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昔の新聞点検隊

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【当時の記事】

ジャイロ兵衛=オート八=空の膝栗毛
大仏様を驚かす 本社竹とんぼ飛行機 夏空に快いブルンブルンの響 けふ大阪を振出し

【大阪電話】 空の愛敬者、本社のオートジャイロ機が初夏の風に乗って悠々たるモダン空の膝栗毛――おなじみの堤寒三画伯事「ジャイロ兵衛(べえ)」と新野飛行士事「オート八」の二人が

 合乗で六日午前十一時大阪城東練兵場本社格納庫を出発、奈良の空に旅立った、ブルンブルンブルンと例の竹とんぼを愛敬よく回してコンディションは極めて良好、これを見送る人々には

 民間最初唯一のこのオートジャイロ機を紹介するため本社が特にこの日関係者を招待した 中村第四師団付少将、辻阪府会議長 前田大阪測候所長、佐々木航空官、石田航空輸送会社大阪支所長、井上堺日本空輸研究所長、海軍監督松井中佐、笹川国粋大衆党総裁はじめ多数参集

 本社上野取締役会長、小西専務、村山取締役、高原編輯局長、辰井営業局長、岡野取締役その他各幹部が出そろひ 格納庫内で茶菓の宴を張り村山取締役の挨拶に対し中村少将が

陸軍に関係してゐる私がいまだはっきり知らないこの飛行機を早くも手にいれられ民間の航空思想を啓発されることは感謝の外ない

と述べオート八、ジャイロ兵衛両氏の健康を祝して乾杯、二人は勢ひ込んで機上の人となりいわし雲浮ぶ夏空ににこにこ顔を飛ばして行った、まづ

 奈良の大仏様に「おや大とんぼが来たわい」と驚かせ京都大津、津の読者諸君をあきれさせ近代的な御愛敬を振りまきつつ夕刻には宇治山田着 天気を選んで急がずあわてず浜松、清水、三島を通り東京へ向ふ

(1933〈昭和8〉年6月7日付 東京夕刊2面)

拡大上は離陸中のオートジャイロ。前方に推進用のプロペラがついている。下は飛行中の朝日新聞社のヘリコプター「あさどり」
【解説】

 十返舎一九作の「東海道中膝栗毛」とその作品の登場人物である「弥次郎兵衛」と「喜多八」をしゃれたと思われる、何やら楽しそうな見出し。竹とんぼ飛行機とはいったい何なのでしょう? 朝日新聞社史によるとこの「空飛ぶ物体」はイギリス製で、全長6.6メートル、幅6.8メートル、高さ3.1メートル、重量703キロのオートジャイロという乗り物。当時の記事によると、滑走距離が短いのが特長だったようです。

 ヘリコプターに似ていますが、本社の航空センターによると、「オートジャイロはヘリコプターと違い、機体の上部にある回転翼を回すのにエンジンを使わず、ホバリング(空中停止)ができない乗り物」とのことでした。オートジャイロには回転翼とは別に、推進用のプロペラがついているといった外形の違いもあるそうです=写真。 

 では、記事を見ていきましょう。冒頭に出てくる「【大阪電話】」が気になります。これは、大阪からの電話をもとに書いた記事であることを示しているのでしょう。今では、海外の総支局などから発信しているニュースは、どこから報じている内容なのかがわかるように地名を冒頭や文末に書いていますが、日本国内にある本社や総局などで書かれた記事には発信地の地名を書くことはほとんどありません。

 余談ですが、大阪朝日と東京朝日の間に専用電話が開通したのは1924(大正13)年のこと。専用電話開通で、24時間通話ができるようになったようです。今では海外からでも電話やファクスはもちろん、メールなどを使えば写真も瞬時に送れます。しかし、オートジャイロの記事が書かれたころは、通信手段として伝書バトも活躍していた時代。当時の大阪は、情報のやりとりをするには今の海外以上に「遠く離れた場所」でした。

 読み進めていくと、「これを見送る人々には 民間最初唯一のこのオートジャイロ機を紹介するため本社が特にこの日関係者を招待した」とあります。途中で改行しているので見落としてしまいそうですが、「これを見送る人々には」はなくても、意味は伝わるでしょう。そこで、この部分は抜いてはどうかと、提案してみましょう。

 直後に、招待者の名前が書かれています。今の記事ならば、人名はフルネームで書くのが原則ですが、今回は人数が多いので現代風の記事では割愛します。

 さて、招待の話の中に出てきた「民間最初唯一」という文章。少し意味が重複しているような気がします。民間で初めて保有したオートジャイロで、民間では他にはない、という意味で書きたかったのでしょうが、「民間最初」とするだけでも伝わるのではないでしょうか。

 ところで、中村少将が「陸軍に関係してゐる私がいまだはっきり知らないこの飛行機」と話した、とありますが、この当時、海軍はオートジャイロを保有していたようです。記事中で「民間最初唯一」と「民間」に限定していたのは、こうした理由もあるからなのでしょう。どのような意図があって書かれている言葉なのかを意識しながら点検していくことも大切です。

