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朝日字体の時代 16

比留間 直和

 戦後の朝日新聞の活字字体が一応の完成をみたとされる社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」第3版(1960年)を眺めながら、思いつくままにあれこれ書いていますが、個々の字に関して「なぜこの形にしたのか」といった経緯を記録した資料は、残念ながらほとんど残っていません。書体帳作成後も、文字によっては字体方針の見直しなどをしているのですが、そうしたことが記者たちに明確に伝えられることはほとんどなかったようです。やはり、活版時代は「活字のことは専門の職人にまかせておけばいい」という意識が、職人の側にも記者の側にも強かったのでしょう。

 ただ、そのために、「この漢字は、朝日新聞ではどの形を使うことになっているのか」が自分たちでもあいまいになってしまうこともあったようです。おそらくはそうした理由で、いったん使われなくなっていた字体が新聞本紙とは別のところでひょっこり現れる出来事がありました。どんな字かは、のちほど。
 

          ◇
 

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 それでは、今回は32ページからです。

  は康熙字典体の「」を、当用漢字の「纖→繊」にならって略した朝日字体です。JIS漢字には康熙体の「」のほか、部分的に略された俗字体の「」も入っていますが、朝日字体はこれとも違います。

 ただ、ここまで略してしまうと、クジという字の雰囲気が薄れてちょっとありがたみが減るような気がしないでもありません。
 2007年1月に表外漢字の字体を国語審答申「表外漢字字体表」にあわせて変更してからは、康熙字典体を使っています。

  はタンスのタン。書体帳の最初の版(初版A)では、康熙字典体の でしたが、二つ目の版(初版B)から当用漢字の「單→単」にあわせた略字を掲げました。
 現在は表外漢字字体表に従って康熙字典体の「」を使うことにしていますが、この字体はJIS第1・第2水準にはなく第3水準に含まれるため、ネットなどでは現在も略字の「」が多く使われています。
 ※この字を含む地名をとりあげた観字紀行「タンス・たんす・箪笥」(東京・新宿編東京・新宿編2東京・港区編四谷・大久保編文京区・台東区編)もご覧ください。

  は、「」を当用漢字の「數→数」にならって略したもの。「」は漢和辞典をひくと「米を洗うのに使うザル」とか「古代中国の容積の単位」などといった説明が出ていますが、日本で我々が目にするのはたいてい名字のなかで「やぶ」という読みで使われるケースで、くさかんむりの「(やぶ)」の異体のような位置づけです。

 ただ、固有名詞での用例がほとんどという事情もあって、その後は康熙字典体の「」も常備するようになり、略字使用の原則はあいまいになっていました。現在は表外漢字字体表の趣旨に沿って、康熙字典体の「」を使うことを取り決めています。

  は、すだれ。竹かんむりの下の部分が、当用漢字の「廉」と同じ略字になっています。現在は康熙字典体の です。

  は康熙字典体だと4カ所の点の向きが異なる 。書体帳の字体は、当時すでに人名用漢字に入っていた「」と同じスタイルです。現在は康熙字典体を使っています。

  は、かんざし。康熙字典体は  ですが、ここでは「竹」と「日」の間のパーツが「先」二つになっています。これは当用漢字にならった略字ではなく、書体帳がこの字体を選んだ理由はよくわかりません。ただ、戦前にも作られていた活字字体であり、当用漢字以前の活字字体を集めた「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)でも、収録されている23種の活字総数見本帳のうちの二つでこの「先」の字体が見えます。
 しかしこの字は今から20年以上前に、康熙字典体に変更されていました。縮刷版で字体を確認したところ、1988年12月29日付朝刊では書体帳と同じ字体ですが、1991年2月7日付朝刊では康熙字典体に。これらの間の時期にこの漢字が使われている例は確認できていませんが、少なくとも二つの記事の間の時期に字体が変更されたのは間違いなさそうです。


 ただ、それよりも前の1986年に発行された「朝日新聞の漢字用語辞典」(旧版)では、新聞紙面に先駆けて「簪」が康熙字典体になっていました。「本来ならこの字体にすべし」という判断がこのころからあったのかもしれません。
 なお、2007年の表外漢字字体変更の際、朝日新聞では「旡」の左上部分は新字体のスタイルにそろえることとしたため、現在は の形にしています。

