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観字紀行

一本、二本、三本……「○本松」を踏破せよ(1)

広瀬 集

思い出の六本松はいま

拡大絶え間なく車が走る、六本松交差点
 筆者は普段、「昔の新聞点検隊」を担当しています。黒田官兵衛ものの取材で、先日福岡に行きました。たまたま通りかかったのが、以前住んでいた場所。福岡を離れて早8年、懐かしくなったので立ち寄ってみました。


拡大
 福岡市中央区六本松(ろっぽんまつ)。福岡市中心地の天神からも近く、市内西・南部への中継点でもある交通の要所です。この地区の一番のランドマークは、九州大学の六本松キャンパス。1921(大正10)年、当初は旧制福岡高校として開校したもので、六本松はこの学校とともに発展してきたといっても過言ではありません。約6万5千平方メートルの敷地には主に教養科目を学ぶ1~2年生があふれ、知らない住民など皆無、でしたが……


拡大六本松九大前交差点。奥にはかつて九大の建物群がそびえていたが……
 「六本松九大前」なのに九大が無い!


拡大何ひとつ残っていない、広大な更地
 まるで荒野……。九大は新キャンパスへの移転を進めており、六本松キャンパスは2009年に閉校していたのでした。近所の店舗などに話を聞いてみたところ、「たまに卒業生が『跡地を前に呆然(ぼうぜん)と立ち尽くしてしまった』って言いに来たりしよるよ」とのこと。激しく同意。あるはずのものが無いというのは、なんとも落ち着かない気持ちです。


拡大洋食屋「むつの木」
 訪ねた店のうちの一つ、「むつの木」は、在住時からある洋食屋さんです。当時は貧乏で、「洋食」は高嶺(たかね)の花。財布に余裕がある時にだけ注文できたハンバーグを久々に食べたくなり、十数年ぶりに入店しました。懐かしい店構えに、ざわついていた心もほっと一息。マスターの加来義昭さん(59)によると、やはり閉校時は学生客が「一気に減った」そうです。


 ただ現在は、街自体の人が減ったという感じはなく、社会人を主な客層にして「必死やけど、色々やりながら頑張ってます」とのこと。跡地には司法関連施設や住宅などが計画されています。再開発で、また新しいにぎわいがこの街に生まれてほしいものです。

六本松は松6本か?

拡大ハンバーグランチ680円。柔らかくて食べやすく、おいしい!
 落ち着いたところで、「前よりおいしくなっとるよ!」と出てきたハンバーグに舌鼓。そこでふと店名の「むつの木」へ思いが巡ります。……もしかして「六本松」だから? 「そう、『六つの木』」と加来さん。……初めて気付きました。そういえばその「六本松」の由来も、「松が6本あったんだろう」程度で、きちんと考えたことがありませんでした。


拡大六本松周辺図
 地名のことなら最初に当たりたいのが「角川日本地名大辞典」。「町名は6本の松の木があったことによる。この松の木は福岡城下をめざす人々の目印になっていた」とありました。やはりランドマークとなる松が6本あったようです。六本松から福岡城まで、約500メートル。格好の目印だったのでしょう。


 ただ「福岡県百科事典」によると「文政年間(1818~30年)に大風のため倒れてしまった」とのこと。残念。小さい頃から六本松周辺で育った加来さんも、どこに生えていたという話は聞いたことがないそうです。

拡大「安永6年 福岡御城下絵図」
福岡県立図書館蔵
拡大(右)福岡城南部の西寄りを拡大
(左)さらに拡大すると……あった!六本松
 何か少しでも往時の様子が分かればと、福岡県立図書館から江戸時代の地図の画像をお借りしました。1777(安永6)年の福岡城下の地図です。
 真ん中の池に浮かんだ島のような所が福岡城の敷地。その左下に「馬場」とある太い道(現在の護国神社あたり)があり、突き当たりから左下にのびる道をたどると……ありました! 六本松! 松らしき木も描かれています。


拡大護国神社前から六本松交差点方面へ徒歩数分。松らしき木が描かれているのはこのあたりだろうか
 今となっては建物が密集していて正確な位置は分かりませんが、この頃の九大跡地あたりは何もなさそうですね。


拡大地下鉄六本松駅のロゴマーク
 現在は松の木は跡形もなくなってしまいましたが、六本松はこんなところに引き継がれていました。福岡市営地下鉄は各駅ごとにロゴマークがあるのですが、六本松駅はこちら。幹6本ではなく枝6本でかわいく収まっていますね。


次は「一」本

 では、地名とともに由来の松が残っている地域はないのでしょうか。

拡大JR一本松駅の駅舎
 まずは駅名を頼ってみることにしました。福岡県には他にJR日田彦山線の「一本松」駅(いっぽんまつ、香春〈かわら〉町)もあります。博多駅から約1時間半かけて訪ねてみましたが、それらしき松の姿はなし。
 駅の近くに「一本松神社」もありましたが、近所の方によると、戦後に建てられたとのこと。住所としても一本松の名は残っておらず、町役場などに問い合わせても、由来はよく分からないとのことでした。


拡大駅前でちょっとラーメン。コクのあるスープが美味

 結局駅前でラーメンを食べて帰るだけになってしまい……やはり一発目からそううまくはいきません。


「八」もあった

拡大JR八本松駅の駅舎
 次に訪ねたのは広島県のJR山陽線「八本松」(はちほんまつ)駅。広島駅から東の山側へ30分、山陽線内で最も高い地点(255メートル)にある、自然豊かな地域です。八本松に至る手前の急勾配は、かつて補助の機関車が客車を後ろからも押してのぼっていたそうです(今でも貨物列車は押しています)。以前は単独の自治体「八本松町」で、1974(昭和49)年に近隣の町と合併して東広島市の一部となっています。

拡大八本松周辺図
 市発行の観光パンフレットによると、八本松の由来は、西国街道(山陽道)の「長尾の一里塚」に植えられていた2本の松。それぞれ4本の枝があり、重なり合うように街道を覆っていたそうです。本体ではなく、4本の枝×2で八本松なのですね。


拡大国道2号沿いにある大型ディスカウントストアの駐車場に、一里塚跡の石碑がある。写真の左から旧西国街道に入る
 駅から歩くこと1キロ弱。国道2号沿いに、一里塚跡の石碑が立っていました。実際には道をまたいで少し奥にあったようです。今や旧街道は細い脇道となっており、立派な国道2号が広島方面に延びていて、ここでも当時をしのぶよすがは見あたりませんでした。


拡大中野砂走の出迎えの松(写真奥が広島方面)
 ただ、八本松から広島方面へ3駅進んだ安芸中野駅(広島市安芸区)の近くに、西国街道の松並木がわずかに残っていました。「中野砂走(すなばしり)の出迎えの松」として市指定の史跡になっています。参勤交代を終えて江戸から帰ってくるお殿様たちを、城下からこの辺りまで出迎えにきたとの逸話が説明板に紹介されていました。広島城から直線距離でも約10キロ、迎える側も一苦労ですね。


 推定樹齢は100~250年。街道が整備されて数代たっているかもしれませんが、それでも立派なクロマツです。同じ街道に生えていた八本松の松は、どれほどの枝ぶりだったのでしょう。想像力をかき立てられますね。

めざせ完全踏破

拡大この日は暑くてわんこもバテ気味です
 さて、ここまで「六本」「一本」「八本」と見てきました。せっかくですから1から9まで踏破したくなるのが人情というもの。「由来の松探し」「9まで踏破」、これを今回の観字紀行のテーマにしましょう。次回の舞台は古都、奈良・京都。どんな「○本松」に出会えるでしょうか。


(広瀬集)