。

 仙台牛は陶板焼きで。

拡大仙台牛を陶板焼きしたところ
 あっ、肉汁が出て食べ頃になってきた。

 メーン以外は、自分で好きなものを好きなだけ味わうバイキング方式。

 メカジキあぶり。気仙沼港はメカジキの水揚げトップクラス。サケの切り身などとともにあぶると、酒のアテにぴったり。


 気仙沼名産のフカヒレを練り込んだ豆腐もあった。

 次は、天使のほっぺ。

拡大天使のほっぺ
 気仙沼ならではの希少な食材。気仙沼はフカヒレ(ヨシキリザメ)以外にも多くの食材の宝庫。「天使のほっぺ」は「サカタザメ」のほほ肉のこと。サカタザメの性格は穏やかで、砂地に生息し、エイのようにエラが張っているのが特徴。名前の由来は、天使のように穏やかな性格と希少性から、だそうな。


 さあ、食べるぞと思ったら、
 ……あれっ。


 ほとんど、食べられた後だった。

 明日は、気仙沼から岩手県大槌町へ向かおう。

(三木淳)

 

=次回は2月14日に掲載予定です