  は、松籟(しょうらい)、天籟(てんらい)などのライで、風が物にあたって鳴る音を指します。書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の でしたが、次の版(初版B)から当用漢字の「賴→頼」にならって略しました。現在は康熙字典体を使っています。

  (ロウ、かご、こもる)は以前出てきた「朧」や「瓏」などと同様、康熙字典体のまま。当用漢字の「瀧→滝」にならって「篭」に略すことはしませんでした。この字は2010年の改定常用漢字表に、「籠」の字体で入りました。

 

■2日間で3種の字体が

 

 「米へん」の表外漢字の二つ目の (エツ)は、中国南部の地域や少数民族を指した言葉で、現在は広東省の別称として使われる字。ただ、この字はいろいろと揺れがありました。
 漢和辞典でこの字を引くと、長い横棒とは別にもう1本の横棒があって「米」を四角いハコに閉じ込めている という形が示されています。康熙字典もこの字体です。
 しかし書体帳の字は、上に示したように1画少なく、ちょうど「奥」という字の「大」の部分が「丂」になったような具合です。
 日中戦争のころは、「粤漢線」(武漢と広州を結ぶ鉄道路線)という言葉がたびたび紙面に登場していました。この路線は日中戦争が始まる前年(1936年)に開通し、開戦後は中国軍への重要な物資輸送路となったことから、日本軍が爆撃。下の画像は、その攻撃を伝えた紙面です。

 ごらんの通り、見出しの字体が同じページの中で不ぞろいだったかと思うと、その翌日はさらに別の字体になっています。現在のように文字のデザインを統一的に管理していたわけではなかったため、活字の大きさや書体によってバラツキがあったようです。なお、本文については上に挙げた3種の字体のうち、一番上の「内側が釆(のごめ)で、ハコが閉じていない形」でした。戦争末期の紙面を見ても、3種の字体が混在する状況は変わっていませんでした。
 戦後の書体帳ではこのうちの1種類を選んだわけですが、その経緯や理由はよくわかりません。当用漢字の「奥」の新字体を意識したのかもしれません。
 この字体はその後、1980年代まで使われていましたが、1990年代初めごろには康熙字典体の に変更されていました。このときの経緯もはっきりわかっていないのですが、辞書が示す字体と違うという指摘を受けたのかもしれません。

  (シ)はもとはきびの意味ですが、「しとぎ」(神前に供える餅)として使われる字です。康熙字典体は左上のにすいが漢数字の「二」のような ですが、当用漢字の「次」に合わせて「冫」の形にしていました。
 表外漢字字体表答申後も書体帳の字体を維持していましたが、2010年の改定常用漢字表に入った「茨」や「恣」の字体を康熙字典体に変えたときに、この字も康熙字典体に変更しました。「次」を部品として含む漢字の字体変更については、「字体、変えました(後編)」をご参照ください。

 その下の は、「高粱」(コーリャン)などに使うリョウ。康熙字典体は右上が「刀の左右に点」ですが、以前取り上げた「」(下半分が木)と同様、古くから手書きで使われてきた形をとりました。下が「木」の字のほうは岡山県「高梁市」からの苦情に対応するため1990年に康熙字典体に戻していましたが、下が「米」のほうは、その後もしばらく書体帳の字体を使っていました。しかし両者で字体方針が異なるのは不自然であり、また当用漢字の略し方とも関係がないことから、表外漢字全体の字体変更よりも早く、2002年4月から康熙字典体に変えました。

  は、もみ。国字ですので、本来の意味での康熙字典体というものはありません。「明朝体活字字形一覧」をみると当用漢字以前はつくりが「刄」の字体が主流でしたが、書体帳は当用漢字の「刃」に合わせました。しかし表外漢字字体表がつくりが「刄」の字体を印刷標準字体としたのを受け、2007年1月からは に変更しました。

  は、こうじ。書体帳の最初の版(初版A)では康熙字典体の でしたが、二つ目の版(初版B)以降はつくりの「花」の「匕」のはらいが左に突き出ない新字体にしました。この新旧の差は表外漢字字体表でデザイン差と認められたため、朝日新聞では現在も突き出ない形を使っています。

