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観字紀行

東日本と阪神、二つの被災地 「えびす」が結んだ縁と絆③

三木 淳


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 福を招く、商売繁盛と豊漁祈願の神様として知られる七福神の一人「えびすさん」。えびすさんを祭った神社は全国各地に約3000社もあるという。えびす総本宮は、十日戎(えびす)の「開門神事(福男選び)」で有名な西宮神社(兵庫県西宮市)だが、意外にも西宮から遠く500キロ以上離れた東日本大震災の被災地・三陸地方(主に宮城、岩手両県の沿岸部)で、「えびす信仰」が人々の暮らしに息づいていた。歴史的背景は前々回①を参照していただくとして、今回はそんな三陸地方の「えびす」ゆかりの地を訪ねる旅の第3回(最終回)。

 

【普代】

拡大普代村看板「ふだい ようこそ、北緯40度東端の村へ」 
  「に~し~の~みや~、に~し~の~み~やぁ~」

 岩手県北東部・北三陸地方の普代(ふだい)村。年の瀬の集落に「鵜鳥(うのとり)神楽」を練習する声が響く。鵜鳥神楽は村の鵜鳥神社に江戸時代から伝わる民俗芸能。神楽の担い手である神楽衆は、1月下旬から3月初旬にかけて旧南部藩の領内にあたる岩手県久慈市から釜石市まで、南北約130キロに及ぶ三陸沿岸の集落を2年がかりで上演して巡る。「廻(まわ)り神楽」と呼ばれる全国でもまれな形態が特徴で、岩手県は無形民俗文化財に指定、文化庁も「記録・保存すべき無形文化財」と位置づけている。

拡大東日本大震災前の鵜鳥神楽の公演の様子=鵜鳥神楽保存会の深渡さん提供
 鵜鳥神楽は、遅い春の訪れを待ち望む三陸の人々にささやかな祝福をもたらしてきた。

 だが、東日本大震災の地震と津波はこの村にも容赦なく襲いかかり、神楽衆11人のうち70代の男性1人が亡くなった。舞を披露する舞台だった三陸各地の家も大半が津波で流され、神楽の継承や巡業の見通しが立たなくなった。そんな時、手を差し伸べたのは、遠く600キロ離れた、阪神大震災の被災地、関西地方の仲間だった。

拡大鵜鳥神楽の恵比寿舞=同上
 鵜鳥神楽は、主に近世以降、関西から三陸の漁村に伝わった大漁祈願の「えびす信仰」の影響を残す(詳しくは前々回の①参照)。例えば、53ある演目の一つ「恵比寿舞」には、七福神の「えびすさん」がタイを釣って大漁祈願するユーモラスな所作があり、「に~し~のみや~、にしのみや~」というフレーズを繰り返す。

 これは「えびす神社」の総本社・西宮神社の「にしのみや」を指すという。この鵜鳥神楽の「恵比寿舞」と酷似する所作は、今も西宮神社を拠点に活動する「人形芝居えびす座」が、平安時代発祥の芸能集団・傀儡子(くぐつ)師の演出を模したとされる「戎舞」の1シーンにも登場する。

拡大西宮神社の戎舞=2014年1月の十日戎
 そんな古(いにしえ)の縁をたどるように、東日本大震災から約1年半たった2012年10月19日、西宮神社で鵜鳥神楽の「神楽奉納」が実現した。西宮神社のある西宮市は1995年の阪神大震災で死者1146人、建物の全半壊6万1238世帯などの被害を受けた(市ホームページによる)。西宮神社も社務所や鳥居が倒壊している。大震災からの復興を切望した者同士、分かり合える空気があるのだろう。鵜鳥神楽の5演目が西宮神社の拝殿で舞われる度に、観衆からは盛んに歓声や拍手が送られた。

拡大2012年10月19日の西宮神社奉納
 西宮神社や国立民族学博物館(大阪府吹田市)、阪神大震災の被災地・長田神社(神戸市)などで鵜鳥神楽の奉納公演を手がけたのは、追手門学院大(大阪府茨木市)の特別教授・橋本裕之さん。前任の盛岡大教授時代を含め、岩手県沿岸部の無形民俗文化財を研究してきた縁で企画した。「大震災で地域のコミュニティーの存続が危ぶまれるなかで、民俗芸能は地域社会を復興する上で欠かせない要素の一つ。鵜鳥神楽が人々の絆復活の橋渡し役となり、観光資源として東京や大阪から人を呼び込めるアイテムになれば、地域も活性化する。まずは、関西で公演の場を確保することで、鵜鳥神楽を復興する活動の一助になればと思った」と話す。

 鵜鳥神社の熊谷一文宮司(56)には、忘れられない記憶がある。東日本大震災から4カ月後の2011年7月、釜石市の知人から「明日で避難所の体育館は閉鎖になる。被災した仲間は各地の仮設住宅などに散っていく。避難所生活、最後の思い出に、鵜鳥神楽を舞って欲しい」とお願いされた。都合のついた神楽衆数人と訪れ、3演目だけ舞った。すると、舞った直後、高齢の女性が「ありがとう。これは津波で流されて行方不明になった一人娘の晴れ着です。神楽衆で着て舞っていただけませんか。それを見ると、娘が生きているような気がします」と、涙ながらに寄ってきた。熊谷宮司は「適当な言葉が見つからなかった」。神楽がいかに地域の暮らしに息づく文化だったかを痛感した。

拡大練習を続ける笹山さん(左)と山本さん(中央)。指導役の深渡さん
 うれしいニュースがあった。13年4月、神楽衆に若者2人が加わった。笹山英幸さん(19)と山本高さん(23)。新生神楽衆12人全員がそろうことはまずないが、週1回、仕事が終わってから集まって練習を続けている。
 鵜鳥神楽保存会の深渡理隆(ふかわたり・みちたか)さん(50)によると、鵜鳥神楽の舞い方を記した昭和初期の「教本」には、53演目のうち20演目ほどしか記されていない。だから、後世に伝えるには、古参の神楽衆による手取り足取りの演技指導(口伝)が欠かせない。新参の神楽衆2人も3演目ほど演じられるようになってきた14年1月、保存会は鵜鳥神楽の巡業復活を決めた(深渡さんは取材後の2月に急逝された)。

 「被災地では復興、復興という言葉が先走る。心の傷は深く、そんなに簡単に戻らない。でも、いつまでも閉じこもっていては何もならない。もう、そろそろいいんじゃないか」(熊谷宮司)。

 国内の伝統的な神楽は、出雲(島根県)や高千穂(宮崎県)など、主に深夜に演じる「夜神楽」が多い。だが、鵜鳥神楽はお昼ごろから3~8時間かけて演じる「昼神楽」。演出には、狂言にも通じるユーモラスな所作が多く、子どもからお年寄りまで、みんなで楽しめる強みがある。熊谷宮司は言う。「関西の方には大舞台の提供でお世話になり、感謝しかない。でも、我々の拠点はあくまでも三陸。ここからは地元・三陸で頑張りたい」

 

【久慈】

拡大「これより先 津波浸水想定区域」の標識
 鵜鳥神楽の伝わる普代村から北へ車で30分も走ると、NHKの連ドラ「あまちゃん」の舞台となった久慈(くじ)市(ドラマでは「北三陸市」)に着く。しかし、「袖ケ浜(そでがはま)」と呼ばれた久慈市小袖(こそで)海岸への道は意外に厳しかった。


拡大堤防を越える大波と灯台
 海岸沿いの道沿いには、東日本大震災の後に設置された「これより先 津波浸水想定区域」の標識が随所にみられた。




拡大小袖海岸の恵比寿神社
 曇天に海鳥が舞う小袖海岸の小袖漁港。「あまちゃん」のオープニングでヒロインが駆けた防波堤と灯台は、暴風と大波のため立ち入り禁止だった。漁協のボランティアの女性に「風と波がすごいですから、近づいたら危ないですよ」と言われたので、漁協の建物横から望遠でパチリ。

拡大まめぶ汁定食
 ロープで固定された漁船のそばにあったのは、やっぱり恵比寿神社だった。

 久慈駅近くの食堂で、名物「まめぶ汁」をいただいた。煮干しと昆布でダシをとったしょうゆ仕立ての汁物。なかには、クルミと黒砂糖を入れた丸い小麦団子(まめぶ)、焼き豆腐、シイタケ、ニンジン、イモなどの根菜類が入っている。女店主は「つい最近まで、久慈市周辺の集落で食べられていた家庭料理だったのにね。『あまちゃん』で取り上げられたのを機に家庭料理が郷土料理になっちゃった。全国あちこちから来るお客さんと店で話ができるようになったから楽しいし、ありがたいことだけどね」と笑った。

拡大三陸鉄道の車両
 写真の「まめぶ汁」定食は、おにぎり、そい(白身魚)、一品がついて500円(税込み)なり。


 ドラマでは「北三陸鉄道」として登場した「三陸鉄道」は一部運休中(4月上旬、全線復旧予定)。

 

