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朝日字体の時代 12

比留間 直和

 過去の社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」第3版(1960年9月)に沿って、戦後の朝日新聞の活字字体をあれこれ振り返るシリーズも、今回で12回目。2013年4月のスタートから1年が経ちます。当初は「1年ぐらいで終わるかなあ」と思っていたのですが、始めてみるとなかなか進まず、ようやく半分を少し過ぎたところです。もうしばらく、気長におつきあいください。

   《書体帳の各版の概要はこちら》

 前回、「冑」と「胄」の区別が書体帳には無かったことを紹介しましたが、今回もそれに似た事例が登場します。

          ◇

 今回は23ページからです。木へんの字がたっぷり載っています。

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 まず表内字のなかにある は本来は当用漢字ではありませんが、1954年に国語審の漢字部会が作成した「当用漢字補正資料」で、「当用漢字に加える」とされた28字のひとつで、康熙字典体の「棧」でなく略字になっているのはこの補正資料に従ったものです。木へんではほかに「朴」「杉」も補正資料で追加漢字とされ、新聞では当用漢字並みに扱っていました。いずれも1981年の常用漢字表に入っています。

  は、梁(はり)の略字。康熙字典体では右上が「刀の両サイドに点」ですが、書体帳の字体は「刃」になっています。当用漢字の新字体にこのパターンの略し方はありませんが、古くから手書きで使われてきた形をとったものです。

 この略字に対しては岡山県「高梁市」方面から苦情があったらしく、同県を管内にもつ大阪本社では1987年から高梁市の地名表記に限って康熙字典体を使う運用を始め、さらに1990年春からは他の本社・他の用途でも康熙字典体の「梁」を使うようになりました。

 (ふくろう)は、新旧の字体差はありませんが、書体帳の最初の版(初版A)では横線が1本足りない になっていました。すぐに気づいたのでしょう、二つ目の版(初版B)では直っています。しかし、実際に紙面に使う活字には、なおしばらくの間「1本足りない」形があったようです。
 

 

  は「暗渠」のキョ。表外漢字字体表(2000年国語審答申)では書体帳と同じ字体が印刷標準字体とされましたが、漢和辞典を見ると「巨」の上下の横棒が左に少し突き出た をより由緒正しい字体として掲げています。しかし過去の活字が必ずしもこの形だったわけではないようです。当用漢字以前の主な活字総数見本帳23種を集めた「明朝体活字字形一覧」(1999年文化庁)で「渠」をみると、「巨」の部分のデザインはさまざま。康熙字典そのものが掲げたのが下の横棒だけ左に突き出た だったために、この字体の活字が比較的多数を占めていました。

  は「語彙」のイの上部の「彑」を、「緑」や「縁」などの新字体にそろえて「彐」にした朝日字体。書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の でしたが、次の版(初版B)から略しました。2007年1月以降は、再び康熙字典体を使っています。
 「語彙」といえば、朝日新聞社では2011年からベネッセコーポレーションと共同で「語彙・読解力検定」を実施していますが、もし以前のまま上が「彐」の字体を紙面で使っていたら、検定を担当する部署から「ロゴと違いすぎるから何とかして」と言われていたかもしれません。

  は、康熙字典体だとつくりの点が横棒の ですが、当用漢字の「勺」の新字体にそろえました。表外漢字字体表で「デザイン差」とされたため、現在もつくりの内側が点の字体を使っています。

  は、当時は表外漢字でしたが、1981年に常用漢字表入りしました。つくりの「卆」あたりがいかにも略字っぽくて、旧字体がありそうですが、日本でできた「国字」であり、もともとこの字体です。

 

■兼任したらだめですか

 

 いよいよ来ました。 です。さて、これは何という字でしょう。かき? 正解です。こけら落としのこけら? それもたぶん正解です。
 漢和辞典では、つくりが「亠(なべぶた)の下に巾」という5画の形なのが「シ、かき」で、縦棒が上から貫く「一+巾」の4画になっているのが「ハイ、こけら」であると記されています。
 しかし、JIS漢字の第1・第2水準(JIS X0208)や、それを拡張した第1~第4水準(JIS X0213)では、コード上はこの二つの字体を区別しないことになっています。
 これについてJIS X0208の1997年版規格票では、古い時代の文献では必ずしも上記のような使い分けをしていたとはいえないこと、康熙字典がコケラとして掲げた字体が(「木部4画」としているのに)どう見ても「亠+巾」であることなどを、画像も使って紹介しています。この97JIS以降、辞書のいうカキとコケラの字体上の区別がさほど確固たるものではないことが一般にも知られるようになりました。
 近年では漢和辞典にも若干の変化がみられます。三省堂の「全訳漢辞海」は、コケラ(つくりが「一+巾」)のところに「参考」として、《木部五画の「柿  シ かき」とは別字であるが、字体上は明確な区別はなく、混同して使用されてきた状況がある。》 と記しています。
 また、岩波新漢語辞典は、コケラ(つくりが「一+巾」)の注記で 《▽現代では「柿 (し=かき)」(木部5画)とは別字。》 と、わざわざ「現代では」という言葉を添えています。ちょっと分かりにくいですが、歴史的には混用されてきたことを込めているのでしょう。

 さて、朝日新聞の書体帳に戻りましょう。この字形は、「亠」と「巾」にはっきり分かれているようには見えませんが、気持ちとしてはカキを想定しているはずです(なにしろカキの活字を用意しないはずがないので)。しかし当時の朝日新聞の書体は、「肺」の新字体なども含め、つくりの「市」については「亠」と「巾」が切れていることを強調しないデザインでした。
 では書体帳にコケラの字は「無かった」のかというと、そうとは言えません。ここでは詳しく述べませんが、戦前や終戦直後の朝日新聞の活字資料を見ると、同じ「柿」の活字に「かき」と「こけら」両方の読みを与えており、活字の運用上は同じ字と扱っていたことが読み取れます。書体帳の時代も、コケラを漢字で表記する場合はカキと同じ活字を使うつもりだったのでしょう。
 しかしその後、「カキとコケラは別の形だ」「このカキの字はコケラに見えておかしい」という社の内外の声に押されたらしく、「柿」のつくりが「亠」と「巾」に分かれていることが伝わるように筆押さえをやや強調し、さらに、それとは別に「一+巾」の字を備えるようになりました。新聞製作がコンピューターに移行して10年ほど経った、1990年代はじめごろのことです(つまり97JISよりも前でした)。
 カキとコケラの形を区別するのが「正しい」かどうかは別として、印刷文字として需要があるのは事実なので、現在の新聞製作システムでも  と  の両方を用意しています。
 ただ、過去の活字資料を眺めていると、「同じ字のままでもよかったじゃん」と言いたくなるのが正直なところです。
 

  は、康熙字典体だとつくりの「冬」のいちばん下の点が下からはね上げる形の ですが、当用漢字の「冬」の新字体にそろえました。その後、1990年に書体帳と同じ新字体で人名用漢字に入り、一般にも新字体が標準となりました。

  は、康熙字典だとつくりの横棒は左右に突き出ない。ほかに の活字もよく使われましたが、書体帳は当用漢字の「冊」と同じ形です。表外漢字字体表でも印刷標準字体とされたため、現在もこのままです。

 

■いろんなトチギ県

 

  は、栃木県でおなじみの字。木のトチを指す国字の「杤」が変化したもので、明治時代に栃木県の表記にこの字を使うことが定められて広まったとされています。
 書体帳のこの字を見て、「つくりのいちばん上のところは『一』じゃなくて『ノ』じゃないの?」と思った人もいるでしょう。実は書体帳の最初の版(初版A)では でした。一般に使われている印刷文字にも、つくりの上の部分を書体帳のように横棒にしたものと、右から左へ払ったものとがあり、大漢和辞典などは「横棒」の形を掲げています。
 さらに古い時期の朝日新聞の紙面を見ると、さまざまな「栃木県」が登場していました。せっかくなので、目についたものを並べてみます。
 

 
 戦後の朝日新聞が、書体帳の途中の版からつくりの上が横棒になった形をとったのは、当用漢字の「励」にデザインをあわせる意図があったものと思われます。
 しかし表外漢字字体表が「左払い」の形を印刷標準字体としたことから、朝日新聞も2007年1月から「左払い」の形に変更しました。2010年の改定常用漢字表にはそれまで常用漢字になっていなかった都道府県名の漢字がすべて追加されましたが、「栃」はやはり「左払い」が採用されました。

  の康熙字典体はつくりの上がいわゆる「入屋根(いりやね)」の ですが、当用漢字の「全」の新字体にならって「人屋根(ひとやね)」にしました。1981年の常用漢字表にこの形で入っています。

  は「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」のセン。たいていの活字は右下の「丹」の内側が点でなく縦棒になった ですが、当用漢字の丹にならって点にしたものと思われます。字源的にはこの部分は「丹」に由来すると考えられるので、朝日字体としては自然でしょう。ただ、活字字体としてはやはり一般的でないことから、現在では を使っています。

  は檜(ひのき)に当用漢字の「會→会」をあてはめた朝日字体。現在は「檜」を使うことにしていますが、人名などでは使い分けられるため、紙面には今も「桧」がよく登場しています。

  は右側の「ヰ」の部分が当用漢字と同じスタイル。表外漢字字体表でデザイン差と認められているため、現在も書体帳の形を使っています。

  は「桎梏」(しっこく)のコク。書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の でしたが、次の初版Bから当用漢字の「告」の新字体にそろえて「牛」の縦棒が下に出ない形になりました。現在は康熙字典体を使っています。

  はつくりを当用漢字「肖」の新字体にそろえた朝日字体。1976年に人名用漢字に入った当初は康熙字典体の でしたが、1981年の常用漢字表制定に伴う改正で書体帳と同じ新字体に変更され、それ以降は新字体が標準として扱われています。

  はこの当時は表外漢字でしたが、1981年の常用漢字表で追加された字のひとつです。漢和辞典は旧字体として を載せていますが、康熙字典が掲げるのは常用漢字表にあるのと同じ「つくりが月ふたつ」の字体であり、当用漢字以前から両方の活字が使われていました。戦後の朝日新聞がこの形を選んだのは、当用漢字の「崩」や人名用漢字の「朋」に合わせたものでしょう。

 木の名前が続きます。 (こうぞ)、 (にれ)、 (なら)は、それぞれ当用漢字の「者」「愉」「尊」などにそろえた朝日字体。現在は康熙字典体の を使っています。

  は日本で作られた国字なので康熙字典には載っていませんが、活字としては「いわゆる康熙字典体」の が使われてきました。朝日新聞も現在は康熙字典体にしています。

  は当用漢字にならってしんにょうを1点にしたもので、現在は2点。次の行にある も同様です。

  は康熙字典体の「槇」のつくりに当用漢字の「眞→真」をあてはめた略字です。のち、1981年にこの新字体が人名用漢字となり、一般にもこれが標準と扱われるようになりました。

  (けやき)、 (もみ)は「擧→挙」「從→従」の略し方をあてはめたもの。現在は康熙字典体の「欅」「樅」です。

  は、康熙字典にならった設計をすればつくりの真ん中の横棒が左右に分かれた となりますが、当用漢字の「華」と同じ設計です。当用漢字以前の一般の活字も、ほとんどがこのつながった形でした。1990年にこの書体帳と同じ字体で人名用漢字になっています。

  は「尊」の新字体に合わせたもの。現在は康熙体の です。

 

■同じタイトルなのですが…

 

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 24ページにいきます。

  は「節」の新字体に合わせたもので、現在は康熙字典体の

  は康熙字典体だと右上が羽の旧字の「羽」ですが、これまでに出てきた「耀」「濯」と同様、当用漢字の「曜」にあわせて「ヨヨ」にしていました。しかし「耀」がそうであったように、この字ものちに字体が揺れ動きました。
 まず、下の画像は1973年6月26日夕刊の「文芸時評」。宮尾登美子さんの小説「櫂」をとりあげていますが、本文・見出しとも書体帳と同じ「ヨヨ」の字体です。

 次は1983年7月1日夕刊。櫂早春(かい・さはる)さんらの宝塚退団を伝える記事です。見出しの字は前と同じ「ヨヨ」ですが、本文はよく見ると「羽」になっています。

 そして1986年4月16日夕刊。こんどは見出しも本文も「羽」です。

 このように、1980年代のはじめまでに「ヨヨ」から「羽」へと字体方針が変わったことが見て取れます。1986年発行の「朝日新聞の漢字用語辞典」(旧版)でも、「櫂」は右上が「羽」の字体でした。
 しかし、2000年の表外漢字字体表で康熙字典体が印刷標準字体とされたのを受け、2007年1月から康熙字典体の に変更しました。

 ようやく木へんが終わって、【欠】です。 は、なげく。「嘆」と通じて用いられる字で、現代表記ではふつう「嘆」が使われますが、「歎異抄」などはこちらを使います。書体帳では、当用漢字の「嘆」や「漢」などの新字体にあわせて左側を略していました。現在は康熙字典体の にしています。

 【歹】にいきます。 は当用漢字ですが、書体帳の最初の版(初版A)はつくりの下がはねる形の でした。二つ目の版(初版B)以降は、はねない形になっています。康熙字典ははねていないのですが、「明朝体活字字形一覧」に収録されている当用漢字以前の活字見本帳23種のうち、実に19が「はねる殊」でした。書体帳がはじめはねていたのは、古い活字の形をひきずっていたのでしょう。当用漢字字体表は とはねない形です。

  は、「戦歿」のボツを当用漢字の「沒→没」にそろえた朝日字体。しかし通常「歿」は「没」に書き換えているため、略字を用意してもそれほど使う機会は多くありませんでした。現在は康熙字典体の「歿」にしています。

  は「殲滅」のセンに、当用漢字「纖→繊」の略し方をあてはめた朝日字体です。この略字だと、「殲」のもつ“おどろおどろしさ”が抜けてしまってちょっと物足りない気もします。現在は、おどろおどろしい康熙字典体の「殲」です。

 【殳】(るまた)の表内字のところにある は、冒頭の「桟」と同じく「当用漢字補正資料」の追加28字のひとつ。康熙字典体だと左下の几の上に横棒が入った「殼」ですが、当用漢字「穀」の新字体と同様、横棒が省かれました。この略字体で1981年に常用漢字入りしています。

(つづく)

(比留間直和)