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朝日字体の時代 15

比留間 直和

 このシリーズで1ページずつご覧に入れている社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」は、それまで東京や大阪など本社ごとにばらばらだった活字を統一的に整備するため、新聞製作に必要な4000の漢字(当用漢字を含む)を選び、活字設計の基準として1955~60年に作成したものです。

   《書体帳の各版の概要はこちら》

 4000という字数は、当時の新聞製作における効率性と利便性のバランスを考えた結果ですが、実際にどういう根拠で具体的な字種を決めていったのかについては、詳しいデータは残っていません。活字鋳造数の社内調査は戦前から行っていましたが、戦後、当用漢字表による漢字制限で難しい漢語を別の表現に置き換える試みが始まり、また社会の急激な変化で新聞に出てくる言葉も変わっていくなか、「これから必要な活字」を見通すのはたやすいことではなかったでしょう。
 現在の目から見ると、「これが4000字に入ったの?」と感じるものもいくつかあります。しかしそうした字も「これは必要」と判断したわけですから、戦前・戦中を経験した当時の新聞人にとって、決して珍しい字ではなかったはず。今ではほとんど使われない字も、選ばれるだけの理由があったわけです。
 そのへんの「ギャップ」も含め、当時の気分を味わっていただければと思います。

          ◇

 では、引き続き「書体帳」の第3版(1960年)に沿って当時の活字字体を見ていきます。

拡大p29
 まずは29ページ。最初の行は、「白」の表外漢字です。

  は競馬の「皐月(さつき)賞」でおなじみの字。康熙字典や大漢和辞典では「白の下に夲」と書く「皋」の字体を主とし、「皐」はその「同字」という扱いをしています。しかし当用漢字以前から「皐」の活字がよく使われ、1990年には「皐」の形で人名用漢字に入りました。

  は康熙字典体だと右上のパーツの縦棒が少し突き出た ですが、当用漢字の「告」にあわせて下に突き出ない形にしました。1981年にこの新字体で人名用漢字に入ったため、辞書類でもこの形が標準となりました。

 「皮」のところにある は、当用漢字「鼓」の俗字とされているもの。新聞では異体字はできるだけ使わないのが基本原則ですが、この字は固有名詞などで必要不可欠と判断されたのでしょう。最近でも名字のほか、神社の名や、祭りの曳山の名前などに登場しています。

 「皿」のなかの  も当用漢字「杯」の異体ですが、こちらは必ずしも固有名詞でなくても儀式のような場合は「盃」が好まれるような気がします。「木へん」だと重みに欠ける感じがするのでしょうか。テレビによく映る大相撲の天皇賜杯も、(つくられたのが大正時代と古いせいもあるでしょうが)賜杯そのものには「賜盃」としるされています。

 その下の もさかずきを表す字で、音はサン。康熙字典体の「盞」の上半分を、当用漢字の「淺→浅」や「錢→銭」にならって略した朝日字体です。現在は康熙字典体を使っています。

 「目へん」にいきます。 は眷属(けんぞく)のケン。上の点々の向きを変えた朝日字体です。現在は康熙字典体の です。

 (かなえ) は漢和辞典だと右下の部分が「T」字形の  ですが、書体帳の字は1画が折れ曲がったような形をしています。これは康熙字典が掲げている字体であり、そのためかつてはそのスタイルの活字が多く作られていました。当用漢字以前の主な活字総数見本帳を集めた「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)を見ると、23種の活字見本帳のうち14種が朝日の書体帳と同じスタイルです。ただ、この字体だと総画数は12画に見えますが、康熙字典でも鼎は13画と数えられており、画数との整合性からみると「T」字型のほうが自然に思えます。
 実際、近年は「T」字形が主流となり、2000年の国語審答申「表外漢字字体表」でも「T」字形が印刷標準字体として掲げられました。朝日新聞でも現在は「T」字形を使っています。

  は、一瞥のベツ。左上の点の向きを「ソ」にした朝日字体です。現在は康熙字典体の にしています。

 同じ行にある (にらむ)、(まぶた) は康熙字典体だと「睨」「瞼」ですが、当用漢字の「兒→児」や「檢→検」のパターンをあてはめました。現在はいずれも康熙字典体です。

 (ショク) は「期待して注目する」といった意味で、康熙字典体は 。書体帳の字は当用漢字の「屬→属」にそろえた略字で、康熙字典にも「矚の俗字」として載っています。略字を作って書体帳に載せはしましたが、この字を使う「矚目」や「矚望」という語はもともと口へんの「囑」も使われ、この口へんの字が「囑→嘱」と略されて当用漢字に入ったこともあって、目へんの字が登場する機会はめったにありませんでした。
 現在も紙面ではほとんど使われませんが、字体は康熙字典体に変えてあります。

 「矢へん」のなかにある は矩形のク。漢和辞典では  を伝統的な字体としていますが、これまでに出てきた「渠」や「炬」と同じく、当用漢字以前から書体帳のような字体の活字が普通に使われていました。1981年にこの字体で人名用漢字に入っています。 

 

■地名に生き残る略字も

 

拡大p30

 30ページにいきます。「石へん」からです。

  は「礦」のつくりを当用漢字の「廣→広」「鑛→鉱」などにならって略した朝日字体。現在は康熙字典体の「礦」を使うことにしています。
 ただし、1956年に国語審議会が決めた「同音の漢字による書きかえ」の中で、「礦」は「鉱」に置き換えることが示されており、そのため現在では一般用語の「炭礦」や「礦石」などは「炭鉱」「鉱石」と金へんの字で書くのが標準とされています。最近の紙面で石へんの「礦」が登場するのは、会社名などの固有名詞が大部分です。

  は康熙字典体の「礪」のつくりを当用漢字の「勵→励」と同様に略した字体です。「きめの粗いといし」とか「とぎみがく」といった意味の字ですが、新聞に出てくるのはたいてい富山県の地名の「砺波(となみ)」。平成の大合併では隣に「南砺(なんと)市」も誕生しました。
 朝日新聞では2007年1月に自社の表外漢字の字体方針を転換して以降、この字については康熙字典体の「礪」を標準と位置づけてはいますが、「砺波」などの地名は地元の表記に合わせて略字を使い続けているため、実際のところ康熙体の「礪」が紙面に登場する機会はめったにありません。
 余談ですが、「礦」(砿)と「礪」(砺)は、康熙字典体だとちょっと似た感じの字になります。お互い、誤植に気をつけましょう。

 次の行の末尾にある (レキ、つぶて) は「礫」のつくりに当用漢字の「樂→楽」をあてはめた朝日字体。現在は康熙字典体の「礫」です。

 「示」に属する漢字が少ないのは、「ネ」を別に立てているためです。しめすへんの字は、前回をご参照ください。

 「のぎへん」にある は、書体帳の最初の版(初版A)ではよく見ると「儿」が「几」の形になっている でした。かつてはこの形の活字も少なくなかったようで、「明朝体活字字形一覧」所載の活字総数見本帳23種のうち13種が「儿」型、6種が「几」型です(残り4種はどちらも無し)。

 (はかり) と (やや) は、それぞれつくりの「平」「肖」の点の向きを当用漢字にそろえたもの。現在は康熙字典体の です。

  は稠密のチュウ。つくりの「周」が新字体になっています。現在は、「周」のなかの「土」の縦棒が下に突き出た康熙字典体の を使っています。

 (ひえ)は、つくりの「卑」が旧字体より1画多い新字体。現在は康熙字典体のです。

  は稽古、滑稽のケイ。つくりの真ん中が「上」のような形になっており、現在よく使われている とは異なっています。実は康熙字典そのものがこの「上」型を掲げており、そのため当用漢字以前の活字はたいてい「上」型でした。この傾向は戦後も続き、JIS漢字の最初の規格(1978年版)で例示された字体も「上」型でした。
 しかしその後は、1983年改正でJIS例示字体が「ヒ」型になったこともあり、「ヒ」型への流れが加速。表外漢字字体表では「ヒ」型が印刷標準字体欄に掲げられる一方で「上」型もデザイン差とされましたが、2010年の改定常用漢字表に「ヒ」型が入った際には「上」型はデザイン差になりませんでした。朝日新聞も現在は「ヒ」型にしています。

  は、「秋」の異体字である「龝」の略字。「火」を避けて「千穐(龝)楽」と書いたりすることが知られています。現在の紙面製作システムでは「穐」と「龝」は両方とも用意していますが、名字での用例が大部分ということもあり、「龝」の登場例はきわめて限られています。

  は康熙字典体だと ですが、「讓→譲」と同様の略し方です。これは書体帳よりも前、1951年に新字体で人名用漢字になっており、朝日新聞が独自に略したものではありません。

  は当用漢字の「歳」の新字体にそろえた朝日字体。現在は康熙字典体の です。

 「立」のところにある は、康熙字典体ならば ですが、どちらも1951年に新字体で人名用漢字になっていたもの。現在も新字体が標準です。

 このページ末尾の は、「弁」の旧字体のひとつ。当用漢字表や常用漢字表では、「弁」は「辨・瓣・辯」の3字に対応する新字体ということになっています。「辨」は弁別のベンで「わきまえる」という意味。「瓣」は花弁のベン、「辯」は弁護士のベンです。
 書体帳では、当用漢字の旧字体のうち活字を保存してあるものを「保存旧書体」と呼び、巻末にまとめて掲げているのですが、「辨」はそちらではなく本編に掲げられています。同様の例に、第10回で登場した「恆」(恒の旧字体)があります。「恆」が特定の著名文化人を念頭に置いたものと思われるのに対し、「辨」のほうはそこまで突出した用例は見あたりませんが、やはり人名などで必要だったのでしょう。

 

■「罘」に見覚え、ありますか

 

拡大p31

 次は31ページです。

 字体の話とは違いますが、「よんがしら」に分類されている は、かつて日本人にとってはなじみ深い字でした。中国山東省の港湾都市・煙台はかつて「芝罘(チーフー)」と呼ばれ、明治から終戦までこの字が新聞紙面に頻繁に登場していたためです。大きな見出しになることもたびたびありました=下の画像
 中華人民共和国成立後は「煙台市」となり、「芝罘」の地名が紙面に出ることはほとんどなくなってしまいましたが、書体帳作りに携わった当時の担当者たちにとっては、まだまだ印象深い地名だったのでしょう。この通り、「活字を常備する4000字」に選ばれたのでした。もし書体帳を作るのが5年か10年あとだったら、この字の代わりに別の字が入っていたかもしれません。

拡大1938年2月4日付朝日新聞夕刊
 改定常用漢字表のための資料として2007年に作成された、凸版印刷の漢字出現頻度数調査(2004~06年の書籍860冊、総漢字数は約4900万字)によると、「罘」の出現回数はわずか3回で、順位は6777位タイ。
 この調査は、印刷会社が様々な顧客・媒体に対応するために用意している細かい字体差を別々にカウントしているため、新聞社の活字の数と単純には比較できませんが、それにしても、今日であれば4000字という集合には入ってこないでしょう。
 

 少しとんで「なががしら」にいきます。「長」の上半分をこう呼んだ新部首ですが、中身の多くは「かみがしら」(髟)の字です。

 (ゼン)は、ほおひげ。三国志ファンなら「美髯公関羽」を思い出すでしょう。この字は以前から の三つの字体があり、表外漢字字体表にもどれが標準か示されていないため、現行の辞書でもどの形を使うかが分かれています。
 康熙字典は を正字体とし、 をその俗字としています。しかし「明朝体活字字形一覧」で当用漢字以前の活字を見ると、活字総数見本帳23種のうち15種が で、4種が の形(残り4種はいずれも無し)。 はひとつも見あたりません。つまり朝日の書体帳の字体は、それまでの活字における「多数派」そのままの姿、というわけです。
 漢和辞典や漢字辞典ではやはり康熙字典に従って を代表字体にしているものが多いのですが、中には を優先させているものもあります。
 一方、国語辞典を見ると、一部に (集英社国語辞典)や (旺文社国語辞典)も見られますが、大方の辞書は を用いており、漢和辞典とは傾向が異なっています。

 まとめると、Aは康熙字典や多くの漢和辞典、Bは明治以来の活字字形やJIS第2水準、Cは多くの国語辞典――という割れ方です。朝日新聞では今のところB、つまり書体帳のままにしています。

 竹かんむりにいきます。

  は、こうがい。日本髪にさす髪飾りの一種です。康熙字典は を本来の字体としていますが、当用漢字以前の活字には両方ありました。現状では、漢和辞典や国語辞典はたいてい康熙字典に沿って を使っていますが、JIS漢字の例示字体は 。今のところ朝日新聞では のままにしてあります。

 (おい)は、旅の僧などが背負った脚つきの箱。芭蕉の「笈の小文」で見覚えがあるでしょう。漢和辞典では の形ですが、書体帳では当用漢字「及」の新字体に合わせたデザインです。康熙字典そのものが掲げているのは書体帳と同じ形で、当用漢字以前の活字でも両方がありました。
 表外漢字字体表では を印刷標準字体として示したうえで、書体帳のようなスタイルもデザイン差と認めています。つまりどちらでもかまわないのですが、朝日新聞では に変更しています。

  は康熙字典では ですが、活字では右下が「凡」になった形も当用漢字以前から使われていました。書体帳が「凡」型にしたのは当用漢字の「築」と形をそろえる意味もあったのでしょう。表外漢字字体表では書体帳と同じ「凡」型を印刷標準字体欄に掲げ、康熙字典の字体もデザイン差としました。朝日新聞の字体に変更はありません。

  は便箋のセン。竹かんむりの下を当用漢字の「淺→浅」「錢→銭」などに合わせて略した朝日字体です。現在は康熙字典体の「箋」を使っています。2010年改定常用漢字表にも康熙字典体で入りました。
 (以前「改定常用漢字表」解剖 6で、戦中の国語審議会答申でこの略字が示されていたことを紹介しています。ご参照ください)

  は、「箏」を「爭→争」や「淨→浄」にならって略した朝日字体。現在は「箏」を使うことにしています。

 

■気筩って、ご存じですか

 

 次の行にある は、何という字かご存じでしょうか。トウまたはヨウと読み、「つつ」とか「やづつ」を表す、と漢和辞典にはあります。JIS第1・第2水準にはなく、補助漢字や第4水準に入っている字です。
 広辞苑を見ると、シリンダーの意味の「気筒」を「気筩」とも書くことや、矢筈(矢の一端の弦を受ける部分)の一種に「筩筈」(よはず)というものがあることがわかります。戦前の紙面を探してみると、確かに「六気筩車」などと表記した広告が見つかりました。広告に使うのですから、多くの人に通じる書き方だったはずです。

 しかし、戦後の当用漢字以降は「気筩」は常に「気筒」と書かれるようになり、新聞紙面にこの字が登場することはなくなっていきました。それでも書体帳の4000字に入ったのは、先の「罘」と同様、やや古い感覚で選ばれたということでしょうか。
 「罘」のところで触れた、凸版印刷の漢字出現頻度数調査では、この「筩」の出現回数は「罘」よりもさらに少ない1回で、順位は7574位タイ(出現1回は計1003字に上ります)。多くの文字を搭載できる現代の新聞製作システムでも、「文字を用意するかどうか」というレベルです。

 (むしろ)は康熙字典体だと「延」のつくりの「止」の部分の最後のタテ・ヨコがひとつながりになった ですが、当用漢字の「延」に合わせて別々の画にしていました。現在は康熙字典体です。

 この行にはまだ多くの朝日字体があります。 は「婦」や「掃」、 は「者」や「諸」、 は「前」に合わせて字体を整理したもの。現在はいずれも康熙字典体の です。

  は、篆書のテンを「縁」などの新字体に合わせて略した朝日字体です。書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の  で、略字にしたのは2番目の版(初版B)からでした。現在は康熙字典体にしています。

  と  は漢和辞典ではそれぞれ  の字体を掲げていますが、どちらも康熙字典では書体帳と同じ字体です。表外漢字字体表では、ともに漢和辞典が示す形を印刷標準字体としたうえで、書体帳(そして康熙字典)の字体もデザイン差として認めました。朝日新聞では現在も書体帳の字体です。

  は、竹かんむりを外すと「条」の旧字の「條」。しかしさすがにこれを  に略すことはしていません。過去に名字で「竹かんむりに条」という略字が紙面に登場したことはありますが、これは朝日新聞の判断で略字を使ったのではなく、当事者側の表記によるものです。

  は、川で魚をとる仕掛けの「やな」に使われる国字です。国字なので康熙字典には無いのですが、「竹+梁」だと考えれば  がこの字の“康熙字典体”ということになります。書体帳では、ご覧のように「梁」(第12回参照)と同じ略し方をしていました。
 「明朝体活字字形一覧」を見ると、当用漢字以前の活字には書体帳のような「刃」型のデザインのほか、点を刀の左側だけに打った字体もありました。
 現在はいわゆる康熙字典体にあたる  にしています。

(つづく)

(比留間直和)