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文字@デジタル

朝日字体の時代 13

比留間 直和

 十数年前の出来事です。校閲センターでフォントを担当していたベテラン社員が、電話の相手に少々いらだちながら、ある文字を伝えようとしていました。
 「その字はボクセイキのキですね。……いや、ですから、ボクセイキのキですよ。ええ、ボクセイキ。だからボクセイキのキ!」
 電話の相手は取材部門の若い記者。どうやら「朴正熙=ぼく・せいき」という日本語読みになじみがなく、電話越しにボクセイキと連呼されても頭の中でパク・チョンヒ氏と結びつかなかったようです。やがて「細川護熙のヒロ」で話が通じて、この電話は一件落着しました。
 たしかに「熙」という漢字を伝えようとすると(これをお読みの皆さんのように「康熙字典」を知っていれば別ですが)たいていの場合、特定の人名に頼らざるを得ません。上の世代ならば、やはり「朴正熙」でしょう。
 ただ、朴正熙氏が現役の韓国大統領だった時代、朝日新聞の紙面では現在の「熙」とは異なる字体を使っていました。詳しくは、のちほど。

        ◇

 では引き続き、社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」第3版(1960年)に沿って、戦後の朝日新聞の活字字体を眺めていきます。

   《書体帳の各版の概要はこちら》


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 今回は25ページから。

 「氏」という部首のところにある は、蒼氓(そうぼう)や流氓(りゅうぼう)のボウ。当用漢字のスタイルに合わせて「亡」のなべぶたの横棒が左にちょこっと出ていますが、戦後生まれた字体というわけではなく、当用漢字以前の活字でも「出る形」「出ない形」の両方がありました。表外漢字字体表でデザイン差と認められており、朝日新聞では今も「出る形」です。

 次の「水」にある は、血漿のショウを当用漢字の「將→将」などに合わせて略した朝日字体。現在は康熙字典体の「漿」にしています。

 その下の は音読みではチョウ。主に人名で登場し、単独では「ひさし」「あきら」「とおる」などと読まれます。漢和辞典や一般の活字では最初の点が横棒になった形が大多数で、書体帳も最初の版(初版A)では でした。二つ目の版(初版B)以降はご覧の通り、当用漢字の「永」のように点になっています。
 もともと「日」と「永」で構成され「日が長い、久しい」の意味を表す字であり、かつ「永」そのものは康熙字典でも1画目は点ですので、「昶」の1画目が横棒でなければならない特段の理由は無さそうです。現在も朝日新聞では点の形にしています。


 「火へん」に入ります。
 表内字のなかに がありますが、本来の当用漢字では康熙字典体の「燈」でした。1954年の「当用漢字補正資料」で「灯」への字体変更が示されたため、新聞各社はこれを先行実施していました。
 1981年の常用漢字表制定の際に正式に「灯」が採用され、「燈」は旧字体となりました。

  (エイ)は、玉のように美しい石。この字については上部を当用漢字の「榮・營・勞 → 栄・営・労」のように略すことはしませんでした。ホタルやウグイスを「蛍」「鴬」と略したのとは対応が異なっています。
 1942(昭和17)年6月に国語審議会が答申した「標準漢字表」には、「瑩」はどの字体も掲げられていないのに対し、「蛍」と「鴬」はそれぞれ「螢」「鶯」の下にカッコ付きで添えられ、「一般に使用して差し支えない簡易字体」とされていました。このへんが書体帳で判断が分かれた理由の一つかもしれません。

  は灼熱のシャク。康熙字典体だと ですが、当用漢字の「勺」にそろえて点にしました。表外漢字字体表では点の字体もデザイン差とされており、朝日新聞では現在も点のままです。

  は炬火(きょか)のキョ。漢和辞典は巨の上下の横棒が左に出た を本来の形としていますが、当用漢字以前の主な活字総数見本帳を収録した「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)を見ると、昔からどちらの形もありました。表外漢字字体表では書体帳と同じく「出ない形」が印刷標準字体とされています。

  は灰燼(かいじん)のジン。当用漢字の「盡→尽」に合わせた朝日字体です。現在は康熙字典体の「燼」を使っています。

 次の は、炯眼(けいがん)のケイと同じ字で、漢和辞典では「炯」の俗字とか別体とされています。今の感覚では「炯」のほうが一般的ですが、この書体帳には「烱」だけがあり、「炯」は収録されていません。

拡大1913年8月4日付紙面から
 過去の朝日新聞を調べたところ、大正期の紙面にこの字が頻繁に登場していました。辛亥革命後に広東に勢力を保った「陳烱明」(ちん・けいめい、1878~1933)という中国の軍閥です。百科事典や大漢和辞典には「陳炯明」の字で載っていますが、当時の朝日新聞では基本的に「烱」を使っていました。
 「明朝体活字字形一覧」所載の活字総数見本帳23種のうち、「炯」を含むものは15種、「烱」を含むものが14種で、うち3種は「烱」しかありません。当用漢字以前はこの字体が「炯」に劣らず広く使われていたことが推測されます。
 書体帳に「烱」しかないのはこうした戦前の使われ方の名残かと思われますが、その後、「炯」の活字も人名などで必要となり、常備するようになりました。

  は「火焰」のエンのつくりを当用漢字の「陷→陥」に合わせて略した朝日字体。現在は康熙字典体の「焰」を使っています。ただ、この字体はJIS第1・第2水準にはなく第3水準に含まれているため、一般にはなお略字の「焔」が多く使われています。

  はレンガのレン。康熙字典体は ですが、当用漢字の「練」「錬」などと同様、つくりの柬を東にしていました。現在は康熙字典体を使っています。

  は「セン、あおる」。漢和辞典は、つくりの「戸」と「羽」がそれぞれ旧字体の を掲げ、表外漢字字体表もこれを印刷標準字体としていますが、康熙字典が実際に載せているのは「戸」が新字体の 。康熙字典の「戸」の形はあまり統一性がないことで知られています。
 「戸」というパーツの新旧は表外漢字字体表でもデザイン差とされているため、朝日新聞では表外漢字でも新字体の「戸」の形にしています。この「あおる」の字については「羽」だけ旧字の形にしたため、結果的に、康熙字典が掲げる字体と同じになっています。

  は右下の「ヰ」のデザインを当用漢字にそろえており、現在もこの形です。

  は康熙字典や漢和辞典は右側が「閒」の (「月の横棒が右につくかどうか」はここではおきましょう)ですが、当用漢字の「間」にそろえました。本来は「ラン」と読み「爛」と同じ字とされますが、日本では「燗酒」(かんざけ)のカンとして使われてきました。
 当用漢字以前の活字はみな「月」型だったのかというとそうでもなく、「明朝体活字字形一覧」所載の23種の活字総数見本帳のうち、最も多いのは「どちらも無い」(12種)で、次が「日」型(8種)、最後が「月」型(3種)でした。
 この字は表外漢字字体表には印刷標準字体が示されませんでしたが、近年は「月」型が一般的であるため、朝日新聞も2007年1月から「月」型に変えています。

  はコタツのタツ。しんにょうを1点にしていました。現在は2点です。

  は燭台のショク。この形は康熙字典体ですが、書体帳の途中の版で形が揺れました。最初の版(初版A)はこの第3版と同じでしたが、二つ目の版(初版B)では当用漢字の「獨→独」にならって略した を掲げました。無理やりこしらえたわけではなく、康熙字典にも見える字で、「燭」の俗字として使われたことも記されています。しかし当用漢字の中でも「濁」は略されておらず、活字として適当でないということになったのでしょう。三つ目の版(第2版)ですぐ康熙字典体の「燭」に戻したのでした。過去の紙面でも、「火へんに虫」を実際に使った例は今のところ確認できていません。
 ちなみに中国簡体字では、「濁」も「燭」も、つくりを「虫」に略しています。

  は「ラン、ただれる」。康熙字典体だと門の内側が「柬」ですが、当用漢字の「練」「錬」や人名用漢字の「蘭」にそろえて「東」にしていました。現在は康熙字典体の です。

 

■あのころのボクセイキ

  

