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観字紀行

高知のおもしろ駅名めぐり(中)
~「ごめん」と「ありがとう」をつなぐ、やなせたかしさん

奈良岡 勉

拡大土佐くろしお鉄道後免駅のホーム。
ごめんえきお君がにこやかに立っている
 前回訪れた「ごめん」という停留所は土佐電気鉄道(土佐電鉄)の後免町停留所でした。
 この名前は周辺の地名に由来します。南国市後免町。さらに、この地名はもともと「御免」でした。


 手元にある広辞苑には、
ごめん【御免】①免許の尊敬語。おかみのおゆるし。「天下―」②免官・免職の尊敬語。「御役―となる」③容赦・赦免の尊敬語。転じて、謝罪・訪問・辞去などの時の挨拶。④希望しないこと。いやなこと。「残業は―だ」
とあります。

拡大今回訪ねた場所
 「天下御免」の「御免」、「ごめんなさい」の「御免」。
 高知県観光振興部の「すーさん」が用意してくれた資料によると、江戸時代の17世紀半ば、土佐藩は物部川上流と高知城下を結ぶために川を通し、その地域に商取引できる市場町をつくるため、人を集める目的で租税などを免除する優遇措置をとりました。これがつまり「御免」。立地条件のよさもあり地域は繁栄し、その成り立ちにちなんで御免町と呼ばれ、転じて「後免町」となったのだそうです。


 さて、駅名にもどります。
 JR土讃線の後免駅と接続する土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の次の駅が後免町駅です。ちなみに、同線は後免(南国市)―奈半利(奈半利町)の土佐湾沿いを20駅で結ぶ第三セクター運営のローカル線(42・7キロ)で、2002年7月に開通しました。

 後免町駅のすぐ目の前には、土佐電鉄の後免町停留所もあります。土佐電鉄の路面電車はこの停留所と高知市中心部を経て西の伊野停留所(いの町)を結んでいます。前回、高知市内で見た電車の行く先が東の「ごめん」でした。
 やはり、とてもまぎらわしいですね。
 なので、(土佐くろしお鉄道の)後免町駅の愛称を「ありがとう、にしたら」と提案した人がいました。
だれでしょう。

 答えは、「アンパンマン」の生みの親、漫画家やなせたかしさんです。

拡大後免町駅の駅名標とごめんまちこさん
 やなせさんは南国市立後免野田小学校の卒業生。市などによると、少年期を後免町で過ごしました。「ありがとう駅」を提案した当時は85歳でした。
 開通から2年後の04年7月、後免町駅は愛称として「ありがとう駅」と呼ばれるようになり、やなせさん直筆の駅案内板や記念碑が設けられました。やなせさんデザインの「ごめんまちこさん」も描かれています。


拡大「ありがとう駅」の愛称にやなせさんが込めた思い
 後免駅にはやなせさん作詞の「ごめん駅でごめん」の歌碑、後免町駅にはやなせさん直筆の「理由」が掲げられています。

拡大「ありがとう駅」前の様子。
右奥には立体のごめんまちこさんがいる
 後免町駅にあるその言葉。
 「ごめん駅があれば/ありがとう駅もほしい/ごめん駅と/ごめん町駅では/まぎらわしい/ごめん町駅の愛称を/ありがとう駅にすれば/ひびきあう/ふたつの美しい言葉/ごめん ごめん/ありがとう/ありがとう/ありがとう駅」


 ちなみに、ごめん・なはり線のテーマ曲「走れ!漫画列車」にあわせて踊る着ぐるみキャラクターもつくり、08年には20駅分のキャラクターがそろいました。また、町の商店街にはアンパンマンやドキンちゃん、ばいきんまんなど7体の石像が並び、09年に「やなせたかしロード」として生まれ変わりました。
 やなせさんの故郷への思いは格別強かったことがうかがえます。その中でも「ごめん」の町には人一倍思い入れがあったようです。
 南国市名誉市民、高知県名誉県民。
 やなせさんは昨年10月13日、94歳で亡くなりました。

拡大絵金蔵の入り口
 「さ、次は絵金(えきん)に行くで」
 後免町駅から南東へ約10キロ、香南市赤岡町にある「絵金蔵(えきんぐら)」に寄り道することになりました。
 絵金? 絵金蔵?
 なんだと思いますか?
 「ここまでは高知の有名な観光地めぐりやったけど、もっとディープな高知を教えちゃうき」
 切り妻造りの商家が立ち並ぶ風情のある町並みを歩き、たどり着いたのが絵金蔵。


 外観はいわゆるふつうの「蔵」です。
 しかし、館内に入ると、度肝を抜かれました。

拡大薄暗い室内に、絵金の筆遣いが浮かび上がる
 絵師金蔵(きんぞう、1812~1876)、略して絵金。

 「もとは土佐藩家老桐間家の御用を勤める狩野派の絵師でしたが、贋作(がんさく)事件に巻き込まれ、城下追放となります。野に下った絵金は叔母を頼りにこの赤岡の町に定住し、酒蔵をアトリエに絵を描きました。『絵金蔵』では町内に残された二十三枚の屏風(びょうぶ)絵を収蔵、保存しています」(パンフレットから)

 絵金の描いたのは芝居絵。歌舞伎や浄瑠璃の芝居を二つ折りの屏風に描いた土佐独特の形式です。


拡大絵金の描く、極彩色の世界
 この絵がすごい。「すごい」としか言えないほど迫力に満ちた筆遣いと構図の妙、あふれる極彩色、とりわけ「血赤(ちあか)」と呼ばれる赤色が鮮烈な印象をもって見る者を圧倒します。
 ほんとうに。口をあんぐり開けて見入ってしまいました。


 絵金作品の収蔵庫として造られた絵金蔵は、見せ方にも工夫がなされています。
 毎年7月、地元の神社祭と夏祭りの宵にだけ蔵から出して商家の軒先に飾られるという習わしに従い、展示室をうす暗くし、ろうそくの灯(ともしび)で絵を見ているような照明にしています。観覧者は明かりのついた提灯(ちょうちん)を手に館内をめぐります。
 展示作品はすべて複製ですが、壁に開けた「蔵の穴」からは2枚の本物をのぞき見ることもできます。
 贋作事件など謎の多い生涯について解説する資料室も見応えがあります。
 1876(明治9)年、63歳で死去。
 6尺(180センチ以上)の巨漢で大酒飲みだったという絵師金蔵。土佐の幕末を彩る人々は坂本龍馬ら志士だけではないのです。

 次回(最終回)は「日本最後の清流」四万十川を訪ね、川沿いにある一風変わった駅名を見ていきます。

(奈良岡勉)