【仙台】


拡大バスの最前列から眺める一面の雪景色
 レンタカーを乗り捨て、JRバスと新幹線で北上山地を越え、東北の都市部に息づく「えびす信仰」を求めて仙台へ。

 仙台駅前で偶然入った磯料理店「魚亭 浜や エスパル仙台店」(仙台市青葉区)は、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)にあった店を東日本大震災の津波で流され、移転開店した店だった。
 それにしても、閖上とは珍しい地名だ。一説によると、「いかだに乗った観音様が揺り上げられた浜」という言い伝えから「ゆりあげ浜」と言われるようになり、仙台藩の3代藩主・伊達綱宗が「門の向こうの海岸に波打つ水が見えた」と言ったのを機に、「閖上」の漢字があてられたという。

拡大調理中の「浜や」三瓶さん
 店の看板メニューは「閖上赤貝」。国内に流通する赤貝の9割は海外産だが、閖上は国産で質量共に日本一の赤貝産地という。名取川の河口に広がる遠浅の海岸が育んだプリッとした身の締まり、柔らかい中にも弾力がある歯ごたえが特徴で、かむほどに口の中に甘さが広がる。良品の赤貝「地玉」は東京の魚市場・築地市場などに出荷されるため、宮城県内でも食卓に上ることは少ないが、この店では食べられる。

 この復興店舗を切り盛りする店長兼料理長は三瓶孝夫さん。

 「関西から来たの? 私もね、関西にも居たのですよ。神戸は新開地(しんかいち)、大阪はミナミ……」と三瓶さん。

拡大技が光る赤貝料理が完成
 今でこそ神戸随一の繁華街といえば、百貨店やブティックが立ち並び、ビジネス街でもある三宮・元町地区(神戸市中央区)だが、半世紀ほど前までは、映画館や芝居小屋などが立ち並ぶ新開地が神戸を代表する繁華街・花街だった。映画解説者・淀川長治(1909~98)がチャプリンの映画などを観て育った街としても知られる。三瓶さんが料理人としての一歩を踏み出したのも、当時、小粋な割烹や小料理屋があった新開地だった。三瓶さんは後に京都、金沢などの料亭に移って腕を磨き、福島県の旅館で料理長だった1995年には、国体開催のため来県した天皇、皇后両陛下の料理を担当するほどに出世した。

 阪神大震災が起きた際には、三瓶さんは福島から車を飛ばし、大阪で料理人仲間と合流し、食材を調達。被災直後の神戸・新開地で3日間、被災者におにぎりと温かいみそ汁を配ったという。

 「神戸も復興したじゃないですか。宮城も復興して見せますよ。そういえば、昨年12月、ゆりあげ港の朝市に復興店を出しました。同じ会社の仲間がやっています。丼がおいしいのです。また食べに来て下さい」

 三瓶さんの話を聞いているうちに、成熟の技が光る赤貝料理が完成した。

拡大藤崎えびす神社
 仙台中心部の老舗百貨店「藤崎」(仙台市青葉区)の本館8階屋上には「藤崎えびす神社」がある。東北で「えびす信仰」が盛んだった1819年、藤崎が「得可壽屋(えびすや)」という屋号で創業したことに由来する。社殿は藤崎の繁盛とともに1932年、3階建てビルの屋上へ、63年には8階建てビル屋上の現在地に移った。

 これが「屋上神社」にしては、なかなか立派なのだ。全国的にみても、昭和時代に建てられた百貨店や商業ビルの屋上に小さな社殿がある光景は珍しくない(大阪・梅田阪神や東京・銀座三越など)が、鳥居や複数の社殿、神社グッズの販売や七福神の朱印までそろった屋上神社は珍しい。由緒書きによると、藤崎えびす神社は「奥州仙台七福神」の一つで、「みやぎ新観光名所100選」にも選ばれている。

 そのため、参拝目当てで遠方から訪れる客も散見されるといい、「参道」の一部になる?百貨店エレベーターの中のフロア案内表示板にも「藤崎えびす神社」の案内が載っている。

 「毎年1月上旬の3日間は、『出開帳』(でかいちょう)と言って、仙台各地に点在する七福神が、藤崎本館の催し場に勢揃いするイベントもあるんですよ。七福神を個別に参拝してまわるのは大変ですが、この時期の藤崎なら七つの神様を一気に拝めるので人気です」と広報担当・唐牛(かろうじ)雅子さん。

 なるほど。「えびす信仰」の本場・関西でも思いつかない独自の集客アイデアで、「えびす信仰」は、今もみちのくで独自の進化を遂げていた。

(三木淳)

=おわり