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昔の新聞点検隊

巨人軍がやってきた!(後編)

広瀬 集

【当時の記事】

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▲舶来の庄之助 ▽其声は呼出勘太

行司の庄之助の眼と呼出し勘太の声を併有したやうなナショナル組合(リグ)の大審判者(グレートアンパイヤ)クレム君によって開戦の令下る 先攻の巨人軍の第一打手ドンリンが長棍を提げて打手圏に現はれると舶来の勘太の声は恁響く「紐育巨人軍中堅ドンリン(ドンリン センター フヰルダー・オブ ゼ ニュヨリク・ヂャイアント)」 碧瑠璃の空にさへ谺を添ふかの如く

二塁将ドイル現はれ更に右翼手にしてオリンピックの大選手ソープ現はるるに及んで満場の球狂(ファンス)は熾な拍手を浴せかけた 市俄高軍代ってボストンよりの客将スピーカー第一の本塁打を右翼に飛し蜂須賀邸の昼寝鴉の肝を奪へば喝采暫らくは止まずワッワッと騒ぐのに独り舶来庄之助の眼は球(ボール)のよそに外れない

クレム君のボール、ストライキの宣告は間近い特等席には獅子の吼るやうにしか聞えなかった 恐らく野外裏の桟敷(ブリッチャー)には遠まさりして明瞭に鳴り渡ったのであらう、但し三振に際して「ヒー、イズ、アウト」と云ふ宣言は仮令打者が口返答をやらうとしても一分の隙もなく宛も匕首を振って心臓を刺すやうに響いた

クレム君に引換へて塁判のセリダン君は走者の刺殺される場合には屹度「ユールアウト」とこれも虎嘯を発す 打者の三人称 走者の二人称は吾々には勿論初耳であったが軈て来春の野球期(シーゾン)には和製のクレムセリダン君の輩出は請合って置く

▲八百長に非ず ▽菅瀬慶応投手談

一分の隙もなき両軍の対戦を本塁に近く座を構へて傍目もふらず啼め居たる慶応の第一投手菅瀬君は戦ひ了って後記者に語って曰く『音に聞くボストンの強打手スピーカーの猛烈さ加減は全く吾等の胆を奪った 仮令非常な当りが出なかった巨人軍の選手でさへも一塁に走者の居る場合には必ず右翼の方面に安打を飛ばして走者を三塁迄奪はせようとする作戦は慥に科学的(サイエンチフィック)球技の真髄を示して余りあるものではあるまいか 両軍投手の力量は素敵なものと感心したと同時に巨人軍のウィルツは主として十字火球(クロッスファイアきう)を試みると共に幾多変化のある魔球(カーブ)を弄し市俄高軍のベンツは得意と見ゆるスピットボールを用ひて敵手の打撃を封ずるに努めて居た 観衆の或者が今日の試合を八百長の如く思ふ者があれど其人は全く野球の何ものたるかを知らない人に違ひない 慥に両軍とも全力を挙げてダイヤモンドを馳駆したものと自分は観察した 何にしろ唯驚嘆の外はない 大選手揃ひのことであるから七日の慶応との対戦は何う云ふ結果になるか頗る心配に堪へないが併し克く守り克く打ちたい』

▲試合後の感

大マチーを初めテスローマーカード等の巨軍の大投手が遂に其姿を現さざりしは遺憾至極なれど音に聞くスピーカーが昨日の快打は吾人をして先づ世界試合の壮烈を偲ばしめたり 白鞜軍にスピーカー、クロフォード等の強打者が来投せるに反し巨人軍にスナッドクラス、マイヤース等の来朝無く剰えマチー以下の大投手を欠けるは後者の前者に対する苦戦の主なる原因なるが如し、捕手ウインゴーが第六回の危機に軽率なる投球をなして敵に一点を献じ投手ウィルツが相続いて三個の四死球を連発し加ふるに二回の暴投をなせしを見れば九の三振を巨人軍より強奪し一の盗塁をも許さざりし白鞜軍の投捕手ベンツ、スライトに一日の長あるに似たり 打撃は共に猛烈を極めしが白鞜軍の安打外野手の手を束ねて飛ぶが儘に委せしものにしてこの点に於て完全を期する能はざるは遺憾至極なりき 又時間に於て一時間と廿分なりしは試合時間の本邦に於けるレコードにして十分に神技を発揮するには多少の遺憾なきにあらざりき(一記者)

(後略)

(1913〈大正2〉年12月7日付 東京朝日 朝刊5面)

(記事中の丸がっこの中は、実際の紙面では直前の言葉のルビになっています)

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【解説】

 5月25日更新の続きです。いよいよ今回はジャイアンツとホワイトソックスの試合。細かい校閲的指摘は先にさっさと済ませてしまって、当時の試合を楽しみましょう。

 気になるのは、前回「シェリダン」と表記されている審判が「セリダン」に。いくら自由な時代だからといって、人名くらいは統一してもらいたいものですね。

 それから「試合後の感」にある捕手ウインゴーの「投球」は「送球」ですよね。もしかしたら、当時はまだ用語が統一されていなかったかもしれませんが、ここは現代の野球規則にあわせてもらいましょう。投球は投手が打者に向かって投げる行為、送球は守備の際に投げることです。投手がゴロを捕って一塁に投げるときも送球です。またこの記事は最後に「(一記者)」とありますが、いまは署名を入れるならば、フルネームが原則。ペンネームのように1文字だけのこともありますが、社外筆者の場合が多いようです。この場合は、せっかくですから名前を出してもらいましょう。

 誤植と思われる個所もひとつありました。読みがなは「みつ(め)」とふっているのに、「啼」(なく)の字が……。今ではほとんど使われませんがここは「瞠」あたりでしょうか。現代は記事をパソコンで打つので、めったに見られない間違いのパターンです。

 間違いではないけれど記事を分かりやすく改善するよう促す。これも校閲の重要な任務の一つです。たとえば、「ボストンよりの客将」スピーカー。実はこの人、Tris Speaker、通算3514安打の大打者です。この時はボストン・レッドソックス所属でした。記事中にもあるように、妻に海外遠征を引き留められたりして来日できなかった選手もいたので、他チームからの応援参加が何人かいたようです。でも「客将」だけでは分かりにくいですよね。現代なら、かっこ書きで所属等の補足をしたいので、そのように記者に促してみます。

 同様に、「試合後の感」に出てくる「大マチー」。これが何か私もしばらく悩みました。どうも、前回紹介したジャイアンツの大投手マシューソンのことのようです。先述の、妻に遠征を止められたのはまさにこの人。彼の米国でのニックネームが「Matty」または「Big Six」(この由来は6フィート超の身長から、など諸説あるようです)だったそうで、これにならって「大マチー」としているのだと思われます。しかし前後の紙面でも見当たりませんし、とうてい世間一般に知られているニックネームとは言えない模様。ここも説明書きがほしいところです。

 それにしてもこの紙面は、ほぼ1世紀前の野球の様子とそれを見た日本人の驚きがよく分かって興味深いです。審判は、相撲に例えて、立行司・木村庄之助のジャッジ力と呼び出しさんの声を併せ持つ、と分かりやすく表現しているところが面白いですね。現代でも、大リーグの審判は毅然(きぜん)としているとよく言われますが、当時からそうだったことがうかがえます。そして日本ではこの頃から「口返答」(抗議?)が当たり前だったのでしょうか。

 審判のくだりでは、ソープ(Jim Thorpe)という選手も登場します。実はこの人、マシューソンやスピーカーに勝るとも劣らないすごい人物。本文中にも「オリンピックの大選手」とありますが、この前年のストックホルム五輪で、陸上5種競技、10種競技の金メダルを獲得した選手なのです(プロスポーツの選手だったということで一度はメダルを剥奪〈はくだつ〉されますが、死後に返還されています)。この年からは主にジャイアンツでプレー。通算成績は289試合で176安打、7本塁打、打率.252、29盗塁とさほどでもないですが、大リーグを辞めたあとはアメリカンフットボール・NFLのチームにも所属していたといいます。現代でもディオン・サンダースのようにまれにアメフットと野球の二足のわらじをはいた選手はいますが、さらに陸上の、しかも10種競技だなんて。この人は本当のスーパーマンですね。そんな選手も来日していたんです。観客もさかんな拍手、とあるので日本でも有名選手だったのでしょう。

 最後の「試合後の感」では、両軍計13点も入った試合が1時間20分で終わったことが分かります。さすがに当時でも最速試合だったようですが、3時間が当たり前の現代のプロ野球界も見習ってほしいものです。ただ、外野の動きが緩慢だったと、記者は指摘しているようです。そのあたりが、「八百長か?」との疑念を観客に抱かせ、菅瀬投手の談話につながったのかもしれません。

 その菅瀬投手の談話(菅瀬一馬投手は慶応大のエースで、翌日大リーグ連合チームと試合をすることになっていました。結果は16対3で大リーグの大勝だったそうです)。八百長を否定し、両チーム全力だったと語っています。しかしここでは八百長の話より、当時のプレーの様子がうかがえて面白いですね。

 このころからすでに、一塁に走者が出たら右打ちを試みて、走者をなるべく三塁まで進めようとする、いわゆる進塁打の考えがあったり、「クロスファイア」という用語があったりすることが分かります。クロスファイアとはホームベースの対角線を通るような球のこと。写真を見ても分かるようにウィルツ投手は左投げ、右打者の内角をぐいぐい攻めていたのでしょう。スピットボールという言葉も出てきます。これはボールに唾液(だえき)などを付けてボールを滑りやすくし、不規則な変化をねらう行為で、いまは反則です。このころの大リーグではまだ許容されていたようで、そのことを示す貴重な資料ですね。そういえば前編で掲載した前文には「A(アルハ)付き」で勝利、ともありました。後攻のチームがリードしている場合、9回裏の攻撃を行わず、スコアボードにつける、あの「×」のことです。あれはバツではないんです。しかしアルファ(α)でもなく、本来は「x(エックス、何点入るか分からない、の意)」なんですが、xを筆記体にすると字の形がαに似ています。これを日本で見誤ってアルファが定着した、とする説が広辞苑にも載っています。少なくともこのころはその見誤りがあった後だ、ということが分かります。

 またこの記者はカーブに「魔球」の字をあてていますが、当時すでにカーブ以外の変化球も開発されていたとか。マシューソンはスクリューボールの元祖とも言われています。イチロー選手が大昔につくられた記録を破る時に、100年も前の野球とは比べられない、などとよく言われますが、この記事を見ると案外、そんなに違いはないような気もしてきました。フィルダースチョイスはありませんが(笑)。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。また、【当時の記事】などで省略した部分には灰色の網掛けをつけています)

【現代風の記事にすると…】

▲舶来の庄之助 ▽その声は呼び出し勘太

 プレーボールを告げたのは、大相撲の行事の「庄之助」の「目」と呼び出し「勘太」の「声」を併せ持ったようなナショナルリーグのクレム審判。先攻の巨人軍の先頭打者ドンリンが長いバットをひっさげて打席に入ると、舶来の「勘太」の「声」は「Donlin, Center fielder of the NewYork Giants(ニューヨーク・ジャイアンツ・中堅ドンリン)」と、青々とした空にこだまするかのように響いた。 二塁手ドイル、さらには右翼手で、昨年のストックホルム五輪でも活躍(陸上5種・10種競技で金メダル)した大選手ソープが登場すると、満場のファンから大きな拍手。WSではボストンからの助っ人スピーカー(レッドソックス所属、今回は応援選手として参加)が最初の本塁打を右翼席に放り込んだ。球場外の蜂須賀邸に飛び込んだので昼寝のカラスもびっくり。「ワッワッ」と喝采はしばらく続いた中、ひとり舶来の「庄之助」だけは球から目を離さない。

 クレム審判のボール、ストライクの宣告は間近の特等席ではライオンのほえるようにしか聞こえなかったが、遠くにある外野の臨時席では明瞭(めいりょう)に鳴り響いたようだ。三振の際の「He is out(ヒー イズ アウト)」という宣告は、打者が抗議しようとしても一分のすきもなく、刃物で心臓を刺されるかのように鋭く響いた。

 クレム審判だけでなく、シェリダン塁審は走者刺殺の際に「You'll out(ユール アウト)」とこれも虎のような迫力の声。打者を三人称、走者を二人称にするのは私たちにとって初耳だったが、来季にはもう和製「クレム」や「シェリダン」が輩出することは間違いないだろう。

「八百長にあらず」慶大・菅瀬投手談

 一瞬たりとも気が抜けない両チームの対戦を、バックネット裏で脇目もふらず見守った慶応大のエース菅瀬。試合後、感想を記者団に語った。

 「音に聞くボストンの強打者スピーカーの猛打に度肝を抜かれました。いい当たりがあまり出なかった巨人の選手でさえも、一塁に走者がいる場合には必ず右方向に安打を放って、走者を三塁に進めようとする作戦をとっていましたね。まさにサイエンティフィック(科学的)球技である野球の神髄。両チームの投手の力量はすばらしかった。巨人のウィルツはおもにクロスファイアの直球に様々な変化球。WSのベンツは得意のスピットボールで抑えようとしていました。観衆の一人が今日の試合を八百長のように言っていましたが、それは野球が何であるかを全く知らない人。両軍とも間違いなく、全力でダイヤモンドを駆け回っていたと私は見ました。とにかく驚く以外にないです。スター選手ぞろいなので7日の慶応との対戦はどういう結果になるか……。かなり心配ですが、守るのも打つのも、全力で臨みたいと思います」

▲試合を見て

 大投手マティー(マシューソン)をはじめ、テスロー、マーカードらの巨人の大投手たちが来日できなかったのは大変残念だったが、音に聞くスピーカーの快打に世界レベルの壮絶さを思い知った。WSにスピーカー、クロフォードらの強打者が加わったのに対し、巨人はスナッドクラス、マイヤースらが来日できず、そのうえマティーらの大投手陣がいないことが、苦戦の最大の原因だろう。捕手ウインゴーが6回のピンチに軽率な送球で相手に1点を献上、投手ウィルツは四死球を三つ連発。他に2度の暴投もあった。9奪三振、一つの盗塁も許さなかったWSのベンツ、スライトのバッテリーに一日の長があった。打撃は両チームともに猛烈だったが、WSの安打は外野手が腕を組んで見送ったものもあり、この辺りが完璧(かんぺき)な試合とは言えず残念だった。1時間20分の試合時間は国内最短記録だったが、神業を十分に発揮してもらうには少し物足りなかった。(署名)

(後略)

(広瀬集)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください