メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

文字

観字紀行

東日本と阪神、二つの被災地 「えびす」が結んだ縁と絆②

三木 淳

拡大
 招福と商売繁盛、豊漁祈願の神様として知られる七福神の一人「えびすさん」。えびすさんを祭る「えびす信仰」の由来や形態は地域によって千差万別で、充てる「えびす」の文字も「恵比寿」「胡」「夷」「蛭子」「戎」などと異なる。えびすさんを祭った神社は全国各地に約3000社もあるが、その総本宮は十日戎の「福男神事」で有名な西宮神社(兵庫県西宮市)にある。そのため、えびす信仰は関西以西が中心と思われがちだが、必ずしもそうではない。西宮から遠く500キロ以上離れた東日本大震災の被災地・三陸地方(主に宮城、岩手両県の沿岸部)で、今なお、「えびす信仰」が息づいていることは、あまり知られていない。なぜ、そんなところに……という歴史的背景は前回の「①」を読んでいただくとして、今回はそんな三陸地方の「えびす」ゆかりの地を訪ねる旅の第2回。

【気仙沼】

拡大「気仙沼ゑびすプロジェクト」の看板を持つ商議所の佐藤幸宏さん
 宮城県の北東端にある漁業の街・気仙沼市は、「えびす信仰」が今も人々の暮らしに根付いている。正月の神棚には「えびす像」を星玉とともに飾り、定期的に集団で西宮神社(兵庫県)へ参拝する風習だけではない。旧暦10月20日に、縁起魚のドンコ(「財布サカナ」の異名をとるエゾイソアイナメ)を食べる「エビス講」、航海で家の留守を預かる女性だけが舞う小鯖神止七福神舞(市無形民俗文化財)などの習わしも残る。

 「気仙沼ゑびすプロジェクト」も2012年秋、そんな風土から生まれた地域活性化イベントだ。気仙沼商工会議所中小企業相談所の佐藤幸宏さんは「参加加盟店(約60店)で商品を購入すると、気仙沼ゑびすTシャツや副賞がもらえる仕組みです。地酒や飲料、海産物やミカンなど、いいものも当たりますよ」と話す。

拡大蝦夷塚のある高台から太平洋を望む
 気仙沼と「えびす信仰」の縁は、1300年以上前の飛鳥時代にさかのぼる。気仙沼市教委生涯学習課の幡野寛治さんが「市南部の旧本吉(もとよし)町・大谷海岸にある三島(みしま)古墳群には『蝦夷塚』が建っています」と教えてくれた。「本吉町誌」(1982年、市教委所蔵)によると、三島古墳群は7世紀ごろに造られたエミシ(地方豪族の蝦夷。その中でも沿岸で勢力を誇った海道夷)の墓。直径4メートル、高さ2メートルほどの円墳が7基あるが、建造時は21基もあったとされる。国内の古墳所在地としては太平洋岸の北限にあたる。明治末期の調査では勾玉(まがたま)類も出土したという。

拡大「蝦夷塚」の碑文接写
 現地に案内板はない。農作業中の男性に許可を得て畑の裏道を登らせてもらうと、高台の畑の片隅に小さな碑を発見した(残念ながら、大正時代の建立)。表面の文字は摩耗して少し読みにくいが、確かに「蝦夷塚」と書いてある。

 蝦夷塚の碑は海の方を向いている。もっとも、海から来たとされる古代の「えびすさん(蛭子神)」と、8世紀に大和政権に武力で鎮圧された三島古墳群の主・エミシ、この地で近世に盛んになった「えびす信仰」(前回①参照)の直接的な因果関係は定かではない。

拡大巨大防潮堤の建設工事が進む海岸
 かつて、この周辺には世界遺産・平泉(岩手県平泉町)の奥州藤原氏・黄金文化を支えた金山が大小20以上も点在し、「黄金海道」と呼ばれるほど豊かな地でもあった。南三陸金華山国定公園の一角を占める大谷海岸は、環境省「快水浴場百選」にも選ばれている。

拡大大谷海岸駅前バス停のBRT
 しかし今は、建設に賛否両論ある巨大防潮堤の建設工事が進む。写った重機や車の大きさから推定すると、高さ10メートルはありそうだ。完成すれば風光明媚(めいび)な海岸美が失われることは、ほぼ確実。古代文化を育んだ「えびすさん」も、もう海から来られなくなるのではないか。

 「道の駅」大谷海岸も、その隣のJR気仙沼線大谷海岸駅も駅舎ごと津波で流された。JR気仙沼線は列車ではなくBRT(バス)で暫定営業中。「道の駅」はプレハブで営業を再開した。

拡大ふかひれラーメン

 「道の駅」の食堂で、護岸工事の作業員に囲まれて気仙沼名物「ふかひれラーメン」(1000円)をいただく。気仙沼が「水揚げ日本一」を誇る食材・フカ(サメ)のヒレを使った逸品。「B級グルメ」としても人気だが、さすがに価格はB級ではない。

拡大ふかひれアップ
 えっ? フカヒレはどれかって?


 半透明の茶色いプルプルしたものがフカヒレ。コリコリして淡泊な味だった。

 


拡大台座だけが残る
 お腹がふくれたところで気仙沼市街へ戻る。「震災の津波で流されてしまったけれど、神明崎の五十鈴神社には全国的にも珍しい『立ちゑびす像』(恵比須尊像)があったのですよ」と聞いたからだ。

拡大流失前の2代目恵比須尊像(神社パンフレットから)
 気仙沼湾に突き出た神明崎は市街地にしては珍しく原生林で覆われ、「百樹園」と呼ばれるほど多様な植物も生い茂る。真夏に黄色い房状の花を咲かせる落葉高木「モクゲンジ」(市天然記念物)の自生北限地としても知られる。石川啄木は1900年、ここで生まれて初めて海を見て感動し、三陸北上の旅を続ける契機にした。松尾芭蕉もこの地で句を詠んだという。


 五十鈴神社の宮司の奥様の案内で、神明崎の崖の下へ。震災後は地盤沈下が著しく、潮が満ちると海岸沿いの参道は歩けなくなるというので、大急ぎで降りる。「ほら、ここ。ここ」と指さされた先には傾いた台座だけが残っていた。

拡大看板「負げねえぞ 気仙沼」
 初代の立ちゑびす像は「大漁祈願のシンボル」として1932年に建立されたが、太平洋戦争中に「金属供出」された。2代目は89年に復元されたが、東日本大震災の津波で流されてしまった。「被災から立ち上がる気仙沼復興のシンボル」にしたいところだが……。

 北へ向かう国道45号は渋滞中。沿道でこんな看板を見つけた。「負げねえぞ 気仙沼」。毛筆体の字体と方言から、復興にかける熱い思いが伝わってくる。

 

【陸前高田】


拡大「奇跡の一本松」への小道。「希望のかけ橋」の下をくぐる
 国道45号で、ついに岩手県入り。県境は復興工事のため、片側交互通行だった。

拡大奇跡の一本松
 岩手県陸前高田市と言えば、景勝地・高田松原に立つ「奇跡の一本松」。見学には、国道沿いの臨時駐車場から約15分も歩く必要がある。地震と津波で地盤沈下が著しく、復興工事による立ち入り禁止区域も迂回(うかい)する必要があるからだ。

 手前の構造物は「希望のかけ橋」。被災者が移転する高台の住宅地造成工事で発生した土を運ぶベルトコンベヤー専用の橋で、主塔の高さ42.6メートル、塔柱間は220メートル。

 歪んだコンクリート橋を渡ると、ようやく奇跡の一本松とご対面。枯死した後、補修され、モニュメント化された。岸辺にある背後の建物は左側が崩れ落ちたままだった。

 

【大船渡】


拡大三陸鉄道恋し浜駅の階段
 人気の観光地・三陸鉄道南リアス線の恋し浜(こいしはま)駅(岩手県大船渡市)にも立ち寄ってみた。しかし、午後4時半でこの暗さ。みぞれが吹きつけ、誰もいない。それもそのはず、乗降客は1日数人だという。

拡大「ホタテ貝の絵馬」でぎっしりの待合室
 1985年の開業当初の駅名は、集落名から採った「小石浜」だった。しかし、2009年、地元で養殖する「恋し浜ホタテ」にちなんで、駅名を「恋し浜」に変更したところ、「恋愛のパワースポット」として口コミで評判を呼び、訪れる若者が増えた。

 階段を登った築堤にあるホームには「愛の鐘」がつるされ、ホームの待合室には「ホタテ貝の絵馬」がぎっしりと奉納されている。貝殻のつるされ方はホタテの養殖時と同じ。震災後だからか、絵馬に恋愛祈願は少なく、ほとんどが震災復興を願った書き込みだった。

拡大飛び出したシカ
 待合室には書き込み用のいすと机、筆記用具もある。三陸鉄道の同駅ホームページに「あなたの願いごともぜひ残していって下さい」とあったので、私も一筆啓上を……と思ったが、あれっ、残念。新しいホタテの貝殻が切れていた……。

 県道9号を急ぐと、野生シカの群れが飛び出してきた。助手席に置いたカメラでシャッターを切ると、最後の一匹だけが写った。さすが北上山地。

 

【大槌】

拡大さんずろ家の「磯丼」
 東日本大震災の津波で壊滅的な影響を受けた大槌(おおつち)町へ。「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった蓬萊島があることでも知られる。

 居酒屋・食堂兼民宿「さんずろ家」で「磯丼」をいただく。イクラ、蒸しウニ、小鉢2品とみそ汁がついて、1000円なり(飲料は別途)。

 私がお勘定を済ませ、「ごちそうさま。丼、おいしかったです。兵庫県では食べられない食材が多くて」と話していると、女将(おかみ)の台野純子さんに「ちょっと待って。ここに座って、座って」と呼び止められた。「復興って、どのくらい時間がかかるのでしょうか」


拡大新長田駅前の再開発ビル群=2013年10月撮影、本社ヘリから
 「うーん」。私は返事に詰まった。どうすれば「震災から復興した」といえるのか。

 例えば、阪神大震災で最も被害がひどかった地域の一つ、JR新長田駅前(神戸市長田区)には立派な再開発ビルが何棟も建ったが、人々のにぎわいは戻らない。震災から19年たった今も、再開発の手法や契約を巡って一部の住民と市がもめている。別の地域にある半壊したマンションでは、「裕福な全面建て替え派」と「手持ち資金が乏しい一部補修派」の住民が激しく対立し、決着に10年以上かかった。一戸建ての自宅を運良く再建できても、新旧二つの住宅ローン返済の重圧に苦しむ人は少なくない。こうなると、建物の復興はできても、人の心の「復興」は難しい。――そんな事を、かいつまんで話した。

 女将は言葉を紡いだ。「私ね。神戸に行ってみたんですよ。去年」

 ああ、そうなんや。今回の旅で意外だったのは、東日本大震災の被災者が被災後、神戸を訪れていたことだ。女将は、阪神大震災の記憶を伝え、減災と防災を考える調査研究機関「人と未来防災センター」(神戸市中央区)も訪れたという。地震破壊のすさまじさを迫力ある大型映像と音響で体感できる「1・17シアター」、震災直後の街並みをジオラマ模型でリアルに再現したコーナーなどがある。被災者にはインパクトの強い施設だが、震災復興に関する資料展示も充実しているので、あえて入ってみたという。

拡大「三陸花ホテルはまぎく」の客室から見た太平洋
 大槌町のホテルや民宿は復興工事関係者で満室が多く、やっと取れたのが「三陸花ホテルはまぎく」だった。写真右下の柵の下には大浴場がある。大きなガラス越しに、白波が打ち寄せる音がたっぷり響く。

 ホテルは東日本大震災では甚大な津波被害を受けたが、2013年8月30日、復興再オープンした。ちなみに、ホテル名になったハマギクは三陸沿岸の海岸に自生する野菊で、秋にマーガレットに似た白い花を咲かせる。

拡大秋、ハマギクはこんな花を咲かせる
 後日、ホテルから届いた賀状には、こう記されていた。「復興元年。(中略)はまぎくの花言葉は『逆境に立ち向かう』。その花言葉のように、被災地に笑顔と希望を届けるホテルでありたいと思います」

(三木淳)

 

=次回は2月28日に掲載予定です