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昔の新聞点検隊

【当時の記事】

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アメリカへ行くお人形 花子さんの送別会 市と教員会と本社の主催で 廿二日朝日講堂で賑やかに

この春はるばるアメリカから平和のお使としてミス・アメリカをはじめ全米四十八州を代表して日本に来た青い眼をしたお人形さんは日本のやさしい嬢ちゃん坊ちゃんと仲よくあそんで今ではお家まで立派に出来て異国の空にあってもにぎやかにお友達のおとぎをしてゐます

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そこで日本からも是非アメリカのお友達に答礼のお使をだしたいといふので先頃から日本国際児童親善会が肝いりで各府県を通じて全国小学校の児童から一銭づつをきょ金し、そのお金で純日本式のお人形五十個を高島屋に頼んで製作中であったがいよいよこの程出来上ったので各地へそれぞれ発送されました

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このお人形はあちらのクリスマスに間に合ふやうにと近くそろってアメリカ四十八州の嬢ちゃん坊ちゃんにお目見得し国際親善のお役目を果すため横浜港から鹿島立をするので各地では思ひ思ひに盛大な送別会が催されることになりました

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一方東京市を代表してゆく黒い眼をしたお人形は今回『東京はな子』と名づけられ東京市と市教員会と本社の共同主催でいよいよ二十二日午後二時から本社大講堂で西久保市長外関係者出席、東京市内の各小学校から千余名の児童が集まって盛大な送別会が開かれることになりました

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当日は舞台正面にひな段を設らへ『東京はな子』さんを中央に飾り持物一切も飾って集まった子供さん達が送別の辞や童話、童謡で晴やかにこのお人形の首途を祝うといふ順序であります

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このお人形は身丈曲尺で二尺五寸、眼のさめるやうな友禅ちりめんで下着までそろへ帯は西陣織、持物はたんす、長持、鏡台、茶道具一式、裁縫道具、傘、下駄、ぞうり、ぼんぼりまですっかりお人形にふさはしいものをそろへ、また着物には東京市の紋を五つ紋に表はし持物一切にも紋を入てあるすこぶる丹精をこらしたものであります

【写真は東京はな子さんと諸道具】

(1927〈昭和2〉年10月16日付 東京朝日 夕刊2面)

【解説】

 「はな子さんの送別会」――といっても、人間の話じゃありません。

 今回は、5月11日に掲載した「日米の懸け橋」の続編をお送りします。「青い目の人形」を米国から贈られた日本は、やはり人形でお返しをしました。写真は東京市(当時)の代表、「東京はな子」さん。ごらんの通りいわゆる「市松人形」で、この記事では「黒い眼をしたお人形」と表現しています。お礼の人形なので「答礼人形」とも呼ばれます。

 さっそく、本文や写真説明で「はな子」なのに見出しでは「花子」になっているので、そろえてもらいましょう。ほかにも、「廿二日」と「二十二日」が見出しと本文で表記がちがっていますが、いずれも見出しの字数を減らす工夫であることに気づきます。「花子」のような固有名詞の表記が異なるのは問題がありますが、日付の方は目くじらを立てるほどではないかもしれません。現在2ケタの洋数字は「連数字」といって1文字分に収める決まりなので、こうした工夫をする必要もなくなりました。

 見出しでもう一つ。送別会は「市と教員会と本社の主催で」開かれるようですが、本文を読まないと「市」がどこを指しているのかわかりません。このままでは不親切なので、「東京市」とはっきり書いてもらいましょう。ただ当時の夕刊は東京市周辺にしか配られていなかったようで、この時期の見出しは「市」だけで東京市を表す記事が多く見られました。

 余談ですが、この年(1927年)の3月20日、朝日新聞東京本社は京橋区滝山町(当時)から麹町区有楽町3丁目(現・千代田区有楽町2丁目)へ社屋を移転しました。見出しの「朝日講堂」はこの社屋内に設けられた1200人収容のホール。東京本社は1980年に現在の築地に移転し、跡地には「有楽町マリオン」が立っています。

 人形の名前に戻ります。答礼人形は「ミス宮城」「ミス大阪」「ミス福岡」のように「ミス」の後ろに当時の道府県名などをつけた名前で呼ばれました(中には「東京はな子」のようにフルネームを持つ人形もありました)。日本の植民地とされた台湾や朝鮮のものもあります。この名づけ方は、全米48州を代表して日本に来た「ミス・アメリカ」などに倣ったものでしょうか。ちなみに現在米国は50州ですが、1959年に準州から州に昇格したアラスカ、ハワイが1927年当時はまだ加わっていないので、記事では48州になっています。

 「ぜひ……したい」という意味で使う副詞の「ぜひ」は、読みやすくするために今の紙面では平仮名にしています。「善悪、当否」という意味の「是非」や、「是が非でも」という時は漢字も使っています。

 「きょ金」のように漢語の一部を仮名にする「交ぜ書き」は、読みやすさの観点から紙面ではなるべく避けることにしています。例外もあり、「覚せい剤」(覚醒剤)など法令の表記に基づくもの、「改ざん」(改竄)、「急きょ」(急遽)など一般的に定着しているとみられるものは「交ぜ書き」を使っています。宮崎県で感染が広がっている「口蹄疫(こうていえき)」は、朝日新聞では初出に読み仮名をつけて漢字で書くことにしていますが、テレビでは「口てい疫」と表記しているところもあります。

 この記事の場合、「きょ金」は「拠金」(あるいは「醵金(きょきん)」)と書くことになりますが、今の記事としては「お金を出し合う」「寄付」などと言い換えた方がわかりやすそうです。

 「横浜港から鹿島立をするので……」を読み、てっきり横浜から鹿島(茨城県鹿嶋市)を経由して米国に行くのかと思いました。日本国語大辞典(小学館)によると、「鹿島立(かしまだち)」には「旅に出かけること。旅立ち。出立」という意味があり、鹿島に立ち寄るわけではないようです。語源については、「鹿島と香取の神が、鹿島を出発して国土を平定したという故事による」「防人(さきもり)や武士が旅立ちの前日、鹿島の阿須波明神に安全を祈った習慣による」などの説があるようです。

 「青い目の人形」を取り上げた回でも書いたとおり、人の形をした人形を数えるときは「個」ではなく「体」にします。前回の記事を覚えて下さっている方は、「50体とは少ないな」と思いませんでしたか? 実際には日本から58体贈りましたが、米国からは約1万3千体が贈られたので、およそ220分の1ということになります。

 これには理由があります。手作りの日本人形はとても高価だったからです。先生の月給が40円の時代に、1体300~350円。しかもこの記事にあるとおり、そのお金は全国の小学生から1銭ずつ集めてまかなったそうですから、いかに大規模なイベントだったかがわかります。

 最後の段落を読むと、この人形が細部まで丁寧につくりこまれたことがわかります。お返しのプレゼントだからこそ、もらった以上のものを贈ろうと考えたのでしょうか。「量より質を」という日本人の意地?が透けて見えるようです。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

アメリカへ行くお人形 はな子さんの送別会 東京市と教員会と本社の主催で 22日朝日講堂で盛大に

 今春、平和の使いとして全米48州を代表して日本に来た、ミス・アメリカをはじめとする「青い目の人形」。今では家も出来て、日本の子どもたちと仲よく遊んでいる。

  ◇

 日本からもぜひ米国の友達にお礼の使いを出したいとの声が高まり、日本国際児童親善会の肝いりで各府県を通じて全国の小学校の児童が1銭ずつ寄付し、純日本式の人形50体を百貨店「高島屋」に発注した。それがいよいよ出来上がり、各地へ発送された。

  ◇

 人形はクリスマスに間に合うよう、近くそろって48州の子どもたちに披露される。国際親善の役目を果たすべく横浜港から出発するため、各地では思い思いに盛大な送別会が催されることになった。

  ◇

 東京市を代表する「黒い目の人形」は「東京はな子」と名づけられた。22日午後2時から本社大講堂で、同市と市教員会、本社の共同主催で盛大な送別会が開かれる。西久保市長ほか関係者や、市内の各小学校から1千人以上の児童が集まる。

  ◇

 当日は舞台正面にひな段を設け、「東京はな子」さんを中央に置き、持ち物もすべて飾る。集まった子どもたちが送別のことばを述べたり、童謡を歌ったりして晴れやかに門出を祝う予定だ。

  ◇

 人形は高さ約75センチ。目をみはるような友禅ちりめんで下着までそろえ、帯は西陣織。持ち物はたんす、長持ち、鏡台、茶道具一式、裁縫道具、傘、下駄、ぞうり、ぼんぼりまでこの人形にふさわしいものをそろえた。着物の五つ紋には東京市の紋をあしらい、すべての持ち物にも紋を入れるという、非常に丹精をこらしたものだ。

 【写真は東京はな子さんと道具類】

(森本類)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください