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朝日字体の時代 22

比留間 直和

 新聞社が用意する活字にも、地域性がありました。特定の町名などに限って使われる字は、その地域を管轄する本社にとっては不可欠ですが、他の地域の本社にとってはほとんど必要のないものです。現代の新聞製作システムにはどの地域の文字も特に区別することなくデジタルフォントとして搭載されていますが、鉛の活字を使っていた時代は、それぞれの本社で地域の必要性に応じて母型や活字を用意するということが行われました。

拡大p43

 このコーナーで眺めてきた朝日新聞の社内資料「統一基準漢字明朝書体帳」(第3版、1960年)は、四つの本社で共通して整備すべき漢字4000字を選び出し、活字の基準となる字形を示すことを目的として作られたものですが、巻末の「ローカル字」一覧には、そこからこぼれた、しかし地元では必要と判断された字が掲げられています。
 このページには「郡市名文字は選定字に含めた」と記されています。選定字というのは書体帳が整備対象として選んだ4000字のことです。つまり郡名や市名の字は書体帳の本編のほうに入っており、ローカル字に入った地名文字は町村名や字名などということを意味します。

 このほか「中国、韓国などの要人名は次第に使用字がかわるのでローカル字扱いとした」とも注記されており、これに該当する字も複数見受けられます。

 

■東日本大震災で全国に知られたあの字も

 

 では、書体帳でローカル字とされた漢字を順に見ていきましょう。今回は、まず東京と中部のローカル字に含まれるものから。
 ところで、書体帳では「中部」と表記されていますが、1955年2月から今と同じ名称の「名古屋本社」になっていましたので、この時点ではもう「中部」でなく「名古屋」と書くのが正確だったはずです。しかし名古屋本社となる前は中部本社あるいは中部支社などと「中部」を名乗っていたことから、まだ社内では「中部」と呼ばれることが多かったのでしょう。ここでは、書体帳の表記に従って「中部」としておきます。

 書体帳そのものの画像は、ローカル字の活字が小さく見づらいため、ローカル字の一覧を別途掲げることにします=左下の表。左端の番号は、書体帳に掲げられている順に、便宜的に振ったものです(重複は排除)。表中の小さな●は、その本社のローカル字に入っていることを示します。

 

 

 
 1の「卞」は、音読みだとベン。新聞では、中国人や韓国人の姓に出てきます。書体帳が作られた1950年代の紙面を見ると、韓国で外相や首相を務めた「卞栄泰(ピョン・ヨンテ)」氏の名が登場しており、主にこの人名のために活字を用意していたものと思われます。


 2の「曺」も韓国人の姓でおなじみの字で、現地音だと「チョ」。縦が1本多い「曹」の異体ですが、姓の表記では別字のように使い分けられています。書体帳の時代でいうと、前出の卞栄泰氏の後任として韓国外相を務めた「曺正煥(チョ・ジョンファン)」氏が紙面に登場していました。

 左の表の●印から分かるとおり、「卞」と「曺」は四つの本社すべてでローカル字に入っていました。前述の「中国、韓国などの要人名」用としてローカル字に入ったのはこの2字と考えられます。
 
 3の「瀁」は人名にもたまに登場する字ですが、東京本社でローカル字に入れた主な目的は、1957年まで新潟県にあった「大瀁村(おおぶけむら)」=現・上越市=だと思われます。上越市には現在も「大瀁小学校」があります。
 
 4は、宮城県名取市の地名「閖上」(ゆりあげ)に使われる国字。1955年に合併で名取町になるまでは「閖上町」でした。かつては地元以外ではあまり知られない「地域文字」でしたが、東日本大震災で被災しニュースにたびたび登場したことで、今では多くの人にとって「見覚えのある字」になっているのではないでしょうか。
 
 5の「鰍」は「かじか」ですが、東京本社のローカル字に入っているのは、主に山梨県の地名「鰍沢(かじかざわ)」のためでしょう。2010年に合併で富士川町になるまでは、「鰍沢町」がありました。
 
 6の「鬚」は、いくつもある「ひげ」の字の一つで、あごひげの意。この字がつく地名や神社は各地にありますが、特に東京本社で必要性が高かったのは、隅田川にかかる「白鬚橋(しらひげばし)」のためでしょうか。下の画像は書体帳よりだいぶ前のものですが、昭和の初めに近代的なアーチ橋に架け替えた際の記事です。

拡大1931年8月9日付夕刊


 7の「麁」はソと読み、「あらい」ことを表す字です。日本史では磐井の乱を鎮圧した物部麁鹿火(もののべのあらかひ)という人名が出てきますが、東京本社のローカル字に入る理由にはなりません。探してみると、かつて静岡県に「麁玉(あらたま)郡」や「麁玉村」がありました。現在も浜松市に麁玉小学校、麁玉中学校があり、地域面などに時々登場しています。
 
 8の「乕」は「虎」の俗字で、主に人名に登場します。前回述べたように、書体帳の最初と二つ目の版(初版A、初版B)では、一人前の字として本編の「丿」部に掲げられていましたが、三つ目の版(第2版)からローカル字に格下げとなりました。俗字という事情のためでしょうか。前述の「卞」「曺」と同様、4本社の全てでローカル字に入っており、本来の意味での「ローカル」扱いではなかったようです。
 
 9の「平」の旧字と10の「永」の別体は明らかに広告用です。新聞広告には、出来上がった版下が持ち込まれるケースと、新聞社側で組み版を行うケースとがありますが、後者の場合は社名の表記などのためにこうした活字が必要なこともあったのでしょう。なお、9の「平」の旧字は書体帳の四つの版のうち初めの二つ(初版A、初版B)では「保存旧書体」にありましたが、三つ目の版(第2版)から東京本社のローカル字扱いとなりました。

 11は、いわゆる「はしご高」。通常の新聞記事では普通の「高」を使うのが原則であり、当用漢字の時代は現在よりも厳格にこのルールを守っていたはずですが、広告などではやはり必要だったのでしょう。

 

■愛知の地域文字が九州に?

 
 
 ここからは中部、すなわち名古屋本社のローカル字です(東京で既出のものは省略)。名古屋本社は愛知、岐阜、三重の3県を管内としています。

 12の「嵩」は水かさなどの「かさ」ですが、岐阜県「御嵩町(みたけちょう)」や、愛知県豊橋市「嵩山町(すせちょう)」などの地名があり、そのために中部のローカル字に入ったのでしょう。
 
 13の「效」は当用漢字(常用漢字)の「効」の旧字体ですから、基本的には使わないことになっているのですが、名古屋周辺の地名では、愛知県瀬戸市の「效範町(こうはんちょう)」あたりが用途として考えられます。
 
 14の「杁」は、尾張地方の地名に使われる「地域文字」として有名です。杁中(いりなか=名古屋市昭和区)、二ツ杁(ふたついり=清須市)、杁ケ池(いりがいけ=長久手市)、小杁町(おいりちょう=江南市)、杁下(いりした=犬山市)など、数多くの地名に見られます。
 「いり」とは用水路や水門を意味する言葉。三河地方では木へんでなく土へんの「圦」が使われますが、こちらの「圦」は書体帳の本編にもローカル字にも入っていません。尾張の「杁」よりも登場頻度が低かったということでしょうか。

 
  
 

 ところでこの「杁」は、中部だけでなく西部本社(九州と山口県が管内)のローカル字にも入っています。地名でなく特定の人名などを想定していた可能性もゼロではありませんが、用途として考えられる地名が一つあります。福岡県水巻町の地名「えぶり」です。
 「えぶり」とは農具の一種で、国語辞典では「柄振り」か「朳」(木へんに八)の表記が示されています。水巻町の地名「えぶり」も、「木へんに八」が正式な字とされています。しかし「八」と「入」は形が似ているためか、水巻町「えぶり」に「杁」を当てている例があります。例えば日本郵便の「郵便番号検索」システムでも、水巻町のこの地名を「杁 エブリ」と表示しますし、一部の地図サービスも同様です。書体帳で西部本社のローカル字に「杁」が入っているのも、水巻町「えぶり」を想定してのことではないかと推測されます。
 ただし、その後ずっと「杁」を使っていたというわけではなく、コンピューター製作を導入してまもない1980年代前半のフォント関係資料を見ると、福岡県の地名や新潟県の山名(朳差岳〈えぶりさしだけ〉)用として「朳」の字を保有していたことが確認できます。
 
 15の「橦」は名古屋の地名で、東区橦木町(しゅもくちょう)。ふつう、鐘を突く「しゅもく」は手へんの「撞木」であり、京都市伏見区の地名は「撞木町」ですが、名古屋は木へんです。
 
 16の「榑」は「くれ」と読み、様々な地名や姓に登場する字ですが、名古屋周辺でいうと1956年まで三重県員弁郡に「石榑村(いしぐれむら)」がありました。現在もいなべ市に石榑という地名があり、「石榑小学校」があります。このほか岐阜県の大榑川(おおぐれがわ)など、名古屋周辺では登場頻度が比較的高い字といえます。
 
 17の「」は、「熱」の上半分とその下に「貝」、という形で、諸橋大漢和にも見当たらない字ですが、戸籍事務のための法務省通達「誤字俗字・正字一覧表」には「贄」(にえ。執の下に貝)の“誤字”という扱いで記載されています。当用漢字以前の主な活字字形が一覧できる「明朝体活字字形一覧」(1999年、文化庁)でも、収録されている23種の見本帳のうち5種にこの字の活字が含まれており、古くから使われていたことが分かります。
 書体帳が活字を整備する対象として選定した4000字には上が執の「贄」が入っていないことから、この17番の字は「贄(にえ)」として使うつもりでローカル字に入っていたのではないかと思われます。中部管内では、三重県津市の「贄崎(にえざき)」や、熊野灘に面した「贄湾(にえわん)」など「贄」のつく地名があり、必要性も十分あったはずです。
 ただ、その後の朝日新聞の新聞製作システムで17番の形の字が搭載された形跡は見あたりません。比較的早いうちにふつうの「贄」にかえたようです。

          ◇

 次は、大阪と西部のローカル字を見ていきます。

(つづく)

(比留間直和)