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観字紀行

化け猫から被災猫まで~猫を求めて福島へ(2)

加藤 順子

拡大郡山市内のの居酒屋で。
「おじさん、正肉3本、塩でね」
「猫に塩分は毒だよ。素焼きにしときな」
 福島県を舞台に猫をめぐる旅の続きは、松尾芭蕉が磐梯山を詠んだ俳句「山は猫ねぶりて行くや雪の隙(ひま)」からはじめます。東北、北陸の紀行文「奥の細道」で、芭蕉は栃木から福島を経て、宮城へと向かいます。この句は奥の細道以前に詠んだものですが、山の雪が所々とけている様子を、猫が自分の体をなめる様子に例えたもので、猫魔ケ岳を「猫山」と言ったことから連想したようです。


拡大今回訪ねた場所
 さて、芭蕉は、奥の細道の道中で郡山市に立ち寄ります。記念の碑があると聞いて探してみました。市中心部にあるうすい百貨店近くの駐車場にありました。灰色の石に黒の字の碑は、柵沿いにひっそりと立っていました。旅を愛した芭蕉の素朴なイメージと似ていると思いました。


拡大芭蕉小路の入り口
 ほかに江戸時代の町並みのような「芭蕉小路」も。「ご自由にお通りください」と書かれたアーチを見つけました。実は築約130年の明治時代の蔵を利用した飲食店の敷地内にあります。芭蕉の時代より後になりますが、土蔵の壁が時代劇のような雰囲気です。
 このあたりは、近くの神社の参道もあるので、芭蕉も街並みを楽しんだり、蔵が立ち並ぶ通りで足を休めたりしたかもしれないと、想像するとちょっと楽しくなりました。


拡大水郡線に乗って石川町へ
 しかし、これだけでは物足りません。新しい猫を求めて、郡山からJR水郡線で福島県中通り南部の石川町へ行くことにしました。阿武隈地域の豊かな自然と歴史が自慢の町。どんな猫が迎えてくれるのでしょうか……?


拡大いらっしゃいませ!
 郡山から約45分。磐城石川駅で降りて5分ほど歩くと、石材屋さんの大きな招き猫が迎えてくれました。さらに少し歩くと「猫啼温泉郷」という看板が見えます。2軒の温泉宿があるそうですが、川を渡って到着したのは温泉旅館・井筒屋。迎えてくれた女将の溝井美佐子さんに、さっそく「猫啼」の読み方を聞いてみました。


拡大井筒屋女将の溝井美佐子さん
 「『ねこなき』と読みます。ちょっと難しいので、パソコンで変換してもなかなか出てこないし、電話でもよく聞かれるのです」。「啼」は動物が鳴くという意味でも使いますが、啼泣(ていきゅう)や悲啼(ひてい)など、どちらかというと涙を流して泣く、声をあげて泣く、などの意味の方が強い感じがします。猫が鳴く? それとも泣く? 温泉には、ただの「にゃーん」だけではない物語が隠れていそうです。


 これを解き明かすには時を約1千年さかのぼらなくてはなりません。ヒントはこの宿の別名「式部のやかた」にありました。「式部」とは、平安の女流歌人和泉式部のこと。生没年ははっきりしませんが、百人一首の「あらざらむこの世の外の思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな」を詠んだことで知られています。自分の死期を悟って、最期の思い出にもう一度会いたいという恋人への切なる思いをつづったこの歌のように、華やかな恋愛遍歴と、恋の歌を数多く残した歌人です。

拡大和泉式部物語
 彼女の出自には諸説ありますが、石川町で生まれ育ったという伝説が残っています。町に伝わる和泉式部の伝承をまとめた本「和泉式部物語」(発行・カレントテクノ)によると、奥州石川郷「和泉」の里の長者夫妻のもとに生まれた「玉世(たまよ)姫」は、早くに両親や叔父と死に別れます。その後、あわれに思った塩商人のもとに奉公にあがった姫は、姿は美しく、歌も上手に作りますが、家事はできません。困った塩商人によって、京の呉服商人に売られてしまいます。


 そのころ、京から赴任していた奥羽の地方官が「玉世姫の歌で、荒れ狂う鳴門の渦潮を静めなさい」というお告げの夢を見ます。地方官はお告げに従って姫を渦潮に連れていきます。姫が「山畑にまくともしらぬかのこ草阿波の鳴門にたれかいふらむ」と詠むと、渦は見事に静まったのです。こうして和歌の才能を認められ、玉世姫は歌人「和泉式部」として後世に名を残します……。
 和泉式部は夫が和泉の国(いまの大阪府)に赴任したことから名づけられたというのが定説ですが、そんなシンデレラストーリーが伝わっているとは知りませんでした。

拡大井筒屋の売店は猫づくし
 さて、「猫啼温泉」の秘密には、玉世姫が可愛がったという猫「そめ」が絡んでいます。家族と死に別れた玉世姫はそめを心のよすがにしていましたが、上京する際にそめは病気になってしまい、連れていくことができませんでした。残されたそめは姫の姿を求めて「啼き続けた」のですが、ある「泉」に入ったところ病気が治ってしまったとか。この霊泉こそ、猫啼温泉の起源だそうです。飼い主の姿を求めて「なく」のなら、「鳴く」ではなくて「啼く」の方がぴったりですね。前回登場した友人の猫も、飼い主の姿が見えなくなると寂しそうに捜し回っていました。そんなそめの様子を想像するだけで、切なくなってしまいました。


拡大お客さんが紙粘土で作ってくれたという、猫の人形
 溝井さんによると、井筒屋には歴史好きから猫好きまでさまざまなお客さんが訪れます。本物の猫はいないので、猫好きにはがっかりされることもあるそうですが、館内には猫の絵やお客さんから贈られた猫の人形など、猫がたくさん。そめは伝説の「招き猫」なのかもしれません。


拡大小和清水
 町内には他にも和泉式部ゆかりの場所が残っているというので、行ってみました。「小和清水」とよばれる湧き水で、磐城石川駅の隣の野木沢駅の近くにあります。静かな公園に、大きな岩の間から泉に落ちる水音だけが響いています。きれいな水をたたえるこの泉は、玉世姫の産湯に使われたと言われます。「子宝」「子育て」、さらには「声」にも効くとされています。さっそく一口、いただきました。その冷たさは跳び上がるほど。でも、ちょっと美声になった気がしました。


拡大「くらきより……」の歌碑
 小和清水から丘の上へと続く遊歩道があるので登ってみました。雪が積もっていて2、3回足を滑らせましたが、10分ほどで開けた頂上に着きました。この小高い丘には玉世姫が生まれ、両親を亡くすまで住んでいたとされる「金子舘」があったとされています。地元の人の手で整備された遊歩道沿いには石の歌碑が点在しています。
 そのうちの一つ「くらきよりくらき道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山のはの月」は、恋多き人生を送った和泉式部が出家する前に詠んだとされる歌で、迷う心を表しています。写真にとり、最後に丘からの眺めを堪能すると、爽快な気分になりました。


拡大「猫塚」とは、いわくありげな地名だが……
 さて、和泉式部物語には和泉式部のお墓や彼女をまつった神社などの観光スポットが紹介されています。地図を開いてどこを訪ねてみようかと思案していると、新たに「猫塚」の文字が飛び込んできました。小和清水から直線距離で3キロほどと近いので、行ってみました。
 しかし、現地に到着しても、たんぼや住宅しかなく、「猫」に関係ありそうなものは見つかりません。地名学では、「塚」には何かのお墓があったとされることもあるようですが、特にそういったものもなさそうです。


 石川町について調べると、さまざまな鉱物の産地ということが分かりました。石英や雲母のほか、日本では珍しい金緑石という淡い黄緑色の鉱物も出ます。さらに少量ですが、砂金も採取されるそうです。そのため、金田川、小金塚、金堀という名前がつけられた場所もあります。川で砂金をとる際、「ねこ」という道具で砂と金をより分けるので、そこから「猫」という地名がついた、と推察することもできそうです。ただ、ここにも本物の猫はいません。さらなる猫探しの旅を続ける必要がありそうです。

 次回はとうとう本物の猫のもとへ。東日本大震災で被災した猫と、猫たちを救おうとする人を訪ねます。

(加藤順子)

(次回は4月11日に掲載予定です)