 糸へんの表外漢字の最初の は、「つながる」。康熙字典体だと左上の「車」が になっている ですが、当用漢字の「撃」の新字体にならって車の下の「凵」を省きました。現在は康熙字典体を使っています。
 ただ、康熙字典体の「」はJIS第1・第2水準にはなく第3水準であるため、一般には第1水準の「」を用いるケースが多くみられます。

  は「かすり」を表すのは日本語独自の用法ですが、「ホウ・ヒョウ」という読みで康熙字典に載っている字です。字源からみれば という字体なのですが、康熙字典でも書体帳のような字体を標準としており、当用漢字以前からこちらの活字字体が優勢だったようです。表外漢字字体表でも書体帳と同じ形が印刷標準字体とされたため、現在もそのままです。

 そのすぐ下の は、絨毯のジュウ。書体帳の最初の版(初版A)では でしたが、次の版(初版B)から中央下の部分を漢数字の「十」の形にしました。以前とりあげた「戎」(えびす)と同様、当用漢字の「賊」の新字体が「十」になっていることに合わせたものです。
 現在は にしています。

  は「神武、綏靖(すいぜい)……」のスイ。つくりの上部の点の向きを、当用漢字の「妥」に合わせてあります。戦前・戦中の新聞紙面では綏靖天皇以外にも、綏遠、綏化、綏芬河などの中国地名でよく登場しました。名付けの漢字が制限される前に生まれた世代には、「綏=やすし」「綏子=やすこ」といった名前が見られます。
 現在は康熙字典体の を使っています。

  は「すがる」。しんにょうの点を一つにした朝日字体で、現在は2点の にしています。

 その下にある は、1981年からはこの字体で常用漢字となっていますが、当用漢字時代は表外漢字でした。書体帳が康熙字典体の「」でなくこの略字体を掲げていたのは、朝日新聞としての判断です。当用漢字の中には同じパターンの略字はありませんでしたが、1942(昭和17)年に国語審議会が答申した「標準漢字表」では、略字の「」が「一般に使用せらるべき簡易字体」として掲げられていました。また、戦時中の朝日新聞を見ると本文用活字では「」を使っていた時期もあり、戦後の書体帳がこの略字を採用したのは自然な流れだったと言えます。

  は縊死(いし)のイ。つくりに当用漢字の「益→益」という略し方を適用しました。現在は康熙字典体の です。

  は繃帯(包帯)のホウ。巻き付けるという意味の字です。漢和辞典は を掲げていますが、康熙字典は書体帳と同じ「月ふたつ」で、当用漢字以前の活字には両方がありました。書体帳の字体は、当用漢字の「崩」にそろえたものです。2007年1月の表外漢字字体変更以降は、漢和辞典が示す を使っています。
 ただ、この字の用途は「繃帯」にほぼ限られており、戦後は「繃帯→包帯」の書き換えが定着したため、現在の新聞紙面では文芸作品や引用などでしか登場しません。

  は、刺繡のシュウ。当用漢字の「肅→粛」の略し方を「」のつくりにあてはめた朝日字体ですが、戦後朝日新聞が初めてひねり出したわけではなく、1942年の国語審答申「標準漢字表」には「一般に使用して差し支えない簡易字体」として「」が併記されていました。
 現在の朝日新聞では康熙字典体の「」を使うことにしていますが、この字体はJIS第1・第2水準になく第3水準であるため、ネットなどでは第1水準にある略字体「」がまだ多く使われています。

  は「まとう」。康熙字典では「」が正字で、書体帳が掲げる「」は俗字とされていますが、当用漢字以前から両方の活字が使われていました。戦前・戦中の紙面を見ると、俗字のほうが目に付きます。
 書体帳が俗字を選んだのは当用漢字の略し方とは関係なく、それまで多く使われていた活字字体をそのまま採用したのでしょう。
 現在の朝日新聞では、表外漢字字体表で印刷標準字体となった「」を使うことを原則としていますが、邪馬台国の有力候補といわれる奈良県桜井市の「纒向(まきむく)遺跡」については、地元の表記にあわせて俗字の「」を使っています。

  は「ともづな」。電纜(でんらん=ケーブルのこと)のランとしても使われます。康熙字典体は ですが、当用漢字の「覽→覧」にならって略していました。現在は康熙字典体にしています。

 

