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観字紀行

一本、二本、三本……「○本松」を踏破せよ(2)

広瀬 集

東に針路を取れ

拡大近鉄三本松駅のホーム
 前回、駅名を頼りに福岡県と広島県にある「六」「一」「八」の「○本松」を訪ねた筆者。次に目指したのは「三本松駅」です。実は香川県東かがわ市(JR高徳線)、奈良県宇陀市の両方に存在し、さらに鳥取県米子市には「三本松口駅」(JR境線)もあります。全て訪ねたかったのですが、今回は奈良に向かいました。


拡大今回訪ねた場所
 新大阪駅からJRと近鉄を乗り継いで約1時間半。奈良県の東の端にある近鉄大阪線の駅です。東隣の赤目口駅は三重県名張市、西隣の室生口大野駅は、「女人高野」として有名な室生寺の最寄りとなります。


拡大緑の中を近鉄電車が走り抜ける
 電車を降りた途端に、緑いっぱい、のどかな山里の風景が広がります。無数の樹木に囲まれていますが、その中に地名になるほど目立つ松があったのでしょうか。


お地蔵さまのお導きで

 駅からしばらく歩くと「重文 子安地蔵菩薩(ぼさつ)」の看板が見えてきました。お宝好きの血が騒いで立ち寄ると、事前に拝観予約が必要とのこと。しまった、と後悔していたら「お参りしたい?」と天の声が。たまたま通りかかった自治会長、山村繁夫さんのご厚意で拝観できることに!

拡大三本松周辺図
 高さ177.5センチもあり、穏やかな表情ながら迫力も感じる堂々とした地蔵菩薩像でした(残念ながら撮影は禁止)。戦前は国宝だったというのもうなずけます(戦後に重要文化財に再指定)。平安時代前期(9世紀末)の作と推定され、室生寺の仏像群と深い関わりがあるといわれているそうです。国の文化財としては珍しく、村の守護仏として自治会の皆さんで管理しているとのことでした。


 思わぬ出会いに感動した後、山村さんに本来の訪問目的を説明すると、これまた思わぬ言葉が返ってきました。「由来の松、あるよ」
 えっ、本物が見られる?! 山村さんによると「三本松」は戦後に枯れてしまったものの、切り株を保存しているそうです。急きょ見せてもらえることになりました。なんという幸運でしょう。

拡大「三本松」の切り株
 その切り株がこちら。大きい!両手でも抱えきれないぐらいです。
 これでもおそらく一部だろうとのこと。この松も、広島の八本松と同様、独立した3本ではなく1本の松が三つに枝分かれしたものだったようです。


拡大在りし日の「三本松」の写真。見事な枝ぶり
 うれしいことに、往時の威容を収めた写真も残っていました。説明板によれば、既に江戸時代中期(1726年)の絵図に描かれているそうで、樹齢は推定300~400年。1932(昭和7)年には国の天然記念物に指定されるほどの名木でしたが、戦後に樹勢が衰えて1951年に枝の1本が折れ、ついには枯れてしまいます。55年に天然記念物指定を取り消され、伐採されたとのことでした。


3代目は1本松

 続いて三本松集落の中心部に。ここはかつて初瀬街道の宿場町でした。近畿から伊勢神宮に参る際の重要な街道で、鉄道ができるまでは多くの旅人でにぎわっていたそうです。今もわずかに、当時の面影が残っています。

拡大初代「三本松」が元気だったころに建てられた石碑。後ろの松が「3代目」
 中心部は元三地区と呼ばれています。ずばり、「三」本松のおひざ「元」だからです。この地域も55年までは独立した自治体(三本松村)で、旧村役場も残っていました。そこから少し見上げたところに、あの三本松が生えていた場所がありました。
 今は「3代目」の松が、元気に育っています(2代目は植えたものの、うまく育たなかったそうです)。3代目は「3本」松ではなく「1本」松ですが、すでに樹齢は数十年。なかなか立派な姿になりつつあります。この後継ぎの根元に、初代の天然記念物指定を記念する石碑が静かに立っていました。


拡大近くの長命寺に残っていた道標。東に行くと伊賀国の境とある
 高台からこの地を見守っていた名木は、街道から見ても相当目立ったはずです。当時の人々は「ああ、もうすぐ大和(奈良)と伊賀(三重西部)の境だ」と、この松を見て思ったことでしょう。これぞ探し求めていた「ランドマーク松」でした。


京都市は○本松の宝庫だった

拡大京都には「○本松」がたくさん
 切り株になってはいましたが、地名の由来となった松を見つけ、当初の目的の一つを達成しました。残るは「一」から「九」までの踏破です。駅名だけでなく地名にも目を向け地図とにらめっこすると、近場にいくつも「○本松」を抱える自治体がありました。日本を代表する古都・京都市です。


拡大京都市下京区四本松町の町並み
 まずは京都駅からほど近く、東西の本願寺の間にある「四本松(しほんまつ)町」です。
 京都地誌研究の代表書「京都坊目誌」(碓井小三郎編、1916年刊)には、かつて「四株の古松」があったとあります。
 ただ、天明期(1781~89)年間に「焼亡」してしまったそうで、今はご覧のとおり、道をはさんで民家が並び、その面影はありません。


拡大京都市上京区二本松町
 「二本松(にほんまつ)町」も同様の京都らしい街並みですが、やはり松は見当たらず。


拡大絢爛(けんらん)豪華だったという聚楽第も、今は石碑が残るのみ。二本松町から北東に少し行ったところ
 こちらは二条城の北側、かつて豊臣秀吉が聚楽第(じゅらくてい)を建てた辺りです。その頃には2本の松があったという言い伝えが「坊目誌」に紹介されています。


拡大右奥に延びるのが七本松通、左が一条通
 ここから西に少し行くと「七本松通(しちほんまつどおり)」が南北に走っています。一条通との交差点には「通り名発祥ノ地」「七本ノ群生松(江戸期)」と記した看板が立っており、江戸時代中期の「名所図会」に描かれていると説明がありました。一方、「坊目誌」には、天暦年間(947~957年)に「一夜に松七本生」じた、という伝承が紹介されています。


拡大一本松バス停
 京都市中心部には他に「一本松」のバス停もありました。この辺りの町名は「下鴨松ノ木町」。バス停の近くには松が1本生えており、京都市交通局などにも尋ねましたが、残念ながら地名との関係は不明でした。


早くもセミコンプリート!

拡大京都市右京区京北五本松町
 さらに市内には「五本松」もあります。同じ市内とはいえ、京都駅からバスで80分、右京区京北五本松(ごほんまつ)町です。市街地とは対照的な、山間の静かな集落。かつては単独の「京北町」でした。
 広い地域を歩き回ったものの、わずかに「昔は立派な松があったと聞いたことはあるが、場所も時代も今は分からない」とのお話を聞けただけでした。

拡大植林されたと思われる若い杉。背丈の違う兄弟のよう
 歩いていて気付いたのは、見渡す限りの杉、杉、杉。この地域は林業が盛んで、杉の名産地でした。松にとっては「完全アウェー」ですが、それが逆に目立つ要因だったのかもしれません。


 さて、奈良で「三」、京都では「一、二、四、五、七」本松を訪ねました。早くも残すは「九」のみ! 次回はネットで検索すると飛び抜けて「○本松」の地名がヒットする愛知県に出かけます。「九」は見つかるでしょうか。

(広瀬集)