 記事の上にある写真に目を向けてみましょう。写真説明を読んでみると、「ジャイロ兵衛の寒三画伯」とあります。記事を読むと「堤寒三画伯」のことだとわかります。通常、写真説明や記事の中でフルネーム以外で人名を表記するときは名前ではなく、名字で書くので、今回は「堤画伯」に直してもらいましょう。

 このオートジャイロはどのような旅をしたのか気になりませんか? 旅の様子をつづった紙面を少し追いかけてみましょう。

 オートジャイロが飛ぶ日程(※がついているところは通過)としては、以下のような計画が立てられていました。
 6日 大阪、奈良、京都(深草)、大津、津、松阪※、山田(明野)
 7日 山田、四日市※、名古屋、岡崎※、豊橋、浜松
 8日 浜松、掛川※、島田※、焼津※、静岡、清水(三保)
 9日 清水、興津※、沼津※、三島
10日 三島、小田原※、藤沢、横浜、東京

 6月8日から「空の膝栗毛」という連載が始まります。初日は、時速30キロぐらいで飛んでいるので、時速約32キロの円タク(市内料金が一円均一の流しのタクシー〈「日本国語大辞典」小学館〉)よりも遅い、という話題が取り上げられています。とはいえ、途中で天候が悪くなり、時速を140キロまで上げたようです。ほかの日も天気が悪く、快晴の祈願を神社にしたとのこと。

 また、三重・桑名のあたりを飛んでいるときは、ジャイロ兵衛が「名産のハマグリが海にたくさん落ちている」と言うと、オート八が「(ハマグリではなく)海岸で遊んでいる人だ」とツッコミを入れる会話がありました。高いところを飛んでいる様子がわかります。

 悪天候で、予定からやや遅れてしまっていたとはいえ、神奈川まで飛んでいた竹とんぼ飛行機ことオートジャイロ。ところが、11日に大変なことが!!! なんと、平塚の川岸に着陸した際、風にあおられて回転翼を折って、飛行不能になってしまったのです。奈良、京都などあちこちで「不時着したい」などとそれまでの「空の膝栗毛」で冗談を交えて伝えていたら、本当に壊れてしまいました。このため、空の旅は中止に。「空の膝栗毛」の最後の記事は、旅が途中で中止になったことのおわびで締めくくるという残念な結果に終わってしまったのです。

 とはいえ、このオートジャイロ、11月には無事に直り、11月8~13日に、関東地方で空の旅をしました。オートジャイロが直ったということは、「暫(しばら)く休暇をもらっていたがすっかり英気を回復し、浮気心がどうにもならず関東地方の皆様方におどけた姿を見ていただくことになりました」と、これまた遊び心満載の記事で報じられており、この頃の大イベントとしてオートジャイロが飛行していたことがうかがえます。

(画像には主な直しだけ朱を書き入れています。現在の朝日新聞の表記基準で認めていない漢字の音訓や、当時は入れていなかった句点を入れる等については、原則として記入を省いています)

【現代風の記事にすると…】

ジャイロ兵衛とオート八が空の膝栗毛
本社の竹とんぼ形飛行機が大仏さまを驚かす 夏空にブルンブルンと心地よい音を響かせ 今日大阪を出発

 【大阪からの電話】空の人気者である本社のオートジャイロ機が初夏の風に乗って、空の現代版・珍道中をする予定だ。本紙でおなじみの堤寒三画伯こと「ジャイロ兵衛」と新野飛行士こと「オート八」の2人が、6日午前11時に大阪城東練兵場の本社格納庫を出発し、奈良へと旅立った。ブルンブルンブルンといつもの竹とんぼ形のプロペラを愛敬よく回す。オートジャイロの状態は極めて良好。オートジャイロは民間が所有するのは初めてだ。これを見送るために、本社は、中村第4師団付少将、辻阪府会議長 前田大阪測候所長、佐々木航空官、石田航空輸送会社大阪支所長、井上堺日本空輸研究所長、海軍監督松井中佐、笹川国粋大衆党総裁はじめ多数を招待した。

 本社の上野取締役会長、小西専務、村山取締役、高原編集局長、辰井営業局長、岡野取締役その他各幹部が出席し、格納庫内で茶菓の宴会を催した。村山取締役のあいさつに対して、中村少将は「陸軍に属している私がいまだにはっきりと知らないこの飛行機を手に入れられ、民間の航空思想を啓発されることは感謝のほかない」と述べ、オート八、ジャイロ兵衛の両氏の健康を祝して乾杯した。2人は勢いよく機上の人となり、いわし雲が浮かぶ夏空に、笑顔を振りまきながら飛んでいった。まず、奈良の大仏さまのところに行って、「おや、大きなトンボが来たわい」と大仏さまを驚かせ、京都、大津、津の読者たちをあきれさせ、いまふうの愛敬を振りまきながら、夕方には三重県の宇治山田に到着予定。天気を見ながら、急がず、慌てずに、静岡県の浜松、清水、三島を通って、東京へと向かっていく。

(山室英恵)

当時の記事について

原文どおりに表記することを原則としますが、読みやすさの観点から

  • 漢字の旧字体は新字体に
  • 句点(。)を補った方がよいと思われる部分には1字分のスペース
  • 当時大文字の「ゃ」「ゅ」「っ」等の拗音(ようおん)、促音は小文字に

等の手を加えています。ご了承ください