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 33ページです。

 「羽」を含む表外漢字は、すべて「羽→羽」という略し方が適用されています。
  は、「羽」の部分だけが略された朝日字体。現在はいずれも「羽」に戻した を使っています。
  は、 の上半分を新字体の「羽」にし、下半分を「粹→粋」などにならって「卆」に略した朝日字体です。その後1981年に上だけ略した が人名用漢字に入ったため、朝日新聞もこの人名用漢字の字体を使うことにしました。
  に「羽」の新字体をあてはめた朝日字体ですが、1981年に新字体で人名用漢字となり、一般にも書体帳の字体が標準となりました。
  は連翹(れんぎょう)のギョウ。「羽」のほか、「曉→暁」や「燒→焼」にならって「堯」の部分を「尭」に略しています。現在は康熙字典体の にしています。

 「すきへん(耒)」の は、耕耘機(耕運機)のウン。当用漢字の「耕」「耗」にならって「耒」の一番上がはらいでなく横棒になっています。現在は康熙字典体の にしていますが、差が小さいので本文の大きさだとあまり気づいてもらえないかもしれません。

 「耳」にいきます。 は「そびえる」。上部を「從→従」と略した朝日字体で、現在は康熙字典体の「」を使っています。

  を略していないのは先ほどの「籠」などと同様です。

 

■新聞以外でひょっこり“復活”

 

 さて、 は何という字かお分かりになるでしょうか。この「耳へんに并」を大漢和辞典でひくと、音は「ヘイ」で意味は「耳が閉じる」などと書かれています。しかし、そんな字が新聞で活字を常備する4000字に入るとは考えられません。
 書体帳の最初の版(初版A)を開くと、この字がない代わりに *** という字が載っています。「聯合(連合)」や「聯邦(連邦)」などのレンです。つまり書体帳は、二つ目の版(初版B)以降は「聯」の略字として「耳へんに并」を掲げていたのです。手書き略字のひとつを採用したものと考えられますが、当用漢字にはこのパターンの略し方は無く、漢和辞典にも「聯」の異体として掲げられてはいません。これを活字の字体に採用するのはかなり大胆な判断といってよいでしょう。
 ただ、この書体帳第3版の1~2年後に社内で作られた見出し用活字の母型帳では康熙字典体の「聯」に逆戻りしており、また実際の紙面も、確認できた範囲ではいずれも略字ではなく「聯」が使われていました。「耳へんに并」は事実上お蔵入りしていたようです。
 しかし、「耳へんに并」を捨ててしまうことはせず、「聯」と両方の活字を保有しつづけていました。その後、朝日新聞東京本社では1980年から紙面製作をコンピューター化しましたが、このとき、それまで活字で持っていた字を取捨選択することはせず、「聯」と「耳へんに并」についても両方の字体がシステムに搭載されました。このことが、「耳へんに并」のささやかな“復活”につながります。

 1981年、自社の用字用語の基準をまとめた「朝日新聞の用語の手びき」を初めて社外向けに発売したのですが、この冊子のなかで、「耳へんに并」が「聯」の略字として使われているのです=左下の画像

 

 

 このページの製作には自社の新聞製作システムが使われたため、朝日新聞がもつ「耳へんに并」の字体が容易に使える環境でした。そうしたなかで、過去の書体帳に従って字体を選んだのが81年の「朝日新聞の用語の手びき」だったのでしょう。
 しかし、その約5年後に同じ新聞製作システムで作られた「朝日新聞の漢字用語辞典」(旧版)ではこの略字は使われず、康熙字典体の「聯」に=右上の画像。いったんは略字を使った「朝日新聞の用語の手びき」も、1989年の改訂版からは、やはり「聯」に変わっていました。どうやら、81年の「用語の手びき」だけが一瞬の「先祖返り」を起こしたようです。
 なお、現在の朝日新聞の新聞製作システムには、この「耳へんに并」の字は搭載されていません。10年ほど前のシステム更新の際、旧システムから引き継ぐ文字を選別する作業を行い、この字は「不要」と判断したためです。

  は康熙字典体だと「聰」ですが、このとき既に「總→総」と同じ略し方をした新字体で人名用漢字に入っていました。

 「臼」のところにある  は、康熙字典体のままです。当用漢字では「兒→児」「稻→稲」のように「臼」を「旧」に略すパターンがあり、大漢和辞典にも「舅」の上半分を「旧」に略した異体字 が載っていますが、朝日新聞ではそれは採りませんでした。

(つづく)

(比留間直和)