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朝日字体の時代 18

比留間 直和

 先月は更新を休ませていただきましたので2カ月ぶりとなりますが、特に変わるところもなく、引き続き社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」第3版(1960年)に沿って、かつて独自に使っていた略字「朝日字体」を含む過去の朝日新聞の活字字体を眺めていきたいと思います。

 《書体帳の各版の概要はこちら》

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 今回は36ページからです。

  は「復讐」「恩讐」でよく見かける字で拡張新字体とは関係ありませんが、康熙字典や大漢和辞典は「言」が二つの「隹」の間に挟まった「」という字体を正字として掲げ、「」はその同字という扱いです。ただ、当用漢字以前から一般の活字では「讐」が多用されていました。朝日新聞の紙面でも明治期は両方の字体が使われていました(下の画像は「讎」が使われた例)が、その後「讐」に一本化されていったようです。
 表外漢字字体表(2000年国語審答申)でも、「讐」が印刷標準字体とされました。

  は、つくりの「十」の部分が縦画、横画ともまっすぐになっています。当用漢字以前の活字にもこうした設計はありましたが、書体帳でこのデザインにしたのは当用漢字の「迅」に合わせる意味合いがあったと思われます。現在は表外漢字字体表にならって縦画がはらいになった を使っています。

  はつくりの「匕」の払いが左に突き出た が伝統的な活字字体ですが、当用漢字の「化」や「花」などに合わせて突き出ない形にしました。表外漢字字体表でもデザイン差として認められており、現在も書体帳と同じ「突き出ない形」を使っています。

  は朴訥のトツ。康熙字典体はつくりの「内」が旧字体の ですが、書体帳では「内」の新字体に合わせて「入」の部分を「人」にしていました。現在は康熙字典体にしています。

  は謳歌のオウ。当用漢字の「區→区」をつくりにあてはめた朝日字体です。現在は康熙字典体の「」を使っています。

  は、伝統的な活字字体はつくりの上の点がまっすぐに立った ですが、書体帳では当用漢字字体表以降の「主」や「柱」などと同様に、斜めの「テン」のデザインにしました。これは表外漢字字体表でデザイン差とされており、現在もこの「テン」の形を使っています。

  は詭弁のキ。つくりの「危」は旧字だと上のクがはねた ですが、言べんがついた「詭」は康熙字典でもここがはねておらず、活字もはねない形が主流でした。今も書体帳の形を使っています。
 なお、新聞ではかつて「詭弁」は「奇弁」という代用表記を用いていましたが、現在は「詭弁」に読み仮名をつけて使っています。

  は所詮のセン。つくりの「全」を当用漢字に合わせて「入屋根」から「人屋根」にしていました。表外漢字字体表では康熙字典体の が印刷標準字体となり、2010年にはその形が常用漢字になりました。朝日新聞でも現在は康熙字典体を使っています。

  は天誅のチュウ。新旧の字体差はありませんが、書体帳の最初の版(初版A)ではつくりの「朱」の下がはねた でした。康熙字典がはねた形を掲げており、多くの活字もはねた形だったためです。二つ目の版(初版B)からははねない形になりました。

  は教誨師のカイ。当用漢字の「毎」の新字体に合わせて「母」を「毋」にした朝日字体です。現在は康熙字典体の にしています。「教誨師」も、新聞では以前は「教戒師」という代用表記をしていましたが、現在はやはり読み仮名をつけてそのままの漢字を使っています。

  は「」(カン、いさめる)のつくりの「」を「」にした朝日字体。当用漢字の「練」や「錬」のつくりが「柬→東」と略されたことにそろえたものです。長崎県「諫早」などの地名も、過去の紙面ではこの略字で書いていました。
 康熙字典や大漢和辞典では、「ごんべんに東」は「ことばが多い」という意味をもつ「トウ」という字として載っていますが、最近の漢和辞典では「」(カン、いさめる)の異体として載せるものが大多数です。
 現在は康熙字典体の「諫」を使っています。

  は本来は当用漢字ですが、1954年の当用漢字補正資料で削除候補28字に入って以来、新聞業界では表外漢字扱いをしている字。康熙字典体の でなく略字になっているのは当用漢字字体表によるものです。

  はことわざ。康熙字典体は ですが、当用漢字の「産」「顔」や人名用漢字の「彦」のそれぞれの新字体に合わせて、右上を「立」の形にしていました。現在は康熙字典体にしています。

  と、その行の下のほうにある は、しんにょうの点を一つにしたもの。表外漢字字体表で2点しんにょうが印刷標準字体となり、朝日新聞でも2点にしました。「謎」のほうは2010年に2点しんにょうで改定常用漢字表に入りました。

  は諧謔のギャク。当用漢字の「虐」の新字体に合わせてつくりの下部の横棒が左に突き出ない形にしました。現在は突き出る を使っています。

  は誤謬のビュウ。右上を当用漢字の「羽→羽」に合わせた朝日字体です。
 書体帳の最初の版(初版A)では微妙にデザインが違っており、「羽」の下のところがはねていない でした。旧字の「羽」は単独だと新字体と同じように下がはねていますが、別の部品が下にある場合(「にょう」の延びた部分などを除く)は、はねない形でデザインするのが一般的です。康熙字典体を拡張新字体に作り替えるときに、はねる形にするのを忘れたのでしょう。二つ目の版(初版B)からははねる形になりました。
現在は康熙字典体の にしています。

  (しん)は未来の吉凶の予言を意味し、「讖緯説」などの言葉で(新聞ではまれですが)登場します。書体帳の字体は当用漢字の「纖→繊」にあわせて略したもので、現在は康熙字典体の「」を使っています。

  は以前出てきた「」と同様、一部の漢和辞典では右上の「おおいかんむり(かなめがしら)」が古い形の を掲げていますが、康熙字典や当用漢字以前の活字も書体帳と同じ形で、表外漢字字体表もこの形を印刷標準字体としました。朝日新聞では現在も書体帳の形です。

 

1934(昭和9)年10月14日付

  は、康熙字典では右上の「夫」二つが「先」二つになっている「」を正字体としていますが、書体帳の字体も戦後新たにこしらえたものではなく、当用漢字以前からこの形の活字が多く使われていました。「明朝体活字字形一覧」では、活字総数見本帳23種のうち「」を含むもの19種に対し、「」を含むものは20種に上ります。1942年の国語審答申「標準漢字表」にも、準常用漢字として「」が掲げられていました。朝日新聞の紙面でも戦前から「」が多く使われています=画像
 表外漢字字体表でも書体帳と同じ「」が印刷標準字体とされたため、現在もこの字体を使っています。

  は讒言のザン。ほとんど分からない程度の違いですが、右下の「兔」の左下の払いが中央の四角の中の縦棒と一続きなのが康熙字典体、分かれているのが書体帳の字体です。「免」や「勉」の新字体にそろえたものですが、当用漢字以前の活字にも存在し、表外漢字字体表でも同種の形の違いがデザイン差とされています。
 現在は康熙字典体の にしています。

 「貝」(こがい)の当用漢字の中にある は、書体帳の最初の版(初版A)では右上の「匕」のはらいが左側に突き出た でした。二つ目の版(初版B)から突き出ない形になりました。

 

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 37ページに行きます。「貝」の表外漢字から。

  は「賤」のつくりを「淺→浅」や「殘→残」に合わせて略したものですが、この字体は戦前からの歴史があります。
 「改定常用漢字表」解剖 6(2010年8月2日付)の「箋」に関連するくだりでも述べましたが、1923(大正12)年と1931(昭和6)年に臨時国語調査会が発表した「常用漢字表」、さらに1942(昭和17)年に国語審議会が答申した「標準漢字表」という当用漢字以前の国語施策で、簡易字体の「賎」が本則として示されていました。
 朝日新聞でも、戦中から本文サイズの活字では略字の「賎」を使っていました。下の画像は、インドのマハトマ・ガンジーがカースト制度で「賤民」とされる人々の代表と会談したことを伝える記事です。見出しも略字の「賎」になっているのは、本文と同サイズの活字だからでしょう。

 しかし戦後、この字は当用漢字や常用漢字には入らなかったため、出版物では康熙字典体の「賤」を使うのが一般的となりました。表外漢字字体表でも康熙字典体の「賤」が印刷標準字体とされたことから、現在は朝日新聞も「賤」を使っています。

  は、贖罪のショクのつくりを「讀→読」にならって略した朝日字体。「涜」(冒瀆のトク)と同じパターンです。現在は康熙字典体の「」。

  は「者」の新字体にそろえて点を外したもの。現在は点のついた を使っています。2010年にこの字体で常用漢字入りしました。

  は右上の部分を「肖」の新字体にならって「ハ」から「ソ」型にした朝日字体です。現在は康熙字典体、つまり「ハ」型にしています。

 (キョウ)は、あしおと。康熙字典が掲げる形は右上がですが、「恐」の新字体などとそろえました。このパターンの揺れは表外漢字字体表でデザイン差とされており、また漢和辞典によっては「跫」に書体帳の形を掲げていたりもするため、今もこの字体を使っています。

  は跋文(ばつぶん=あとがきのこと)のバツのつくりを「拔→抜」や「髮→髪」にならって略した字体です。現在は康熙字典体の「」にしています。

  で、チュウチョ(躊躇)。チュウはつくりを「壽→寿」と略し、チョは「著」の新字体と同様に、点をとりました。現在はともに康熙字典体です。

  は「」のつくりを当用漢字の「鷄→鶏」や当用漢字補正資料の追加字である「溪→渓」と同様に略した朝日字体。「細い道」という意味の字ですが、実際に紙面に出てくるのは学校名など固有名詞がほとんどということもあり、他の表外漢字字体変更よりも少し早い2004年春に康熙字典体に変更しました。

  は足の裏のことで、「対蹠(たいしょ)的」という語でも時折出てきます。書体帳の最初の版(初版A)では、つくりの「庶」の「廿」の下の横棒が左右にのびた でした。康熙字典では書体帳第3版の字と同じ形なのですが、当用漢字以前の活字には初版Aのような字体が多くありました。書体帳の4000字には「庶」を含む漢字が四つ(庶そのものを含む)含まれているのですが、その全てが初版Aでは の形になっていました。

  は、うずくまる。相撲の蹲踞(そんきょ)のソンとしても出てきます。次の行の (躑躅=つつじ)とともに、点々の向きを「ハ」から「ソ」にした字体で、いずれも今は「ハ」型です。

  は「長軀」や「軀体」に使われる「」のつくりを「區→区」と略した朝日字体。現在は康熙字典体の「軀」を使っています。
 JIS第1・第2水準には略字の「躯」しかなく、「軀」は第3水準に属するため、ネットなどでは今も「躯」が多く使われています。工事現場の看板にも「躯体工事」といった略字表記をよく見かけます。「学術用語集・建築学編」(増訂版、1990年)でも「躯体」という略字が使われており、その業界ではこちらがスタンダードと言ってよいかもしれません。

  は車輛のリョウのつくりを「兩→両」にならって略した字体で、現在は康熙字典体の「」にしています。ただ、戦後の表記では「車輛(車輌)」を「車両」と書くため、いずれにしてもそれほど頻繁には登場しません。

  は「ひく」意味のバン。「輓歌」で使われるほか、「ばん馬レース」の「ばん」でもあります。書体帳の字体は、「免」や「勉」などの新字体に合わせ、康熙字典体より1画多くなっています。現在は康熙字典体の

  は轢死のレキ。「樂→楽」をつくりに当てはめました。現在は康熙字典体の「」です。

(つづく)

(比留間直和)