 次の部首「灬」はこの書体帳では「よつてん」と呼んでいますが、「れんが」ないし「れっか」がより一般的でしょう。
  が、今回冒頭で触れた「ボクセイキのキ」の朝日字体です。1990年に という形で人名用漢字に入ったため、これに合わせて字体を改めましたが、それまでは書体帳の掲げる字体でした。この字の康熙字典体は ですが、当用漢字の にならって左上を「臣」にし、さらに「包」や「港」の新字体に合わせて右上の「巳」を「己」にしたのです。
 ただし初めからこう略していたわけではなく、書体帳の最初と二つ目の版(初版A、初版B)を見ると、現在の人名用漢字と同じ の字体でした。
 朴正熙氏が韓国で政治の実権を握ったのは書体帳第3版の翌年である1961年、側近に射殺されたのが1979年ですから、「熙」を朝日新聞流に略していた期間にすっぽり入ります。下の画像は、朴大統領射殺事件を報じた紙面と、記事本文の「朴正熙大統領」の文字です。

 ただ、朴正熙氏らが軍事クーデターを起こして実権を掌握した直後は、紙面で彼の名をどの字で表記するかが揺れていました。下の三つの「朴正熙」はいずれも1961年5月の朝日新聞縮刷版に見える字です。

 左端の「熈」は「熙」の異体で、書体帳には入っていません。この画像でも、通常の本文用扁平活字とは明らかにサイズが異なっているのがわかります。おそらく急なことで字体の適否を考えるひまもなく、別の活字セットから借りてきて間に合わせたのでしょう。
 真ん中の字はちょっとつぶれて見にくくなっていますが、れんがの上に「冫」「ノ」「臣」「己」と並んでいる字。すなわち、書体帳の同じページにある です。本来は「熙」とは別の字とされますが、実際には通じて使われてきました。
 そして右側が、「熙」の朝日字体。これ以降、フルネームを出すときはこの字で表記しました。

 

 「朴正熙」氏とは別のところで、書体帳初版A・初版Bのような字体も紙面に顔を出すこともありました。下の画像は、国語審議会が発表した ①新漢字表試案(1977年)、②常用漢字表中間答申(1979年)、③常用漢字表最終答申(1981年) を伝える紙面で注記のなかに出てきた「康熙」の文字です。

 ③の紙面では書体帳第3版の字体ですが、①と②では書体帳初版A・初版Bの字体(のちの人名用漢字)が使われています。同時期の紙面で「朴正熙」大統領は でしたから、①と②のときは国語審の資料どおりの字体にしたのかもしれません。現在筆者の手元にある新漢字表試案、常用漢字表中間答申、同最終答申の冊子では、いずれも の字体が使われています。

 この字は前述のように1990年に が人名用漢字に追加されたため、それ以降は「康熙字典」も「朴正熙」氏も、そしてもちろん「細川護熙」氏も、この人名用漢字の字体で表記しています。

 

          ◇

 

  (クン)は、韓国などの人名に出てくる字です。康熙字典体では ですが、当用漢字の「薫」にそろえて中央の四角の内側の点々を横棒にした朝日字体です。現在は康熙字典体にしています。

  は、まゆずみ。康熙字典体は ですが、クロが当用漢字で「黑→黒」となったので、これに合わせました。1990年に書体帳と同じ形が人名用漢字に入り、それ以降この新字体が標準となっています。

 次の は先ほども触れたように、「熙」と通じて使われますが、もともとは別の字。書体帳の最初と二つ目の版(初版A、初版B)では でしたが、三つ目の版(第2版)以降、右上を「己」に略していました。書体帳よりもあとの時代にまた「巳」の字体に戻しましたが、いつどんな経緯で変更したのかは今のところ不明です。使われるのはたいてい人名なので、実際の需要に合わせたのかもしれません。

 

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 26ページに行きます。

 「ノツ」は新設部首のひとつです。 、さらに同じ行のいちばん下の は、康熙字典体はいずれも下が開いた「爪」の形なのを、当用漢字の「浮、菜、暖」などにならって下に閉じた「ノ+ツ」にしたもの。このうち「采」は1990年にこの新字体で人名用漢字に入り、さらに2010年に常用漢字となったため今もこの形です。ほかの3字は2007年1月から康熙字典体にしています。

  も「ノツ」が一番上にありますが、このようにすぐ下にわかんむりがある字の場合は一般に、康熙字典体も「爪」ではなく「ノツ」です。この字の場合は右下の「ヰ」が当用漢字型のデザインになっており、現在の朝日新聞もこの形を使っています。ただ、書体帳の最初と二つ目の版(初版A、初版B)では の形で、当用漢字型にしたのは三つ目の版(第2版)以降でした。当時の担当者が途中まで見落としていたのでしょうか。

  はここでは表外字に入っていますが、本来は当用漢字。1954年の「当用漢字補正資料」で削除28字に入ったため、当時の新聞界では表外扱いでした。康熙字典体の でなく略字体なのは当用漢字字体表に従ったもので、朝日新聞の判断によるものではありません。

  は前ページの と同様、康熙字典体は点でなく横棒の ですが、当用漢字の「勺」に合わせました。現在もこの形を使っています。

  は「ケイ、たに」。辞書的にはたいてい「渓(溪)」と同じ字とされていますが、人名や地名は使い分けられるため、康熙字典体の の左側を「鷄→鶏」に合わせて略した字体を掲げていました。
 しかしここまで略したものには抵抗があったのでしょう、その後これとは別個に、左上の「爪の向きだけ変えた の字体も用意するようになりました。現在はどちらでもなく、康熙字典体を使っています。

 
 「片」のところにある はつくりの「卑」が当用漢字と同じく9画の形になっています。現在は康熙字典体の で、つくりは8画。

 
 「犬」の表外字の (ユウ)は、左上の点の向きを当用漢字の「尊」や「猶」などに合わせたもの。「はかりごと」「道」などの意味をもつ字で、福岡県の「修猷館高校」など固有名詞での使用がほとんどです。現在は康熙字典体の を使います。

 
 「王」の部首の読みに「おおへん」とあるのは、「おうへん」のほうが適切でしょう。
 その王へんの表内字の中にある は、前回とりあげた「殊」と同じく、書体帳の最初の版(初版A)では「朱」の下がはねた でした。これはかつて活字では「はねた珠」が一般的だったことによるもので、「明朝体活字字形一覧」所載の当用漢字以前の活字総数見本帳23種のうち実に18種の見本帳が「はねた珠」になっています。

 表外字の列にある は本来は当用漢字ですが、やはり「当用漢字補正資料」で削除対象となったために当時の新聞界では表外扱いしていました。
 当用漢字字体表だと  で、横棒の下の点々は「ハ」の形なのですが、書体帳ではご覧の通り「ソ」になっています。シリーズ第2回に出てきた人名用漢字の「爾」と同じパターンで、手書きではしばしば「ソ」の形に書かれてきたために活字もこのように設計したものと思われます。社外から指摘を受けるなどしたため、1990年9月に「ハ」の形に修正しました。

  は、珊瑚のサン。ここではつくりの「冊」の横棒が左右に出ていませんが、これは康熙字典と同じ形です。前回登場した木へんの「柵」は康熙字典と違って左右に突き出る形でした。この食い違いは、大漢和辞典にも見られます。
 表外漢字字体表は「突き出る形」の を印刷標準字体欄に掲げる一方、「突き出ない形」もデザイン差として認めましたが、朝日新聞では2007年1月から「突き出る形」を使っています。

  は切磋琢磨のタク。書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の でしたが、次の初版Bからつくりの点を外しました。1951年に人名用漢字となり、そこでは点つきの字体で示されていたのですが、書体帳作成時の判断としては「この『点』の有無まで人名用漢字に従う必要はない」ということだったのでしょう。しかしその後の紙面を見ると、60年代後半あたりから点つきの字体に変わっています。やはり(当時の)人名用漢字に従うほうがよい、と考えたのか、別の要因があったのかは定かでありません。
 しかし1981年に人名用漢字が改正され、この字は「点なし」の「琢」が人名用漢字の字体になり、それまでの「点つき」は許容字体へと格下げされました。これを受け、朝日新聞でも再び「点なし」に戻したのでした。

 ※シリーズ第5回(2013年8月28日付)の「啄」に関するくだりで、当初、王へんの「琢」についても書体帳の第2版と第3版では「点つき」だった旨記していましたが、正しくは「点なし」でした。当該記事のそのくだりは修正してあります。

  は琺瑯(ほうろう)のロウ。康熙字典体は真ん中の部分が1画多い ですが、当用漢字の「郎」が新字体だと1画少ないため、これに合わせた朝日字体です。現在は康熙字典体を使っています。

(つづく)

(比留間直和)