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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

ビルの居住者や外出婦人へ戒め 体験から非常の場合を語る 白木屋の山田専務

白木屋の火事は、多くの顧客を不断に迎へる大百貨店の惨事ではあり、また一面これを消防とか防火とかいふ方面から考へても近代的にいろいろな問題を提供するものとして非常なセンセーションを巻き起し、現に二十一日は丸之内の大日本消防協会で高層ビル災害防止対策の座談会が開かれた位です、今度の火事の体験を通して何を感じたか、座談会に列席した白木屋の山田専務の次の談話の中には、ビル生活者にとって多くの参考になるものがあらうと思ひます

裾の乱れを気にして むざむざ死んだ女店員 無責任な野次馬連の助言!

(中略)

高層建築の避難場所として屋上が安全であるといふ事が今度実証されましたが、白木屋の建物はヒサシが各階に出てゐたため火焔と煙が屋上を包むのを防ぐのに大変役立ちました、又バルコニーが救助作業に非常に便利だった様です、も一つ今度の火災で痛感した事は女店員が折角ツナを或はトヒを伝はって降りて来ても、五階、四階と降りて来て、二、三階のところまでくると下には見物人が沢山雲集して上を見上て騒いでゐる、若い女の事とて裾の乱れてゐるのが気になって、片手でロープにすがりながら片手で裾をおさへたりするために、手がゆるんで墜落をしてしまったといふやうな悲惨事があります

かうした事のないやう今後女店員には全部強制的にズロースを用ゐさせる積りですが、お客様の方でも万一の場合の用意に外出なさる時はこの位の事は心得て頂きたいものです 又下にゐる沢山の野次馬が「飛降りろ、飛降りろ」と騒ぐのでついそれに誘はれて飛び降りて死んだ者もあった様ですが、野次馬もこんな無責任な、馬鹿な事をいはない様にしてもらひたいものです、とにかく尊い犠牲者が教へてくれた数々の教訓を無駄にせぬやう努力する積りです

(1932〈昭和7〉年12月23日付 東京朝日 朝刊5面)

【解説】

 「女性にパンツ(下着)が普及したのは、昔、大火事のときに着物姿で下ばきを着けていなかった女性が逃げ遅れたのがきっかけ」。こんな話を聞いたことはありませんか。誰かが作ったうまい冗談かと思って調べてみると、朝日新聞にも記事が載っていました。

 1932(昭和7)年12月16日、東京・日本橋の百貨店「白木屋」の4階おもちゃ売り場から出火して14人が死亡。日本初の高層建築火災として災害史に残る惨事となりました。この記事は、その大火災の1週間後に掲載された白木屋専務の談話です。

 まず、本文に「山田専務」といきなり姓のみで出ていますが、記事に初めて登場するときは職業や肩書を入れてフルネームで書くのが基本。この山田専務、火災翌日の夕刊を見ると「山田専務最後まで 屋上に踏止る」という記事で「山田忍三氏」とフルネームで書かれていました。ここでも「忍三」と名前を挿入してもらいましょう。

 この紙面をぱっと見て、何より気になったのは前文の後ろにある見出しです。「裾の乱れを気にして むざむざ死んだ女店員」。今と昔では言葉から受ける印象が違うのだと思いますが、職場の火事で亡くなった犠牲者に随分失礼な物言いに感じられます。現在なら、「死んだ」は「亡くなった」に、「女店員」は「女性店員」に直します。「むざむざ」という副詞は「何のなすところもないさま。あっさりと。やすやすと」などの意味ですから間違いではありませんが、必死に避難しようとした女性たちが、「すその乱れを気にするあまり、ロープなどから、いとも簡単に手を離してしまった」というニュアンスにも取れるので、適切とは思えません。

 見出しは、限られた字数で記事の内容を的確に表し、かつ読者の目を引くものでなければなりません。また、当然ですが「見出しに取る要素は必ず記事に書かれている内容である」というのがルールです。この記事をよく読むと、「片手で裾をおさへたりするために、手がゆるんで墜落をしてしまったといふやうな悲惨事」と書かれています。お気づきでしょうか? 記事には、すその乱れを気にした店員さんたちが転落してしまったとあるだけで、その店員が「死亡した」とは書かれていません。つまり、この見出しは「失礼であまり適切でない」という以前に、ルール違反なのです。

 もちろん、すそをおさえて転落してしまった女性の中には大けがを負っただけでなく、亡くなった方もいらっしゃったかもしれません。しかし、記事にはっきりと書かれていない以上、見出しで勝手に「死んだ」とするのは、勇み足です。このように、記事に書かれていないことをうたった見出しを「幽霊見出し」と呼んでいますが、1秒を争う作業の中で校閲記者は記事と見出しの両方を冷静に読み、「幽霊」は退治しなくてはいけません。見出しをチェックするのは普通、記事の点検が終わった後で校閲作業の中では後半戦といえますが、紙面が完成する最後まで最も集中力が必要となるのはここからです。

拡大1932年12月16日付の号外2面。下の真ん中の写真が、着物姿で避難する女性店員たち
 山田専務が「今後強制的に用ゐさせる積り」と語った「ズロース」。短パン型の下着のことですが、若い人にはなじみのない言葉でしょう。当時の店員は多くが和装だったようで、下着は腰巻きのみだったと言われています。この火事で朝日新聞は号外を発行しましたが、掲載された写真にも着物姿で避難する女性店員が写っています=右の画像。 ロープにしがみついて下りていこうとすれば、着物のすそははだけ、脚が丸出しになることもあったでしょう。下から見上げるやじ馬が大勢いるところへ、そんな姿で近付いていくのは嫌なことだったに違いありません。とはいえ、生きるか死ぬかの瀬戸際で、「恥ずかしいから」とロープから片手を離すというようなことがありえるでしょうか? 私ならそんなことを気にする余裕はないだろうと思うのですが……。

 手を離した理由はしびれて痛かったからかもしれませんし、上階から体重を支えてきて2、3階で限界に達したということだったのかもしれません。当日、出火と同時に屋上に上がった山田専務も、転落した女性に直接聞いたわけではないでしょうから、この話だけをズロースの普及と直結させるのは厳しいでしょう。しかし、専務の言葉がこうして新聞などで取り上げられることで、ズロース推奨のキャンペーンにつながった可能性はありそうです。

 ただ、「仮に下着を着けていたら着けていたで、今度は下着が見えることが恥ずかしくなり、同じようにすそをおさえたくなったのではないか」と考える私は、やはり、よくできた都市伝説として、のちに一人歩きを始めたのではないかという気がしてなりません。

 この記事の影響もあってか、白木屋火災は女性の下着革命の契機となった出来事として語り継がれるようになりました。1974年に編集された「朝日新聞に見る日本の歩み(昭和6年-8年)」では、このページの欄外に「女店員にパンティーを」という見出しが付けられています。また、河出書房新社の「昭和・平成家庭史年表」(2001年)でも「女店員14人が死亡。和服で下着をつけていなかったため、見物人に見られることを恥ずかしがって逃げ遅れたもので、以後女性の間にズロースを着用するようにとの声が起こる」などと紹介されています。

 ちなみに朝日新聞では、広告が入らず、全段を記事が埋める紙面を「ノンズロ」「ノーズロ」などと呼ぶことがあります。先輩記者によると、これは「ノーズロース」、つまり今で言う「ノーパン」のような意味から来ているとのこと! 他社でも通じる言葉なのかはわかりませんが、ほぼ死語となった「ズロース」が特別な業界用語としてまだまだ現役で使われているなんて、面白いですね。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

ビルの居住者や出かける女性への警告 高層建築火災の体験から非常時を語る 白木屋の山田専務

 高層建築の白木屋の火事は、絶えず多くの客を迎える百貨店での惨事だった。消防、防火の視点からも近代的に様々な問題点を浮かび上がらせた。21日に東京・丸の内の大日本消防協会で高層ビル災害防止対策の座談会が開かれ、今回の体験を通して何を感じたかなどが話し合われた。出席した白木屋の山田忍三専務の談話には、ビルで生活する人にとって参考になることが多く含まれている。

すその乱れを気にして 転落した女性店員 無責任なやじ馬の助言

 (中略)

 高層建築の避難場所として屋上が安全であることが、このたび実証された。白木屋の建物は各階にひさしが出ていたため、火炎と煙が屋上を包むのを防ぐのに大変役立った。また、バルコニーが救助活動に非常に便利だったようだ。

 もう一つ、今回の火災で痛感したことがあった。せっかく綱や、といを伝って5階、4階と下りてきた女性店員が、2、3階までくると転落してしまう。地上に群がり、見上げて騒いでいる人々が気になって、ロープにつかまりながら片手ですそをおさえたりするために手が緩んでしまったのだろう。

 こうしたことのないよう、今後女性店員には全員強制的にズロースを着用させるつもりだ。お客さまも万一の場合に備えて、外出の際はこのことは心得ていただきたい。

 また、下にいるたくさんのやじ馬が「飛び降りろ、飛び降りろ」と騒ぐために、それにつられて飛び降りて亡くなってしまう人もいたようだ。やじ馬も、こんな無責任でばかげたことを言わないようにしてもらいたい。尊い犠牲者が教えてくれた数々の教訓を無駄にしないよう、努力するつもりだ。

(上田明香)

※8月17日の更新は休ませていただきます。ご了承下さい。10日は通常通り更新します。

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください