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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

黒豹遂に就縛 トコロテン戦術にうをっ!と降参 マンホールの上に頑丈な檻 帝都のスリル終幕

上野動物園の鉄檻を脱出して帝都に戦慄と猟奇をまきちらした血に飢ゑた黒豹(シャム産)は、武装捜索隊数百名の血眼の活動の結果、廿五日午後二時三十五分に至り動物園正門付近の府美術館脇道路下に埋設されてゐる下水道の土管内に潜んでゐたのを漸く発見、この下水のマンホール上に猛獣用の頑丈な檻をかぶせた上で一頭の猛獣相手に数百名の人間があれこれと生捕りの脳味噌を絞ること三時間! 燻し出し戦術も、電灯による追出し戦術も頑強な豹を檻へ追ひ込む事が出来ず、最後に試みた奇策トコロテン戦術が奏功して、同五時卅三分、脱走後実に十三時間半にしてやっと生捕りに成功、狂へる黒豹はウオーッとあたりを震撼する物凄い唸り声をあげて、待ち構へた檻の中へ突入、バタリと蓋が落ち、思はず挙がる歓声、直に檻は厳重に釘付けにされ、運搬車で、黒山の人だかりの中を動物園の檻へ午後六時やうやく無事に収容された、かくて息詰まる戦慄十三時間にして、幸ひに一人の怪我人も出さず、帝都の猛獣狩も無事幕――【写真は捕はれた黒豹(上)と燻し出し戦術…漫画は捕はれるまでの武装隊の活躍ぶり】

歓声・山に反響 園長の眼に光る涙

(中略)

 さて豹は、美術館と公園課材料置場との間の道路の地下を流れて動物園内に注ぐ二尺四方の暗渠に潜んで居るのだ、兵火を交へずに地上に出さねばならないのだ、先づ暗渠は、最初豹が発見されたマンホールを中心としてマンホール毎に頑丈な板を差し込んで数個の部屋に区画された、マンホールから飛び出したら搦め捕らうと長い山狩りの網を張り巡らしたが、これは危険な方法だと忽ち却けられ、中心のマンホールに堅牢な檻をかぶせ、更にその上から網をかぶせて数十人の公園課員が抑へてゐる、その周囲を猟銃隊が取囲み、その外を警官隊が固めて地上の準備は完璧だ 約十間離れた次のホールから暗渠を覗くと確かに凄い奴がゐる

 長い棹を差入れて檻へ追ひ込まうといふ寸法だがこれは失敗、次ぎは火攻めだ、棹の先に結んだボロ布に石油をかけて火をつけて、差込んだがやはり駄目、映画班のブライヤーで猛烈な火炎を注いだが豹は檻のそばまで来て居ながら檻の中に入らうとはしない、たうとうトコロテン式追出法が考案された、下水の大きさに作った木の蓋を檻の下まで針金で引寄せるのだ、万一蓋の隙から豹がもれては大変だと、動物園汽缶士原田国太郎君(四一)が決死の挺身でふたの後押しに潜り込む

 処が火攻の際の煙が残ってゐて団扇も扇風器も効果がなく流石の原田君が煙のために進めないのだ、トコロテン作業も遅々として進捗しない、今度は途中に二ケ所の風穴作りだ、午後五時トコロテン作業は漸く檻の下のマンホールに到達した、だが檻を恐怖する豹は凄いうなり声を立てるばかりで檻へ上らうとしない、豹との根気くらべに負けた人間は、危険を冒して檻のづらかし作業だ、ホールの口元は網だけにして檻へ誘導しようとするのだ、檻が動くと同時に豹は猛烈な勢で跳び揚って網を抑へてゐた人々をおびやかしたが

 遂に五時三十三分、豹はやっと檻へ跳び込んだ、瞬間、人々の口から洩れたのはホッと緊張感の解けた溜息だ、暫くして万歳の怒濤、古賀園長を始め飼育係諸君の眼には涙さへ光ってゐる、かくて檻に入れられた豹は凱旋将軍の分捕品のやうにリヤカーに乗せられて園内の猛獣室へ、馬来(マレー)産の黒豹を移転さした跡の「金網を張った室」に収められた、脱走後、十三時間目である

(1936〈昭和11〉年7月26日付 東京朝日 朝刊11面)

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【解説】

 今回は、6月29日更新の回で取りあげた上野の動物園のクロヒョウ脱走事件の解決編です。前回取りあげた夕刊紙面の翌日の、朝刊の社会面の記事になります。どうやらクロヒョウを無事に捕獲したようです。

 「黒豹がつかまるまで」と題したユーモラスな漫画がついているなど、前日の緊迫感にみちた紙面に比べると、ホッとした雰囲気が漂っています。写真に写っているクロヒョウは、記事で強調されている「血に飢えた猛獣」というイメージの割には、小さい印象です。上記の原文にはありませんが、ほかの記事によると、クロヒョウの頭の大きさが5寸(=約15センチ)とあり、それほど大きくなかったのですね。

 しかし、トコロテン戦術とはよくいったものです。昔は、木の枠から押し出して作るトコロテンは夏の風物詩でした。最近はこうした作り方も見ることが少なくなりましたが、どういう方法で捕獲したのか、当時は読者によく伝わる表現だったのでしょう。

 現在の基準では、「黒豹」「檻」をそれぞれ「クロヒョウ」「おり」と表記するのは前回触れたとおりです。ちなみにこの紙面では何カ所か「檻」という字にルビを入れているのですが、「おり」「をり」と2種類のルビが混在しています。辞書類によると、檻は旧仮名遣いでは「をり」とするのが一般的だったようで、前回の紙面では檻のルビは「をり」で統一していました。

 1本目の記事に出てくる「狂へる黒豹はウオーッとあたりを震撼する物凄い唸り声をあげて」という表現ですが、今の目で見るとクロヒョウの凶暴さを強調しすぎた文のように感じます。クロヒョウが怒り狂った様子をあらわすためにあえて使っているのかもしれませんが、今の記事ならば「狂へる黒豹」は「興奮したクロヒョウ」などとするところです。

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 2本目の記事には「兵火を交へずに地上に出さねばならないのだ」「凱旋将軍の分捕品」ということばが出てきます。この事件が起こったのは、二・二六事件が起こったのと同じ年。戦争の影が濃くなってきた世情がうかがえます。ただ「兵火を……」の方は、今の文章としては戦争に例えて、大げさにしているような印象があるので、私なら「けが人を出さないように」などとしてはどうかと提案します。その次の段落の「映画班のブライヤーで猛烈な火炎を注いだ」とあるのは、「映画班の送風機か火炎放射器のようなものでクロヒョウの方に炎を向けた」ということだろうと推測しましたが、「ブライヤー」が何を指すのか確証はつかめませんでした。

 この紙面、パッと見たとき一番違和感をもったのが「うをっ!」という見出しの擬音語の表記でした。記事本文の方では「ウオーッ」と、ワ行ではなくア行の音を使っています。「ウオーッ」というヒョウの叫び声をW音(アルファベットで表記すると「WOO」といったところでしょうか)だと認識した編集者が、「を」とした方が雰囲気が伝わると考えてわざとワ行にしたのでしょうか。しかも、記事と見出しではカタカナ表記とひらがな表記の違いまであります。どうしてこんなに手のこんだ見出しをつけたのか、現在でははっきりした答えがわかりませんが、現在なら「お」を使う例だと思います。

 その他、「追出し」「追ひ込み」「追出法」の送りがながふぞろいなのをそろえたり、「団扇」をひらがなに直したりするなどして、現代風の記事の完成です。

 さて、東京都が発行している「上野動物園百年史」によると、逃げ出したクロヒョウはメスで、上野動物園に来たのは脱走事件の2カ月ほど前の5月18日のこと。タイを訪問した経済使節を介して動物園に贈られたようです。この事件の後も上野動物園で飼育され、1940年5月12日に病気で死にました。

 園史では、事件が起きた原因にも触れられています。それによると、このクロヒョウは、捕獲されてまもなく動物園に送られて来たため、環境に慣れることができず、運動場にも出ずに室内に閉じこもってしまいました。暑さが厳しくなったため、客のいない夜間だけでも運動場に出してみてはどうかというアイデアで、室内と運動場の間の仕切りを外しておいたところ、夜の間にそこから逃げてしまった、ということです。

 ちなみにこの事件が起こった1936年に、上野動物園は年間の入園者が初めて200万人を突破したそうです。この事件がきっかけで興味を持ち、怖いもの見たさでクロヒョウを見に来たお客さんもいたのでしょうか。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています。また、【当時の記事】などで省略した部分には灰色の網掛けをつけています)

【現代風の記事にすると…】

クロヒョウついに御用 トコロテン戦術に「ウオーッ!」と降参 マンホールの上に頑丈なおり 首都の混乱に幕

 上野動物園の鉄おりを脱出して、首都を恐怖と混乱に突き落としたタイ生まれのクロヒョウは、武装捜索隊数百人の必死の活動の結果、25日午後2時35分に動物園正門付近の東京府美術館脇の道路に埋設された下水道内に潜んでいたのがようやく発見された。この下水のマンホールの上に猛獣用の頑丈なおりをかぶせたうえで、1頭の猛獣を相手に数百人が3時間にわたってあれこれと捕獲方法に知恵を絞った。

 いぶし出し戦術も、電灯による追い出し戦術も頑強なヒョウをおりへ追い込むことが出来なかった。最後に試みた奇策「トコロテン戦術」が奏功し、同5時33分、脱走後13時間半にしてやっと保護に成功した。興奮したクロヒョウはウオーッとあたりを震わせるようなものすごいうなり声をあげて、用意されていたおりの中に突入した。その瞬間バタリとふたが落ち、集まった人々から歓声が上がった。

 すぐにふたは厳重にくぎ付けにされ、午後6時、運搬車で黒山の人だかりの中を運ばれ、動物園のおりに収容された。息の詰まるような13時間を経て、幸い一人のけが人も出さず、首都の猛獣騒動は無事幕を閉じた。(写真は保護されたクロヒョウ〈上〉といぶし出し戦術の様子。漫画は保護されるまでの捜索隊の活躍ぶり)

歓声 山に反響 園長の目に光る涙

 (中略)

 クロヒョウは、美術館と公園課の材料置場との間の道路の地下を流れて動物園内に注ぐ60センチ四方の下水に潜んでいた。けが人を出さないように、ヒョウを地上に出す作戦が練られた。

 まず下水道は、最初にヒョウが発見されたマンホールを中心として、マンホールごとに頑丈な板を差し込んで数個の部屋に区画された。ヒョウがマンホールから飛び出したらすぐにからめとろうと長い山狩り用の網を張り巡らしたが、これは危険な方法だとすぐに却下された。

 地上では中心のマンホールに丈夫なおりをかぶせ、さらにその上から網をかぶせて数十人の公園課職員が押さえている。その周囲を猟銃隊が取り囲み、さらにその外を警官隊が固めて地上の準備は万全。約20メートル離れた隣のマンホールから中をのぞくと、クロヒョウの姿が確認された。

 まず取られたのが、長いさおを入れておりへ追い込むという作戦だったが、これは失敗。次は火攻め。さおの先に布の切れ端をつけ、石油をかけて火をつけて差し込んだが、これもうまくいかなかった。

 さらに映画班のブライヤーで火炎を注いだが、ヒョウはおりのそばまで来ていながら、中に入ろうとはしない。とうとう下水道の大きさに作った木のふたを、おりの下まで針金で引き寄せる「トコロテン式追い出し法」が考案された。万一、ふたのすき間からヒョウが逃げては大変だと、動物園のボイラー担当職員原田国太郎さん(41)が決死の覚悟でふたの後押しに潜り込んだ。

 ところが火攻めの際の煙が残っていて、うちわも扇風機も効果がなく、さすがの原田さんも進めない。トコロテン作戦も遅々として進まないため、今度は途中に2カ所の風穴を作った。午後5時、トコロテン作戦はようやくおりの下のマンホールまで到達したが、おりを怖がるヒョウはうなり声を立てるばかりでおりへ上ろうとしない。

 ヒョウとの根くらべに負けた人間は、危険を冒しておりのずらし作業を行った。マンホールの出口を網だけにして、おりへ誘導しようとする。おりが動くと同時にヒョウは猛烈な勢いで跳び上がって網を押さえていた人々を驚かせたが、午後5時33分、ヒョウはやっとおりへ跳び込んだ。その瞬間、集まった人々からホッと緊張感の解けたため息が漏れた。しばらくすると万歳の連呼が起こり、古賀園長を始め飼育係らの目には涙さえ光っている。 

 ようやくおりへと入れられたヒョウは凱旋(がいせん)将軍の分捕り品のようにリヤカーに乗せられて園内の猛獣室へと運ばれ、マレー生まれのクロヒョウを移転させた後の「金網を張った部屋」に入れられた。脱走後、13時間がたっていた。

(市原俊介)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください