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昔の新聞点検隊

【当時の記事】

必要が促す統制 夏は挙って簡単着 震災後の発達は著しい

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アッパッパがハウスドレスとなり、ホームドレスとなった今日この頃では、日本国中何処へ行っても真夏の女の服装は簡単なワンピースドレスに変ってしまふ。八百屋のおかみさんも、丸髷の奥様も、漁村の老婆も皆仲よく簡単着の御厄介になるのが、夏の常識になってしまひました。服装改良論者が何と云はなくとも何故? 何時の間に着物を捨ててアッパッパに転向したのか? と云へばアッパッパ愛用者は

口を揃へてかういふに違ひありますまい。――「何といっても帯がないだけでも楽です。その上着換が簡単で、洗ふのにも骨が折れない、それに第一浴衣より安いでせう」と。

事実蒸し風呂の様な暑さの島国の夏には我慢にもキチンと胸高に帯を締めてゐられないのは当り前で

一度身軽なアッパッパの味を覚えれば後は自然の勢ひで野火の拡がる様に老若の婦人の間に普及するのは当然過る話でせう。

婦人の洋装は大震災を境にして発達して来たと云はれてゐます。丁度その震災の少し前、髪結ひの梳き手さん達が夏になると暑さに耐へかねて、そこは女同士の気安さから綿クレープのただ単に首の入る穴を開けただけの極く初歩のアッパッパを着初めたのがそもそもの初めだといはれてゐますが、兎も角目立ってふえて来たのは矢張り大震災以後の事でした。しかもこの簡単着が

漸く商品としての価値を生じ初めたのは三越婦人子供服売場主任の磯部氏の思ひ出に依れば――「もう彼れ此れ十四、五年前になりませうか、極く形の簡単な木綿クレープのアッパッパが売り場に並ぶやうになってから年毎に需要を増し

生地もクレープ以外ポプリン、トブラルコ、柄も無地から縞物、格子、花模様と複雑化して昭和も五、六年頃になると最盛期に登り詰めたやうに思ひます」。

一方洋裁を習ふ御婦人方がふえ、洋装も漸く板について趣味も向上して来たせいですか、アッパッパも洋服らしくベルトで腰を締める様になったり、その他色々の工夫が凝らされる様になって、名前もいつかアッパッパからホームドレス又はハウスドレスに変って来ました。今ではホームドレスにも二種類あって一はアッパッパの進化したワンピースドレス、一は

ピケや冨士絹、人絹製の更に高級な外出着となるもので、これをスポーツドレスと呼ぶやうになってゐます。

最近では夏場、実用品だけで一万枚位は売尽して居りませうか、其他を合せれば素晴らしい売れゆきを見せてゐす。」

必要から生れた流行はかくも容易にかく力強く婦人の心を捕へるものである様です。

(1938〈昭和13〉年11月25日付 東京朝日 朝刊6面)

【解説】

 この記事で取りあげられている「アッパッパ」は女性用の洋服の一種。記事に付いている写真のような、袖が短く裾の開いた、簡単な作りの夏用ワンピースを指していたようです。

 記事で詳しく紹介されているように、アッパッパが広まりだしたのは関東大震災後。「簡単服」とも呼ばれていて、どちらの言葉も昭和のはじめごろから朝日新聞紙上に登場してきます。

 それまで一般に着られていた和服に比べて、着やすく動きやすいこと、空気を通しやすく涼しいことが特長で、この種の服が広がっていきました。柳洋子さんの「ファッション化社会史 ハイカラからモダンまで」(ぎょうせい)によると、アッパッパが普及した原因には他にも(1)生地が身近な木綿で十分(2)ミシンを使わず、手縫いで作れる(3)丸洗いでき、手入れが簡単(4)素肌で着られる――があった、ということです。

 記事ではアッパッパが広がった理由に詳しくふれていますが、記事にあるように、美容院からはじまったのかどうかは確認できませんでした。大阪の「くいだおれ」で有名な山田六郎さんが考案したものという説もあるようです。

 さて、このアッパッパ、最近はあまり使われなくなった言葉です。過去の朝日新聞の記事では「アッパッパー」と、語尾に音引きを付けているものもありましたが、広辞苑や日本国語大辞典などの辞書類では、音引きなしの表記になっています。なお辞書類によると、このアッパッパは関西が発祥という説が有力なようです。

 では、現代の基準に合わせて直していきましょう。

 まず気になるのは、見出しにある「統制」という言葉。統制は、広辞苑によると「一定の計画に従って、制限・指導を行うこと」という意味。この記事は誰かが強制したわけでもないのにどうしてアッパッパがこんなに広がったのか、といった趣旨です。本文中にも「統制」という言葉は出てこないので、見出しとしてはあまりふさわしくないように思います。私なら、「流行」などとしては、と提案します。

 次に気になるのが、アッパッパの流行の様子を「野火の拡がる様に」普及した、との表現。あっという間に広がった、といった意味で「野火が広がる」という言葉が使われることは現在でもありますが、関東大震災にも触れた記事ですし、火災を連想させるような野火という単語はあまりいい表現とは言えません。「あっという間に」などと言い換えたいところです。

 「女」を「女性」に直したり、カギの欠落を補ったりし、体裁を整えて現代風の記事にします。それと、当時の記事は文章の途中で改行したり、行の頭の高さがそろっていなかったりするので、それもいっしょに直しましょう。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

必要がもたらした流行 夏はこぞって簡単着 震災後の発達は著しい

 「アッパッパ」がハウスドレスとなり、ホームドレスとなった今日このごろ。日本中どこへ行っても真夏の女性の服装は、簡単なワンピースドレスに変わり、八百屋のおかみさんも、丸まげの奥様も、漁村のお年寄りも皆仲よく簡単着のお世話になるのが、夏の常識になってしまいました。

 服装改良論者が何か言ったわけでもないのに、どうしてこうなったのでしょうか? なぜいつの間に着物を捨ててアッパッパに転向したのでしょう? アッパッパ愛用者は口をそろえてこう言うに違いありません。

 「何といっても帯がないだけでも楽。その上、着替えが簡単で、洗うのにも骨が折れない。第一、浴衣より安いでしょう」

 蒸し風呂のような暑さの島国の夏には、無理をしてもキチンと胸高に帯を締めていられないのは当たり前です。一度身軽なアッパッパの味を覚えれば元に戻れず、老若の女性にあっという間に普及するのは当然でしょう。

 女性の洋装は、関東大震災を境にして発達してきたといわれています。大震災の少し前、美容師さんらが夏になると暑さに耐えかねて、「女性しかいない」という気安さから綿クレープに、ただ首の入る穴を開けただけのごく初歩のアッパッパを着たのがそもそもの始まりといわれています。

 目立って増えたのは、やはり大震災以後。三越婦人子供服売り場主任の磯部さんによれば、この簡単着が商品としての価値を生じ始めたのは「14~15年前」とのこと。磯部さんは「ごく形の簡単な木綿クレープのアッパッパが売り場に並ぶようになってから、年ごとに需要を増し、生地もクレープ以外にポプリン、トブラルコ、柄も無地から縞物(しまもの)、格子、花模様と複雑に変わって、昭和5、6年ごろから最盛期になったように思います」と振り返ります。

 「洋裁を習う女性が増えて、洋装もようやく板についてきました。洋装に合わせたおしゃれも洗練されてきて、アッパッパもベルトで腰を締めるようになったり、色々の工夫が凝らされたりしています。名前もいつの間にかアッパッパからホームドレスやハウスドレスに変わってきました。今ではホームドレスにも2種類あって、一つはアッパッパの進化したワンピースドレス、一つはピケや富士絹、人絹製の更に高級な外出着となるもので、これをスポーツドレスと呼ぶようになっています。最近では夏場、実用品だけで1万枚くらいは売り上げているでしょう。その他も合わせれば素晴らしい売れ行きです」

 必要から生まれた流行は、力強く女性を捕らえているようです。

(市原俊介)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

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  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

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