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昔の新聞点検隊

巨人軍がやってきた!(前編)

広瀬 集

【当時の記事】

●白鞜団巨人軍を破る
 ▽巨腕鳴る三田台の対陣 ▽九対四にて白鞜団勝つ

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世界野球界の覇者巨人軍(ジャイアンツ)、白鞜団(ホワイトソックス)は相携へて六日朝横浜に上陸し直に上京、三田綱町慶応義塾運動場にて午後二時十分より戦を開始したるが白鞜団には福の神(マスコット)の幸やありけむ 長打(ロング)頻出中堅スピーカア殊勲を現はして三時三十分A(アルハ)付き九対四にて勝利せり

▲聯合軍の入京
 ▽元気揃のめんめん

六日の朝 暾が横浜港外の漣に閃めくと見る間に世界周遊米国大野球団の精鋭を乗せた日本皇后号(エンプレッスオブジャパン)は剣ケ崎を通過して徐ろに雪白の船側(サイド)を淡れ行く狭霧の裡に現はれた

▲一行中の首脳 軈て午前八時卅分検疫が終る間もなく当面に展く富士を仰いで上甲板に立った一行の首脳 市俄高(シカゴ)白鞜団の会長(プレジデント)コミスキー氏 同監督(マネージャー)キャラハン君及例の巨人軍(きょじんぐん)の元帥小奈翁マグロウ君は記者団の重囲に陥ったのである、コミスキー氏は白髪の中老 野球(ベースボール)で百万分限となった人だけに丸顔の福翁、キャラハン君は何方かと云へば丈の高い細面、焦茶の背広(サックコート)を瀟洒に着こなして居た、マグロウ君に至ってはカーキ色の雨外套(レインコート)を羽織ってソフト帽(ハット)を頂いた頑丈な体躯の持主 襟に挿した大豆大の金剛石と灰色の髪の毛が彼の重財嚢(ロングパース)とそれを齎した不断の健闘とを示して余りあるように思はれた、コ氏もキャ君もさてはマ君も海化を喰った航海から急に晴々した天候と歓迎の暖かい風に接して非常な機嫌であった

▲同勢五十八人 主として談話の衝に当ったマグロー君の曰く『一行は米本国の各地に於て試合を行ふこと三十一回中一回が同点(タイ)試合を除いて各団十五回宛の勝利を得、丁度総ゲームも同点の成績であるが最後の試合は華盛頓(ワシントン)州のスポーケーンで行ひシヤトルの試合が雨に流れた為に直に乗船した次第である 一行は総て五十八人で十三人の巨人選手十二人の市俄高選手 クレム、シェリダンの両審判、市俄高トレビヨン、ファーレル君 紐育(ニウヨーク)タイムスのバーチェル君、市俄高レコード、ヘラルドのアクスレンソン君の三特派員 選手の細君、野球狂(ファンス)の幾人及我々三人等が其総てである 我が巨人軍の誇りたるマッシューソンは船嫌いの細君に引留められた為に一行の中に居ないのとテスローマックオードさてはデマリーもさまざまの理由で一行に加はることが出来なかったのは遺憾である

▲品川より入京 日本は一行にとって初めてのことであり悠くり観光もしたいが各地の予約があるので望みを果すことが出来ない』話のはづむ間に船は岩壁に着くと小蒸気船(ランチせん)を飛ばして先着したパテー活動写真の技師は頻りにレンズの巣口を向ける、かくて一行は九時上陸 直にグランドホテルに於ける米領事の茶会に臨み午餐もそこそこ十一時五十五分の上り列車に搭じ零時二十五分品川駅にて降車 更に自動車に分乗して三田綱町グラウンドに赴いた

▲戦の始る迄 ▽福の神にこにこ

(中略)

一時廿分白きユニフォームの上に黒の赤縁とりたるヂャケツを着たる肥満のマグロードイルを先にして入場す、愛嬌あるマグローは特別席の外国人等に向って「今日は、ハハハハ」と大声を上げて快活に挨拶す 続いて白鞜団入場 白に竪縞あるユニフォームに、紫紺のキャップを被り紺羅紗に大貝六釦つきたるヂャケツを着たり 白鞜団キャプテン、キャラハンの息子の六歳許りなるはマスコット(福の神)として白鞜下団と同じ服装にてにこにこ入場、喝采湧くが如し

(後略)

(1913〈大正2〉年12月7日付 東京朝日 朝刊5面)

(記事中の丸がっこの中は、実際の紙面では直前の言葉のルビになっています)

【解説】

 4月27日更新のこのコーナーで、大リーグのジャイアンツとホワイトソックスが日本に来るかどうか?!という記事(1913年3月22日付)を紹介しましたが、その答えがこの記事です。そう、両チームはちゃんと来てくれたのです! 船で到着したその日に試合をやる強行日程だったようです。この日、12月6日はジャイアンツとホワイトソックスの対戦でした。

 今回は当時の盛り上がりをお伝えしたいので、前編・後編の2回に分けます。前編は試合が始まるまでの部分を主に取り上げます。まず一見して分かるように、カタカナのルビがふってあるものの多いこと! ホワイトソックスを「白鞜団」とするくらいならまだ分かりますが、ロングパース=重財嚢(ざいのう、財布のことですね)、ファン(ス)=野球狂、と多少無理やりなものも……。

 マスコットの和訳は「福の神」! ホワイトソックスのキャラハン監督の6歳の息子が一緒に来日して、ユニホームを着て登場したその姿はまさにマスコット(「にこにこ入場」とありますが、写真では多少難しい顔をしているようにも見えます……)。でも「福の神」ではないような……と思いつつ、辞書をひいてみたら、「幸運をもたらす人または物」(広辞苑)。う~ん。これだったら「福の神」も、当たらずとも遠からず、でしょうか。

 記者も興奮して、なるべく生の言葉を書きたかったのでしょうね。それもそのはず、本格的に大リーグの一流選手が来日するのはこれが初めて。でもカタカナだけでは意味不明になるので、それを防ぐための手段だったと思われます。当時は当然活版ですから、活字を組む人は大変な作業だったでしょう。現在の朝日新聞では、ルビは原則として読み仮名としてのみ使います。このような言い換えの場合はかっこ書きにするので、そのように指摘します。多少無粋ではありますが……。

 ところでこの「野球狂」は、少しひっかかります。「狂」は印象の悪い字ですので、必要以上に使うことは避けたいもの。現代なら「ファン」だけで十分通用しますが、どうしても日本語と併記するなら「熱心な愛好者」でしょうか。わざわざ米国から船で日本にまで追っかけてくるファンですから熱烈な人たちですね。

 現代と大きく違う体裁がひとつありました。マグロー監督の発言の「 」の中に「品川より入京」との小見出しがついています。これではコメント部分が続いているのかどうか、分かりにくいように思いますが、いかがでしょう。現代なら……、どうしても小見出しを付けるなら一度かっこを閉じて、改行して続きをまたかっこで始めます。

 書いている記者が別なのか、表記がひとつの紙面の中で揺れているのも気になります。マグロウとマグロー、人名に「君」をつけたりつけなかったり。なお現代なら「君」ではなく「選手」や「監督」をつけます(スポーツ面なら「選手」は省略)。「白鞜団」が「白鞜下団」になっているのも1カ所発見。いずれも直してもらいましょう。

 昔の紙面は決まり事が少なくて読みにくいですが、自由で生き生きとした紙面のようにも思えます。出だしの、船が湾に入ってくる様子などは少し詩的にも感じます。一方、現代の新聞は読みやすさに重点がおかれていますが、さてどちらがお好みでしょうか。

 後編は6月8日に掲載予定、当時の野球の様子がうかがえる内容です。マグロー監督によると、テスロー(Jeff Tesreau、この年22勝、通算115勝)、マーカード(Rube Marquard、同23勝/201勝)、デマリー(Al Demaree、同13勝/80勝)といったジャイアンツの主力投手は来日できなかったようです。監督をして「巨人軍の誇り」と言わしめる大投手マシューソン(Chirsty Mathewson、同25勝/373勝、通算勝利数は大リーグ歴代3位タイ)にいたっては船嫌いの夫人に引き留められてしまったとありますが、さあ、主力なしでどのような戦いぶりをみせたのでしょうか。後編をお楽しみに。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。また、【当時の記事】などで省略した部分には灰色の網掛けをつけています)

【現代風の記事にすると…】

ホワイトソックス、ジャイアンツを破る
豪腕うなる三田台決戦 9対4でWS勝つ

 世界野球界の覇者、ニューヨーク・ジャイアンツ(巨人)と、シカゴ・ホワイトソックス(WS)は6日朝横浜に到着、その足で上京し、午後2時10分から東京・三田綱町の慶応義塾運動場で対戦した。WSはマスコット(福の神)効果か長打が続出、中堅手スピーカーの活躍もあって同3時30分、9対4で勝った。

両チーム入京 気力十分の面々

 6日朝、朝日が横浜の海を照らすころ、世界周遊米国大野球団の精鋭を乗せ、神奈川・三浦半島の剣崎を通過したエンプレス・オブ・ジャパン号(日本皇后号)は、真っ白な船べりをうすれゆく霧の中から少しずつ現した。

一行の首脳

 検疫が終わってすぐの午前8時半。甲板に立ち富士山を仰ぎ見ていた一行の首脳、WSのコミスキーオーナーとキャラハン監督、巨人軍のマグロー監督は記者団に囲まれた。野球で富を築いたコミスキー氏は丸顔で白髪の好々爺(こうこうや)。キャラハン監督はやや背が高く細面、焦げ茶の背広をおしゃれに着こなしていた。マグロー監督はがっちりした体格で、カーキ色のレインコートを羽織ってソフト帽(中折れ帽)をかぶっていた。襟にさした大豆ほどもあるダイヤモンドと灰色の髪の毛が彼の財力とそれをもたらした不断の努力とを示して余りあるようだ。3人とも、しけにあった航海から、急に晴れわたった空と歓迎の暖かい風に接してすこぶるご機嫌だった。

総勢58人

 おもに取材に応じたマグロー監督の談話は次の通り。

 「一行は米本国の各地で31試合を戦い、1回の引き分け試合を除いて、両者15勝ずつ。最後の試合はワシントン州のスポケーンであり、シアトルでやるはずの試合が雨で流れたのでそのまま乗船してきた。一行は全部で58人。選手は巨人13人、WS12人。 クレム、シェリダンの両審判、シカゴ・トリビューンのファーレル、ニューヨーク・タイムズのバーチェル、シカゴレコード・ヘラルドのアクスレンソンの3特派員、選手の妻、ファン何人かと私たち3人。私たち巨人軍のスター、マシューソンは船嫌いの奥さんに引きとめられたために来日がかなわなかった。テスロー、マーカード、デマリー(の3投手)も諸事情で不在なのは遺憾だ」

品川から入京 

 「みな日本は初めてなのでゆっくり観光もしたいが、世界各地をまわらなければいけないので、その希望はかないそうにない」

 取材が続く中、船が岸壁に着くと、ランチ船(小蒸気船)を飛ばして先に上陸したパテー社の映像カメラマンがすかさずカメラを向ける。一行は午前9時に上陸、すぐに横浜グランドホテルで米領事と面会し、茶会に参加した。昼食もそこそこに同11時55分には上り列車に乗り、午後0時25分品川駅に到着。自動車に分乗して三田綱町グラウンドに向かった。

試合前の両軍 福の神ニコニコ

(中略)

 午後1時20分、白いユニホームの上に赤ぶちの黒ジャケットを着た太めのマグロー監督とドイルを先にして入場。マグロー監督は愛敬たっぷりに特別席の外国人らにむかって「こんちは、ハハハハ」と大声を上げて楽しそうにあいさつしていた。続いてWS入場。白にタテジマのユニホーム、紫紺のキャップをかぶり、紺ラシャに六つボタンのジャケット姿。キャラハン監督の息子(6)も同じユニホームでニコニコしながら入場。さながらWSのマスコットだ。場内からは盛んに拍手が起きた。

(後略)

(広瀬集)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください